鍋 塚 古 墳

北河内の古墳編年表

 交野市寺の山中で標高210mの高所に南山弥生遺跡がある。当遺跡は昭和34年の大雨の際、崩れ出た土砂の中から多数の弥生式土器が出土したことにより偶然発見された。河内を一望できる立地場所や出土遺物から当遺跡は監視やのろしをあげる目的を持った通信基地と位置付けられている。
 この遺跡の西側の尾根に位置した所に、交野市最古の古墳と言われる「鍋塚古墳」がある。前方後方墳で4世紀初めの築造と考えられている。 南山弥生遺跡は古くから遺跡として知られていたが、ここに防災施設の無線基地を建設することになり、その為の事前発掘調査 を平成7年にその後平成10年に発掘を行った所、それまで南山遺跡の西に位置する古墳時代後期の群集墳の一つと考えられていた鍋塚古墳が、実は全長65m、後円部経34.2m、前方部幅28m(推定)、くびれ部幅16mの前方後円墳であることが判明した。しかも墳丘の埴輪も見あたらず、主体部と思われる位置に露出している板状の割石から、竪穴式石室を持った古墳ではないかと推定され、同じ森古墳群 のなかで最大長を持つ雷塚古墳よりも古いのではないかと考えられている





 









 
発掘された竪穴石室部分


交野連山中腹随一の見晴台
鍋塚古墳を降りてきた所に、展望の良い場所があった。
この場所の名前を村田さんに聞いても「さぁ、別に何も無いようですが」と言っていた。
それにしても見事な眺望である。
交野市が一目瞭然。京都八幡の石清水八幡宮から大阪市内まで見える。
天気が良ければ明石大橋も見えるそうである。


 




2004年3月に歴史倶楽部(井上氏主宰)の皆さんとご一緒した時に
井上さんが纏められたものを転載編集したものです。

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