<第140回> 令和6年11月定例勉強会
『万葉集』に親しむ
~万葉の女流歌人~
講師 : 岡本 三千代氏(万葉うたがたり会主宰)
青年の家・学びの館 午前10時~12時 38名(会員30名)の参加 |
2024.11.9(土)午前10時、11月定例勉強会に38名の沢山の方々が参加されました。村田会長の挨拶で始まり、講演会は、岡本三千代氏をお招きして「『万葉集』にしたしむ」の演題で2時間「万葉集とその背景」について、パワーポイントを駆使して大変詳しく解説頂きました。
最後に、「万葉集のこと、歴史の背景を知ると尚一層理解しやすい、本日の講演会大変良かったです!」、「万葉集に歌われた植物に大変興味を覚えました」「交野ヶ原万葉学級について?」など、質問が相次ぎ講演会は好評のうちに終了しました。
<講演概要> 「万葉集」に親しむ
1.時雨彩色(しぐれいろどり)
2.代表的な女流歌人
3.君待ち草
4.相聞
5.聖帝オホサザキと皇后イハノヒメ (古事記と日本書紀)
6.春秋競憐歌(春秋シャンソン)
7.磐姫皇后万葉歌碑
7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集。
・ 巻1~巻20まで、およそ4520首(写本によって異なるので)の歌が載ってる。
・ 天皇、皇族だけでなく、庶民の歌も数多く載せられている。
・ すべて漢字(万葉仮名)で書かれている。
・ 最初は数巻がまとめられ、のちに追加され、最終的に大伴家持が20巻にまとめたと
考えられている。
・ 「万葉集」は、「万(よろず)の言(こと)の葉の歌集」からその名がつけられたとも、
「万代(よろずよ)に伝えられるべき歌集」からとも言われている。
※講演会は好評のうちに終了。午後は、交野古文化同好会の女性部のグループが
中心に、「岡本先生を囲んで」昼食会が開催され、大変親しくお話が出来て
今後の活動などに生かされて行く事でしょう。
※今回、講師の先生のご厚意により当日配布された「レジメ」及び資料を
頂戴しましたこと、記して感謝申し上げます。
※ 写真は、毛利さんより提供頂きました。 |
講師 : 岡本 三千代氏(万葉うたがたり会主宰) |
村田会長の挨拶と岡本先生の紹介 |
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甲南女子大学文学部国文学科卒業。在学中に文化功労者である故犬養孝氏に師事、万葉集を学ぶ。その後、奈良女子大学大学院で、再び女子大生に!
「万葉の道」の著者、扇野聖史氏の出会いがきっかけとなり万葉集に作曲。「万葉うたがたり」という独自のスタイルで昭和57年より演奏活動を開始、今日に至り、2023年で活動42年を終えた。
CDや楽譜など作品集も制作。また講座・執筆など活動範囲も広がり、自治体と協力して、ふるさと作りの手伝いや、万葉ロマンの世界を広める活動をしている。元明日香村観光開発公社理事。
平成26年10月犬養万葉記念館の館長に就任。令和6年3月、退任。 |
万葉集の長・短歌に自作のメロディーをのせて「歌い」、万葉集の歌の説明や、また岡本三千代個人の感性で万葉集によせて「語る」スタイルをいつのまにか「万葉うたがたり」と名づけていただいていた。
歌がメロディーを伴うことで、万葉歌がドラマテイックにイメージ化されてくる。 コンサート活動等を通して、古典学習としての「古代文学」ではない『万葉集』の魅力の数々を伝えていき、ひとりでも多くの万葉ファンを増やしていきたいと頑張っている。
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甲南女子大学で万葉学者の故犬養孝氏に出会い、師事したことが、今日のきっかけとなっている。
犬養先生は風土文芸学の立場から万葉集を生涯の研究対象とされた。ゼミ生の私たちは先生と一緒に日本全国の万葉故地を訪れ、時代や情景を万葉時代に戻し、臨場感を味わう体験を通して、万葉歌を勉強し、考証した。その時には必ず、「犬養節」という犬養先生独自の節回しの朗唱に聞き入りながら、または唱和しながら、万葉旅行を楽しむのが「あたりまえ」になっていた。
