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交野郷土史かるた(さ行)

酒作りに役人の監督

     酒 
   役  づ 
   人  く 
   の  り 
   監  に 
   督 

江戸時代には交野のどの村でも一、二軒のつくり酒屋がありました。当時幕府から厳しく規制され、また役人の監督も受け、米の豊凶によって割当が増減されたといいます。
現在市内には二つの酒造会社があります。

縄文の遺跡豊かに神宮寺

      縄 
     遺 文 
     跡 の 
     豊    
   神 か    
   宮 に    
   寺 

神宮寺には交野山の登り口に約一万三千年前の旧石器時代、それより200メートル下ったところに約九千年前の縄文時代早期の遺跡があります。特に底部の尖った押型文の神宮寺式土器は、縄文時代早期を代表する土器の一つとして有名です。

すそをめぐるは 山の根の道

      す 
       そ 
       を 
   山   め 
   の   ぐ 
   根   る 
   の   は 
   道 

古代の河内の中心である国府(こくふ)(柏原の国分)に至る南北道として山の根(やまのね)の道がありました。
この道は、山麓の村々を通るためにまがりくねっていました。
その後、高野山が開かれて以来、高野山参詣の人々のために整備されて東高野街道となりました。

千手寺

      千 
    亀 手 
  行 山 寺 
  在 上 は 
  所 皇 

千手寺(せんじゅじ)は今は廃寺となりましたが、亀山上皇が病気の時、獅子窟寺の薬師仏に祈願され、ここを行在所(あんざいしょ)として千手観音をまつって寺とされました。
安置されている木造聖観音菩薩立像(平安時代)、木造如意輪観音坐像(室町時代)は、ともに市指定文化財に指定されています。

開元寺

     礎 
      石 
      に 
   開  し 
   元  の 
   寺  ぶ 

昭和29年神宮寺で天平時代に礎石が発見され、古代当地方に栄えた大寺の果てだとわかりました。
この寺は中世には、山岳寺院として交野山上に移り、岩倉開元寺となりました。江戸時代には、源氏の滝の口に小寺となって残っていました、明治時代に廃寺となってしまいました。

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