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2002年、「よもやま企画」・平田語録をどうぞ
2002.3月の今日に一言
2002.2月の今日に一言
2002.1月の今日に一言


平田さん
平田さん

2002.5.16
 「今日の一言」本日で100号となりました。本号をもって今日の一言を終了させていただきます。
次号からは「今日の話は何んでっか」と題しQ&A形式ですすめて行きます。
発行日は月・水・金とさせていただきます。
長い間、ご購読いただきありがとうございました。

「人生を伸び伸び
       生きるための平衡感覚」
何事に限らず、することが、とかく思う通りにならず
困難に陥ったときには、まだ自分より劣った者が
いると思ったらよい。
そうすれば、天を恨む気持ちも、人を咎める心も、
自然に消えてしまう。
また、心が怠け出したときには、世の中には自分
より優れた人がいくらでもいることを思ったらよい。
そうすれば、自然に発奮する精神がおこってくる。
 

2002.5.15
「幸福のタネに災禍あり」
病気になってはじめて健康のありがたさを思い、戦乱
になってはじめて太平の世の幸福に気づくのでは、
とても先見の明があるとは言えない。
幸福を願うのだが、それがまず災禍を招く根本である
ことを知り、また長生きを願うのはそれがまず死亡の
原因となることを知っているならば、それこそ卓越した
見識と言うべきである。


2002.5.14
「人心に一日も喜神
            なかるべからず」
暴風暴雨の日には鳥たちも心を砕いて哀れに見える
が、天気も晴れ渡り風も穏やかなときには、草木に
いたるまでいかにも嬉しそうである。
これによっても天地間に一日も和気がなくてはならず、
また人の心に一日も喜神がなくてはならぬということ
がわかる。世の中というものはすべて、自分の心の持ち
方一つで苦にもなれば、楽にもなる。
腹立たしい思いで世の中を見ると、ことごとく怒りのもと
になり、悲しい気持ちで見ると、ことごとく悲しみのもとと
なる。また、楽しい気持ちで見ると、すべてが笑いのもと
になる。朝から晩まで、苦虫を噛み潰したような仏頂
づらをしていたのでは、他人も自分もいっこうに面白く
ない。したがって、寄りつく者もなく、孤立して寂しい
生涯を送らなければならなくなる。
だから、心を晴れやかに持って快活で楽しそうに毎日
を送るということは、きわめて肝要なことである。

2002.5.13
「心の門」と               
    「心の足」をしっかり守る
心に思うことは口から出るから、口は心の門である。
この口をしっかり守らないと、心の奥の機密を漏らし
てしまう。
意(心ばせ)はすなわち心の足であって、この意を
厳密に取締まらないと、歩いてはならない横道を
走ってしまう。

2002.5.10
  「水を離れず
        水に溺れず」
世の中を渡るには、世俗の人とまったく同じでも
よくないし、さりとて、まったく反対にかけ離れてい
てもいけない。その中間を行かなければならない。
ちょうど泳ぐ者が水を離れず、水に溺れずといとこ
ろである。
何か事業(活動)するときは、人にいやな思いをさ
せてはいけないが、さりとて、喜ばせようとしてもい
けない。なぜならば、事業(活動)は多くの仲間が
必要で、けっして自分一人の力で成し遂げられる
ものではないから、人に嫌われてはならない。
しかし、みんなに喜ばれようと思って、人気取り
ばかりを考えてもいけない。
これではまた、けっして社会に有益な事業(活動)
をなすことはできないのである。
だから喜ばせようとしてもいけないのです。


2002.5.9
「腹八分」よりは
    五分で間違いなし
口にさわやかであってうまいと思う味わいは、つい
度を過ごして、胃腸をただれさせ、骨髄を腐らせ
る毒薬であるから、十分に食べず、五分ぐらいに
してやめておいたほうがよい。
そうすれば、けっして害にはならない。
それから、すべての人の心に愉快と感じる楽しみ
は、すべて身を誤り徳を失うなかだちとなるもので
あるから、十分まで楽しまず、必ず五分ぐらいに
しておくほうがよい。
そうすればけっして後悔するようなことはない。
中々、出来まへんなぁ。ついつい、今日だけわとなって
しまう。明日から五分で行こう。   


