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交野郷土史かるた(や行)

八幡の神主 村の名に

     八 
     幡 
     の 
     神 
   村 主 
   の    
   名    
   に 

石清水八幡宮の神官森公文(もりくもん)は延久年間(1069〜1073)、荒れ果てた須弥寺の警護観音堂を再興しましたので、村人はこれまでの無垢根(むくね)の里を、この人の名をとって森の里と呼ぶようになったと伝えられています。

悠久の姿 山頂の岩

    悠 
    久 
  山 の 
  頂 姿 
  の    
  岩 

倉治東方にある標高344メートルの交野山頂上には巨岩がそびえています
その悠久の姿は古来より人々の信仰の対象となり、正面に梵字「サ」(聖観音の意味)が陰刻されています。また山頂に近い南斜面に点々とある寺院址は岩倉開元寺の址だといわれています。

吉田屋藤七 幕府に進言

    吉 
     田 
  幕 屋 
  府 藤 
  に 七 
  進   
  言 

江戸時代の中頃、星田の吉田屋藤七は親の遺志をついで、交野の治山治水について、実地に調査してまとめました。そして荒れ果てた星田山の土砂留め工法について幕府に進言し、役人を動かしたといわれています。

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