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<第131回> 令和5年10月定例勉強会

家康伊賀越え
  講師: 池田 裕氏(伊賀忍者研究会 代表)
青年の家・学びの館 午前10時~12時
 
参加者 38名(会員28名)
 2023.10.21(土)午前10時、10月定例勉強会に38名の沢山の方々が参加された。
 村田会長より、「本日は、伊賀忍者研究会の代表でもあります池田裕先生をお招きして、『家康伊賀越え』」の講演会に早朝から沢山の方に参加いただき誠に有難うございます。ご講演を頂戴します池田先生は、交野高校の英語の教師をされており、本日の会場には教え子の方も参加されているようです。詳しいプロフィルにつきましては、後ほど講演会の冒頭でお話し頂くことになっております。
 さて、令和5年度の古文化同好会の活動も、いよいよ下期の行事が始まりました。先日の10/14の「京都御苑と御土居巡る」の歴史ウォーク、本日の勉強会に続いて、文化祭の展示・しめ縄作りやかるた大会などが予定されておりますので、どうぞ引き続きの参加をお願いします。」と挨拶があり、早速、池田裕先生による「講演」が始まりました。

 池田先生は、著書や沢山の資料を活用してレジメ・資料を作られ、広範囲にわたる詳細なデータをパワーポイントに簡潔に分かりやすく纏める為多くの時間を費やして準備して頂きました。約2時間の講演時間に合わせるように手際よく分かりやすくお話しいただきました。

 参加された皆さんより、「大河ドラマの影響もあり今、交野は「どうする家康」で盛り上がっており、「家康伊賀越え」を大変興味深くお聞きしました。沢山の資料や地図・写真・画像など先生の長年のご功績に触れることが出来、大変嬉しく感動しました」と大好評でした。
 
「家康伊賀越え」講演会概略
  1.家康伊賀越えのこと
  2.資料「石川忠総留書」「伊陽旧記」とは
  3.河内路を地名・街道・水路から考察
  4.堺から四條畷までの行程
  5.交野の家康の行程は
  6.古地図と明治25年測量・同27年製版・同31年修正地図で確認
  7.甲賀越え・大和越えを斬る

  4つのポイント
   ①堺から四條畷の行程は水路か
   ②交野からの移動は「かいがけの道」か
   ③交野のどのルート(6ルート)を通過したか
   ④異説甲賀越え・伊賀越えについて
  
 最後にご提案された「かいがけの道を一緒に歩きましょう」には、女性4人グループの皆さんが先生のお話をお聞きになりながら楽しく参加されたそうです。

講師:池田 裕先生のプロフィル
 忍者忍術研究、郷土史研究、薬草毒草研究、地名研究を行う。忍者研究のため大阪より伊賀に引っ越す。伊賀より交野市や枚方市まで往復1 2 0kmを25年間通勤する。
表の顔は英語教師で毎夏海外で忍者講演を10年間実施。今夏もアメリカで講演を行った。コロナ前は主にイギリスを中心にヨーロッパで講演を行う。産経新聞11年間"Ninjalogy"で忍者コラム執筆した。読売新聞に16年間、「いが地名考」に忍者地名考執筆中。
「NHK 歴史秘話ヒストリア」「NHKラジオ深夜便」「NHK BS Japanology」等に出演。『忍者の教科書』、『忍者の教科書その2』、『忍者文芸読本』(共著)(笠間書院)『伊賀忍者真説49の足跡』、『伊賀流忍術秘伝書』国内外の子ども達に生きる力を与えるための講演を行う。現在『真説家康伊賀越えと服部半蔵』の執筆を構想中。

資料
1.「いが地名考」  読売新聞
2.Ninjalogy   産経新聞
3.「論壇・オビニオン」  京都民報
4.「時の散策」DVD  伊賀上野CATV
5.「歴史人」 【忍者の謎と秘史】 kKベストセラーズ
    2011年(平成23年)8月号

 ※ホームページに掲載するにあたり、講師の池田 裕先生が研究・調査・作成された
   著書・画像・レジメ等を頂戴しましたこと、また、WEBの各種資料など参照させて
   いただきました。記して感謝申し上げます。
 
家康伊賀越え
 
講師 : 池田 裕氏(伊賀忍者研究会 代表)

村田会長の挨拶
 
 
 
 
 
 
「時の散策」DVD・伊賀上野CATVを上映頂きました。
 
 

家康伊賀越え
  講師: 
池田 裕氏(伊賀忍者研究会 代表)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


レジュメ
家康伊賀越え
  講師: 
池田 裕氏(伊賀忍者研究会 会長)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最後の質問がありました「本多家の立葵の家紋と葵の御紋」に
つきましては、下記のホームページを御参照ください。


https://sengoku-his.com/816
 日本史上最長の武家による政権となった徳川幕府。265年にも及ぶ長期政権の礎を築いた徳川家康は、戦国の世を終わらせた最後の覇者といっても過言ではないでしょう。そんな家康を支えたのは、多くの優秀な家臣たちでした。実戦部隊として最前線で戦い続けた猛将や、智謀や軍略をもって重要なアドバイザーを果たした参謀役等々、その覇業には多彩な人材が必要不可欠の存在でした。
 そんななか、徳川家中でひとつの氏の名が特によく見受けられることに気が付きます。その名とは「本多氏」。家康本来の国である三河地方と深いゆかりのある一族で、「本多」を名乗る幾人かの武将が徳川家では重要な役割を担ってきました。
 今回はそんな、徳川幕府成立に多大な貢献をした本多氏の家紋についてのお話です。
   
 本多家 家紋「立ち葵」 徳川家 家紋「三つ葉葵」 

最後までご覧いただきまして有難うございます。

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