2002.5.8
「何事も明日は我が身と
           考えることの大切さ」
世間のことというものは、今日は他人の身の上の
ことと思っていても、明日はわが身に降りかかって
くるということがしばしばである。
だから、富貴の境遇にいるときには、貧賎の境遇
にいる者の苦痛を思って、常に自ら戒めるところが
なければならない。
また、若いときには、やがて老衰の辛さをなめなけ
ればならないときがくることを思って、これまた、自ら
戒めるところがなければならない。 

2002.5.7
心の「容積」を大きく
          する一つの方法
試みに、人それぞれ、自分がまだ生まれていない
昔にさかのぼって、その時どんな姿形であったか、
また、死んだ後はどういうありさまであるかを想像
してみると、生まれる前はこうで、死んで後はこうだ
ということはできない。
死ねば英雄も美人も、ともに一筋の煙となる。
生まれる前も死んだ後も同じで、無そのものであり
、こう考えれば、もろもろの雑念は消え失せて冷たい
灰のようになり、本然の性だけがひっそりとして存在
する。これを悟れば、おのずから万物の外に超然と
して遊ぶことができる。

2002.5.2
「自分の都合だけで
    事を判断してはならない」
他人から受けた恩は、大恩であっても報いようとは
しないのに、受けた怨みはちょっとしたことでもすぐに
仕返しをする。
他人の悪評を聞くと、まだはっきりしていないことでも
信じるのに、よい噂を聞いたときには、はっきりした事
でも疑う。
これが普通の人情というものであって、まことに冷酷
の極みである。
心ある人は大いに自戒して、こういうことのないように
したいものである。



2002.5.1 
 「陰と陽」のバランス
ひと言で言うなら、この世のすべてのものは陰
もしくは陽のどちらかの質をもっている。
どちらか一方が優れているとかいうことはない。
どちらかが欠けると、世の中というのは成り立たない。
そして、人間、組織、社会など、とにかく一切のもの
が健全であるには、陰陽のバランスが取れていること
が必要であるという考え方のことである。
たとえば、男性は陽、女性は陰であるし、社長は陽
社員は陰である。
先生は陽、生徒は陰で、主食は陽、副食は陰で
ある。このように、一切の物、一切の事象は、必ず
陰・陽のどちらかに区別され、そのバランスが崩れる
とおかしな物ができあがり、おかしなことが起こって来る。
最近の私たちの周りでは「陰と陽」のバランスが崩れ
すぎている。

2002.4.30
「食事はバランスよく」
食事はバランスよく、好き嫌いなく何でも
食べることが大切である。
動物性タン白の過食は危険だが、スタミナのもとである
肉をまったく食べないというのは栄養上のバランスから
みても、問題である。
とかく日本人は極端に走る傾向がある。
何々が身体によい、何々は悪いと聞くと、一億総国民
すべてが右へならうようなことがままある。
塩が高血圧の原因と聞けば、減塩食が大はやりとなる。
しかし、適度な塩分は人間にとって必要不可欠のもの
である。「何々断ち」をしてかえって体を壊した人を何人
も知っている。
健康増進、衛生についても、人生万事においても、最初から自分の能力以上のことをすると、三日坊主に終わってしまう。ゆったりとした気持ちで物事を始めることだ。

2002.4.26
「不平不満は
        健康大敵」
心を平静に保ち、気はなごやかにし、言葉を少なく
して常に落ち着いていることは、徳を養うとともに、健康
を養うことにもなる。徳を養い、健康を養うその方法は
同じである。多言であれば心が動揺し気が荒くなって徳
をそこない、健康をそこなうことになる。
自分だけの楽しみ、富や地位名声のみを追求していけ
ば、競争・勝敗・権力にこだわり、自己中心的な人間
となる。したがって、他人の失敗を喜び、やたらに人を
脅したり無理な要求をすることになる。
つまり「多言となり、心が動揺し、気が荒くなって徳を
そこない、健康をそこなう」状態になる。
相手を思いやり、慈しむ心であり、優しさが大切である。

