か 地 の い 蔵 ぼ が が れ け 笑 ば う |
寺村からの狭崖(かいがけ)の道は長く急な坂道で、傍示(ほうじ)の里にひらけた水田の間をのぼりつめ、峠にさしかかると笑い地蔵があります。 |
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私 今 部 城 は 城 の 名 址 の み |
私部城は、戦国時代に交野に本拠をおいた安見氏が築いた城です。当時の記録に「交野城」として登場し、現在は交野のなかでも私部にあることから「私部城」と呼ばれています。堀や土塁がめぐらされ、連郭式(れんかくしき)の城の構造が残っています。このように当時の平城が良好に残されていることは非常に珍しく、戦国時代の城の姿を今に伝える貴重な文化財です。 |
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軍 人 書 の 読 無 集 み 量 ま 光 る 寺 |
軍書読みとは保元(ほうげん)物語や平家物語等を琵琶法師がふしをつけてきかせるものです。 |
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月 秀 夜 山 半 の の 月 |
眺望もひらけ、昔から月見に最適といわれたため、月秀山の号をもつ私市の松宝寺は、もとは獅子窟寺にあったといわれる十二院の塔中の一つ、松宝院だったと思われます。現在は融通念仏宗大念仏寺の末寺となっています。 |
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国 薬 宝 獅 師 の 子 如 窟 来 寺 は |
獅子窟寺は私市部落から東の山の中腹にあり、真言宗高野山派に属しています。 |