犬養先生の大阪大学時代の教え子で、銀行マンでありながら並行して万葉集研究をライフワークとされておられた故扇野聖史氏のお奨めで(扇野さんは既にウクレレで万葉歌を歌われていた!?)、万葉歌に作曲をしたことが、最初のきっかけとなった。大学4年の処女作が「二上エレジー」である。
万葉集を覚えようという気持ちで、手探りで作曲を始めたが、犬養先生の朗唱→扇野さんから受けたカルチャーショック→作曲→演奏活動という発展は思いがけないことでもあったし、その後は見えない力・人によって支えられて「私と万葉集」についてライフワークだと公言できるまでに至ったことを感慨深く思っている。
2025年には活動45週年を迎える。 |
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(しぐれいろどり)
万葉集の巻8巻10には、四季・自然の歌が多い。
【四季】万葉の人が感じた日本の季節感を、歌を通じて感じたり、共感できます。
【自然】万葉の人々が触れていた豊かな自然への想いを知ることができます。
『万葉集』では、黄葉の歌は、四季に部立(ぶだて)されている巻8や巻10に集中し、時雨(しぐれ)は黄葉を色づかせ、散らす天象として大きな位置を占める。地名としては、三笠(みかさ)山や竜田(たつた)山などが多い。また、「もみち葉の」は、はかなく散りやすいことから、「移る」「過ぐ」にかかる枕詞(まくらことば)として用いられる。紅葉は視覚的に賞美するとともに、手折ってかざし(挿頭華)とすることも多く詠まれている。
1605 高円の 野辺の秋萩 この頃の 暁露に 咲きにけむかも
作者は大伴宿祢家持。
高円山(たかまどやま)は奈良市春日山の南方の山。「この頃の暁(あかとき)」は
1603番歌の「この頃の朝明」と同意。「高円山の野辺の秋萩はここ数日の露を受けて咲いたであろうか」という歌である。
1571 春日野に 時雨降る見ゆ 明日よりは 黄葉かざさむ 高円の山 作者は藤原朝臣八束。
春日野は平城京の東方に広がる野。高円(たかまど)山は春日山の南、大文字焼きが行われる山。「黄葉かざさむ」はいうまでもなく、高円山自体が黄葉化することである。「春日野にしぐれが降っているのが見える。明日は高円山は黄葉に覆われるだろう」という歌である。
1553 時雨の雨 間なくし降れば 三笠山 木末あまねく 色づきにけり
作者は衛門大尉大伴宿祢稲公。稲公は1549番歌に出てきたばかりで、衛門大尉は宮城警護の役所で長官、次官に次ぐ役職。
「間なくし降れば」はむろん「降ったら」などという仮定語ではない。「降るので」という意味である。三笠山は春日大社の背後の山。木末(こぬれ)は梢のこと。「しぐれ雨が絶え間なく降り続き、三笠山の木々の梢一面すっかり色づいてきた」という歌である。
1554 大君の 御笠の山の 黄葉は 今日の時雨に 散りか過ぎなむ
前歌に大伴家持が応えた歌。
「大君の」は本来天皇を指す用語であるが、本歌の場合は「御笠(三笠)の山」の美称と考えていいだろう。ただ、御笠にかかる「大君の」は本歌のほかに1102番歌の一例しかなく、断定し難い。「岩波大系本」や「伊藤本」は枕詞としているがむろん枕詞(?)である。「御笠の山の黄葉(もみぢば)は今日のこの時雨で散ってしまうだろうか」という歌である。 |
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岡本先生に解説いただきました、三笠山の参考写真です。
手前は荒池、向こうは奈良公園、三角形の山が三笠山(御蓋山)(みかさやま)である。
背後は春日奥山(春日原始林)。御蓋山の全容が真近に眺められる。 |
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