2002.4.25
「50代で輝けば」
50代で輝ければ成功者だ
60代で輝ければ英雄だろう
70代で輝ければ、君は怪物に違いない
 
団塊の世代は50代半ばにさしかかっている。
50代になると人生の成功者と平凡者がかなり明確に
分かれてくる。その年代だと、会社でも重役コースまで
残れる人と、部長止まりの人、課長のままで出向や
転職になる人が、かなりはっきりしてくる。
教育熱心で、人生は計算されていると思っていた団塊
の世代のなかにも、バブル崩壊を契機に、その計算より
も低い水準で生きていくことを覚悟しなければならない者
が多くなった。一番楽しみにしていた財産の増加も絶望
的だ。株価と地価の下落で長年の蓄えを失った人さえ
少なくない。
「明日は今日よりよくなる」から「明日はどうなるかわからない」・・・・この変化は世代人らの人生観には劇的?
それに加え毎日のワイドショー。
国会議員の低落、官僚たちの汚職、警察官の不祥事、医療機関の危機管理等、とうとう、ここまで来て
しまった。


2002.4.24
「人生を決めるのは
        あなた自身です」
  太陽は夜の明けるのを待って
 昇るのではない
 太陽が昇るから
 夜が明けるのた゛
 
 ながい一生の間には、うまくゆく時もある。こんなはず
 ではなかったと思うことや失敗することもある。
 うまくいかなかった時、人はとかく他に責任を転嫁しま
 す。姑さんが悪かった。上司が悪かった。学校が社会
 が悪い。運が悪かったと。
 どんなに失敗の原因を他に転嫁してみても、問題は
 解決しません。いかなる結果を招こうと、積極的に
 自分の責任として背負ってゆく。
 家族を、職場を、そして人生を築いてゆく主人公は
 他の誰でもない私自身です。
 誰にも代わってはもらえません。

2002.4.23
「自分のモノサシで
        自分を測る」
 
「あいつにはとてもかなわない」
「あいつよりはおれのほうができる」
人は、自分の力を評価するときに、ともすれば
他人と較べたがる。
こういう人は、他人からの評判をひどく気にする。
たとえば、ほめられると、おれもまんざらではないのだな
と調子づく。
けなされると、がっくりきてしまう。
他人の顔色だけが評価のモノサシになっているのだ。
自分のモノサシで自分を測る。
それは口でいうほどなまやさしいものではないが、他人
に頼らず、甘えないための、一つの試金石なのではないので・・・・・・。
2002.4.22

「大切な日々の反省」
すばらしい人生を送りたいと思うのは、だれもが願って
いるところである。
日々は繰り返しやってくるが、明日が自分にとって
人間的な成長を促す日なのか、消耗をいたずにらに
重ねてしまう日なのか、その日のことを深く反省してみる
ことだ。普通の人ならば、明日につながる元気を養うこと
は少なく、元気を消耗させることが多い。
人間は常に明日への可能性を見出していく。
一日の終わりに、まだ残っている元気を疲れのなかに埋没させる
ことなく、
限りある元気を常に活性化させることを心がけ
よう。
今日一日を合理的で現実的な面から十分に
反省し、ひの日の誤り=元気を消費する原因をあきらかにし、より効果的な生き方を見出そう。

2002.4.19
「心の富を手に入れよう」
私たちの生活のムダと出費は、ほとんどすべてが他人に
見習って、いわゆる人マネをすることから生じる。
他人がぜいたくな菓子を食べていると、つい自分もマネ
をして、その菓子がたべたくなり、借金してさえ買いかね
ない。肝心の自分が是非しなければならぬ生活のため
には、決してそれほどの支払いをしない。
これは物質のことだけでなく、私達の精神生活にも通じる大きな欠点である。 
               ( 文豪トルストイ)
自分を生かすことを知らない。流行を追ってメダカのよう
に群れをなし、人が買うから自分も買う、人がゆくから
自分もゆく。そのために、どんなムダと出費をしている
ことか。人マネ上手は農耕民族の特徴だという説が
あるが、日本人はまさにその典型である。
金や物で得られる快楽は、一時のものにしかすぎない。
金や物で得られる幸福は、はかないものだ。
「その楽しみが一番金のかからぬような人間こそ、最も
 富めるものである」とアメリカの思想家ソローさんもおっしゃている。
人マネはやめよう。
人マネによるムダや出費をなくそう。
自分の生活にとって最も必要なものを見つけよう。
そして、それを大事にしよう。
こんなことを考えるようになった今日この頃の私。

