<第149回>  令和7年10月定例勉強会
「松尾芭蕉は忍者だった?」
講師 : 池田 裕氏 (伊賀忍者研究会 代表)
青年の家・学びの館 午前10時~12時
 30名(会員25名)の参加
 2025104日(土)午前1010月の定例勉強会に30名(内会員25名)の大勢の方々が本日の芭蕉と忍者を楽しみに参加されました。

巽会長より、テレビ等で本日決定する自民党新総裁の選出で論戦が交わされていますが、この時間はすべてを忘れて楽しんでください、私も芭蕉と忍者の話は楽しみにしています。との話があり。盛岡事業部長より、本日の講師、伊賀忍者研究会代表 池田裕先生の多彩な経歴の紹介があり、始まりました。

池田先生には、今回の講演で3回目となりますが、1回目の第131回令和510月の定例勉強会「家康伊賀越え」では神君伊賀越えでの忍者の活躍を取り上げました2回目の第140回令和610月の定例勉強会では、「忍者ってなんだ」の講演では忍術、忍者の歴史・役割、地名考(全国の忍者が住んでいたと思われる地名)等忍者の基礎を勉強しました。

今回講演は勉強してきた知識を生かせる「松尾芭蕉は忍者だった」です。

芭蕉忍者説としては、奥の細道の不自然な旅程等で発展し、様々な発想が生まれています。今回は、松本清張・樋口清之等考古学者、作家の諸説をたどり、地元伊賀の芭蕉に関連する、義仲寺.・愛染院等の関連性、芭蕉十哲の一人河合曽良の奥の細道同行時の動き.、いが地名考、俳句で歌われた真意等、地元第一の研究成果を講演いただきました。

参加者の声、忍者に興味があり参考になりました、前回も参加しました。両親が伊賀出身で伊賀の話が聞きたかった等ありました。

本日は早朝より雨の降る中お疲れ様でした。
「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる 」 
       松尾芭蕉  奥の細道より

<講演概要> 「松尾芭蕉は忍者だった?」   
 1.奥の細道  2.芭蕉は忍者?諸説をたどる
 3.芭蕉を敬愛 土芳の「隠蓑」 4.柘植に芭蕉句の古池か
 5.芭蕉も旅支度?思いはせ  6.芭蕉詠んだウニ採掘地
 
 ※ 当日の講演に使用された 「松尾芭蕉は忍者だった?」
   (パワーポイント資料)は、スライド化して掲載しております。

 ※ 講師:池田 裕先生のプロフィル
 伊賀在住の忍者忍術研究家、伊賀郷土史研究家、薬草毒草研究家。
忍者研究のため大阪より伊賀に引っ越す。伊賀より交野市や枚方市まで往復1 2 0kmを28年間通勤した。現在は津市の高校で英語を教えている。表の顔は英語教師であるが、毎夏海外で忍者講演を12年間実施。今夏もアメリカフロリダ州マイアミ・テキサス州・サンアントニオで講演を行った。コロナ前は主にイギリスを中心にヨーロッパで講演を行う。産経新聞で11年間"Ninjalogy"で忍者コラム執筆した。読売新聞に18年間、「いが地名考」に忍者にかかわる「地名考」を執筆中。「NHK 歴史秘話ヒストリア」「NHKラジオ深夜便」「NHK BS Japanology」等に出演。『忍者の教科書』、『忍者の教科書その2』、『完本忍者の教科書』『忍者文芸読本』(共著)(笠間書院)『伊賀忍者真説49の足跡』、『伊賀流忍術秘伝書』『忍者ってなんだ!』『伊賀地名考』等、国内外の子ども達に生きる力を与えるための講演を行う。
現在『芭蕉と忍者』『真説家康伊賀越えと服部半蔵』の執筆を構想中

 ※今回、講師の先生のご厚意により当日配布された「レジメ」及び
     「松尾芭蕉は忍者だった?」のパワーポイント資料を頂戴しましたこと、
     記して感謝申し上げます。

 ※ レポートと写真は、竹澤利直さんより、写真は、毛利さんより提供頂きました。  

講師 : 池田 裕氏 (伊賀忍者研究会 代表)

巽 憲次郎会長 挨拶

盛岡事業部長の挨拶
 

「松尾芭蕉は忍者だった?」レジメ
講師 : 池田 裕氏 (伊賀忍者研究会 代表)

松尾芭蕉は忍者だった?(パワーポイント)

最後までご覧いただき有難うございました

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