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交野郷土史かるた(た行)

小松寺

      大 
    小 地 
  谷 松 震 
  底 の    
  へ 本    
     尊 

昔の小松寺の跡は妙見川の谷をさかのぼったところにありました。
もとは荒山寺(こうさんじ)といい、大規模な寺院でしたが、奈良時代に大地震で山崩れし、堂が谷底に転落して星田郷の美しい青石で刻んだ石仏は地中に埋もれてしまったと『小松寺縁起』に書かれています。

長宝寺

      長 
    瓦 宝 
  そ は 寺 
  の 語    
  偉 る    
  容 

交野郡衙(かたのぐんが)の郡倉がたちならんでいた郡津、くらやまの東につづく丘陵に、長宝寺跡があります。
この付近からは今からも千三百年前の古い瓦が出土しており、この地方の郡司により白凰時代の寺院が建立されたと思われます。

つくね飯食らって運ぶ大鳥居

       つ 
     食 く 
     ら ね 
     っ 飯 
   大 て    
   鳥 運    
   居 ぶ 
私部住吉神社の石の大鳥居は大風で倒れ、万延元年(1860年)に再興された交野一の大鳥居です。
私部口山から切り出し、つくね飯(にぎりめし)を腹一杯食べ、音頭をとりながら二、三百人で運んだと記録されています。
伝説豊かな天野川

      伝 
      説 
      豊 
   天  か 
   野  な 
   川 

天野川は磐船の渓谷を流れ、交野の平野をうるおし、淀川に注いでいます。
饒速日命(にぎはやひのみこと)が船に乗って哮が峰(たけるがみね)に天降った話、また平安時代に入って、この地を訪れた貴族達がこの川を天上の天の川にあてはめた七夕(たなばた)の話等いろんな伝説に富んでいます

星田寺 富くじの

 古い記録

   星田寺

星田寺(しょうでんじ)の檀家は江戸時代には、祈祷檀家(きとうだんか)といわれるもので、恒常的に供養料をいただく現代の檀家と違う形のものでした。したがって富くじを売って寺の経費にあてていたという記録が残っています。
この富くじは年号が享保乙卯(1735)と明らかになっており、公認された富くじとしては古いものです。

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