2002.4.18
「PPKとPFK」
 PPKという言葉は「ピン、ピン、コロリ」の略だ。
 ピンピンと健康に長生きをしてコロリと死んでいきたいと
 いう願いがこの三文字に込められている。私たちはいつ
 どのような形で人生を終えるのかを知ることができない。
 だから健康に留意し長生きをしたいと思っている。
 多くの人がそう思っているのだが、長生きをしてどんな
 ことをしたいのかと聞いても明確な答えを聞くことがな
 かなかできない。長生きしても意味や目的がなければ
 人生は無味乾燥なものになってしまう。
 そこでPFKをお勧めしよう。PFKとは「ピース・ファミリー
 ・キープ」要するに、家庭の平和を維持する。
 家庭の平和を維持することは、家族とともに人生を
 歩むこと、家族の目標をもつことが基本らしい。
 現代社会には、皆で長生きしようという風潮がある。
 でも、ただ単に長生きしても意味はない。
 だからもう一度、これからの人生をデザインする思考
 を、皆が持つ社会習慣を大切になると思う。
 長寿大国には長寿文化がなければならない。
                                潮音・風音 よみうり 抜粋

2002.4.17
「ことばの意味間違っていませんか」
 ・上下の文字を入れ替えると、意味ががらりと変って
   しまう熟語がある。たとえば「視座」。物の見方の
   基礎になる立場のことだが、これが逆立ちすると
   拱手傍観(きょしゅぼうかん)を意味する「座視」にな
   る。BSE(狂牛病)で食の安全を守る視座を欠き
   感染牛が見つかるまで座視した、過ちは、逆立ち
   行政の産物だろう。
 ・中国にはその昔、方位を示す仕掛けを施した車
   「指南車」があった。磁石の応用だろう。車の上に
   人形を置き、その手がいつも南を向くようにつくら
   れたという。剣術や歌道など武芸、学芸の分野
   で、人を教え導くことを指南と言うのは、この車に
   由来する。「脱税指南」のように最近は、よからぬ
   技芸の伝授に使われることも少なくない。
 ・切れたトカゲの尾はまた生えてくる。トカゲが尾を
   切り捨てて逃げるように、不祥事が露見した時
   部下に責任をかぶせて上司が追求を逃れる。
   世に言う「トカゲのしっぽ切り」である。
   永田町では「秘書が、秘書が・・・」に「トカゲの
   しっぽ切り」のにおいが漂う。

2002.4.16
「顔面問答」
口と鼻と眼と眉毛の問答がある。
口の不平、鼻の不満、眼の不服はいつも眉毛の下に
あるということで、ある時、眉毛は、口、鼻、眼から
「なぜ、君は僕らの上で偉そうに威張っているのか。
いったい君にどんな役目があるのか」と詰問された。
眉毛が答えるには「いかにも君らは大切な役目をもって
いる。食物とり、呼吸をし、ものを見る君達のご苦労に
感謝している。その点、私はお恥ずかしい次第ながら
ただここに居座っているだけで、何ひとつ役立つことを
していない。日夜すまぬと思いつつも、ただ一生懸命
に自分の場所を守っているだけなのだ」続けて「自分は
今まで、口と鼻と眼の心がけで暮らしてきたが、それは
間違っていた。今後はぜひ眉毛の心がけで生きたい」
と答えた。
われわれは容姿の醜さを恥じるよりも内心の醜さを
恥じなければならない。
内心の美しさを磨くべきである。
   いつも瞳は澄んでいよう 
           濁ってしまっては駄目
澄んだ眼で世の中をいつも見通せる人にとっては
容姿の美醜は問題にならない。

2002.4.15

「肝腎要」 (かんじんかなめ)
   人間は肝腎要が大事だとよく言われています。
  肝腎要の要とは腰のことで、あとから要に
  ニクヅキがついて腰という字になった。
  腰は体の要であり、肝腎要とは
  肝(臓)・腎(臓)・腰が本当の意味です。
  この三つは健康にとって、最も大切な部分で
  あります。腰が悪いと姿勢が悪くなる。
  背骨も曲がったりして、さまざまな病気や
  不健康の原因になる。
  肝臓は新陳代謝作用、解毒作用をはじめと
  して、あらゆる意味で大切な器官である。
  ここから心臓に血液を送り、それが体中を回って
  最後に腎臓に入って浄化され、老廃物を排泄
  する。そういう意味で、肝腎要というのは医学的
  にみても道理にかなった、真理をつかんだ言葉
  なのです。

2002.4.12
 「備えあれば憂いなし」
 千里の道も一歩からということわざがある。
 遠い目的地に行くのも足元の一歩から始まる
 ように、どんな大事業でも一歩一歩着実に努め
 なければ成し遂げることはできない。
 そしてたとえ遠回りをしても、大きな頂きを目指
 して歩み続ければよいのである。
 人生もまた大事業に似ている。
 若き日に隆盛を誇っていても、晩年、そして人生
 の最期によくなければ、一生は無駄になるといって
 もよいだろう。
 一刻一刻を無駄にせずに生きることが大切である。
 「備えあれば憂いなし」
 人生という大事業を成し遂げるには、ふだんから
 健康に心がけていれば、万一のことが起こっても
 少しも心配することはない。

2002.4.11
             「いいわけ劇場」
  己のあやまちやおろかさを認めるということは、ずいぶん
 勇気の要ることです。
 しかも、たとえ自分がまちがっていたと心の中では
 思っていても、人間にはプライドという厄介なものが
 あります。それをそのまま言葉にしたら、自分の負け
 だという思いがこだわりとなって、素直に認められない
 のです。ところが、そんな私のプライドも、そして憎らし
 い相手のプライドも、ともに打ち砕いてしまう、とてつ
 もないものがあります。
 それは「人はみな、誰でも、一人残らず死にますよ」
 という真実です。
 その真実にいったん照らされたら、自我のプライドなど
 起こってくる隙がないのです。
 そこで今注目の国会議員の皆様、政治生命を賭けて
 とよくおっしゃいますが、本当に命をかけておられますか?

2002.4.10
 
「いらだたばとて
      時来たらずば」
  いらだたば いらだたばとて いかにせん
  いらだたばとて 時来たらずば
 
  というものがあります。いくらイライラしても時計の
  針を早く進めることはできません。
  自分の思いこみが先走ると、イライラするものです。
  駅に向かって歩いているときは「ホームに行くまで
  電車が来ませんように」と心に念じながら急ぎ、駅
  に着ついて一分も待つと、もうイライラして「早くこ
  ないかなぁ。遅いなぁ」と思いはじめます。
  禅語に
      流水先を争わず
  とあります。流れに任せてゆけるのは、心にゆとり
  があるからだというのです。
  自分の思いどおりにならないでイラつきはじめたら
  この世のことはすべて腹立たしくなってしまいます。
 
  「心のゆとり」どうしたら出来るのでしょうか?
  人から与え、教えてもらえるものでしょうか?
  それは自分自身に問うてみてはいかがなものか?

2002.4.9
 私とは「条件の調和」である
 
 人生とは何か、という問いに対する答えは人
 さまざまですが、これを「選べることと、選べな
 いことだ」といった人がいます。
 「選べないこと」とは、命のことを指しています。
 反対に「選べること」とは、こころのことです。
 心は朝から晩まで、年がら年中、選び通しです。
 職業を選び、家を選び、結婚を選び、また普段
 の生活でも着るもの、食べるもの、言葉、行動
 すべて選び通しです。
 「自分の意志 」のつもりでありながら、実は自分
 以上の無限な広がりをもった諸条件のからみあい
 の影響を受け、その中で「自分の意見」と思い
 こんで選んでいるにすぎないのです。
 中でも自分を縛っているのが、「しがらみ」と
 「こだわり」です。
 私も・・・・・・・。
 しがらみと、こだわりを捨てて「心のありよう」を
 考えていきたい。 

2002.4.8
 
「何より大切な気分転換」
 心身が「滞(とどこお)った」状態を最も好まない。
この状態では、気はふさぎ、とどまりはかどらない。
同様に身体の機能もにぶくなり血液の循環は弱まる。
この「滞った」状態は、一日中横にふせてじっと静かに
しすぎた結果である。
人間は変化のなかに生き、刺激を受けて活性化する。
変化のなかで自分を客観的に見つめ、よりグレードの
高い場所へたどりつきたいと思うからこそ、進歩がある。
「彼は昔の彼ならず」気分を転換させ変化のなかに
生きるからこそ人間は移ろい変わり、死ぬまで成長し
続けるのである。
人間性を深め・心豊かに・気分転換を図り
健康に留意し、年齢を重ねていかなければ
何か、楽しいことと出会うこともない。

2002.4.5
「現代人のための
     健康法の知恵」その2
人生の喜びとは
「善行・健康・長生」にある。
☆道理をわきまえ、まちがったことをせず
   善をよく行うこと。
☆病なく健康で快い生活を送ること。
☆長生きして長く久しく人生を楽しむこと。
それと
「 食生活」を考えてみよう。
☆ま・ご・わ・や・さ・し・い といきましょう。
 ま・・・・豆類
 ご・・・・ごま
 わ・・・・わかめ(海藻類) 
 や・・・・野菜
 し・・・・しいたけ
 い・・・・芋類
 
 孫・雄希くんは今春からピカピカの一年生です。 

2002.4.4
 「現代人のための
       健康法の知恵」 その1
無病長生きは自分自身に深く関わるものであり
求めれば得られるだろう。
得がたいものを求め、得やすいものを求めないと
いうのは何故なのだろう。(ここは何度か読み返して)
愚かなことと言える。(よく考えて)
たとえ莫大な財産を得たとしても、病多く短命ならば
どうにもならない。

2002.4.3
「今日一日は全力投球!」
人生に意味のないことはない。
だから、そのときのやるべきことに全力を
尽くしておけば、やがてそれが将来役に
立つときが来る。
一見、意味のないように見えるものや
自分にむいてないと思えるものの中にも
意外に将来の自分の宝となるものが隠されて
いることがある。
また、今の瞬間に全力を尽くしておくことは、
二度と戻らぬ今という時を、もっとも有効に
使ったことになる。今日、精一杯がんばれば
一日が終わったときに「全力を尽くした」という
充実感を味わえる。
だから、たとえいやでも、とりあえず今日一日だけは
目の前のやるべきことに全力を尽くすことである。
 
2002.4.2
 「笑顔」
 与えても減らず、与えられたものは豊かになる。
 どんな金持ちでも、これなしでは暮らせない
 どんな貧乏人でもこれによって豊かになる
 家庭に幸福をもたらす友情の合言葉
 疲れたものにとっては休養
 失意の人にとっては光明
 悲しむものにとっては太陽
 悩めるものにとっては自然の解毒剤となる
 買うことも、強要することも、盗むこともできない
 無償で与えて、はじめて値打ちが出る
           デール・カーネギー著「人を動かす」より
 
2002.4.1

「自分を過小評価するな」
  自分をだめとか
 自分にはできないとか
 自分は生まれつき頭が悪いなどと
 劣等感をもったり、過小評価することは
 天地自然の理にかなわない考え方である。
 理のかなわない考え方をして成功、目標の達成
 を願ってもそれは無理である。
 いつまでたっても実現するわけがない。
 これからは、自分の能力を信じ、できる限り高く
 評価していくことだ。
 いくら高く評価しても、し過ぎることはない。
 あなたの能力は無限なのだから・・・・・。
 自信を持って前に向かってチャレンジして行こう。
 「自分は出来る」
 「自分には無限の能力がある」
 自分自身を高く評価して自信を持つか
 それとも低く評価して劣等感を持つか、どちらでも
 選択することができる。


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