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2020.8.10


交野市の毛利信二さんから投稿頂きました。

 星田の浅間堂(せんげんどう)のお参りが厳粛に執り行われました。 
               記
   日時:8月8日(土)17時〜
   場所:星田の浅間堂(全現池のほとり)
    胎蔵界の本尊の大日如来(木造) は本堂、
    金剛界の本尊の大日如来(石造)は右側の祠に祀られています。
    毎年8月8日は縁日です。

 ★いきさつ:星田村の奥田浄安さんが、京都の仏師に「大日如来」を造立してもらい富士山の山頂まで背負って登り、富士浅間社で開眼供養を行ってもらいました。
 これは、江戸時代の初め、延宝5年(1677年)6月のことです。そして、星田の自宅に祀っていたのですが、昭和50年代から全現池のほとりのお堂に安置されています。
 当日は、星田神社の佐々木宮司や氏子役員、市民の皆様がお参りされました。

*『星田懐古誌 下巻』には、奥田浄安が、延宝5年6月に大日如来を背負い富士山の浅間神社で開眼供養したと記載があります。

佐々木宮司のご挨拶 (本堂の前)

法要の開始

胎蔵界の本尊の大日如来(木造)

大日如来の拡大写真
 
「六根清浄抜詞」と「天地一切清浄抜」を全員で、朗唱

参列者の皆様

参列者の皆様

金剛界の本尊の大日如来(石造)が祀られている祠

金剛界の本尊の大日如来(石造)

大日如来
 
役行者

全現堂池

全現堂池
 
 2015年1月2日、交野古文化同好会の初歩きで「浅間堂池」を訪ねました。

せんげんどういけ
 以前は3段になった三つの池があった。上から「上の池」(新池)、「中の池」(浅間堂池)、「下の池」(今池)と呼んでいた。新池は水田に、今池は住宅地に変貌した。
   せんげんさんといい、8月7日に池の西にあるお堂で護摩が焚かれた。池の中に竹を四方に立て縄を張り御幣をつるし、その中で8月5日〜8日まで朝昼晩の3回水行をした。8日は千燈が上がった。

 先現講は、昭和28年、12軒の講員があった。「南無先現大日如来」とお唱えして礼拝した。この神さんは神仏合体だが、少し神さんが勝っておられて、農家の神さんと言われている。毎月の命日は16日で、終戦までは講員の家々を回り持ちで供養した。

 浅間堂池や金現堂池に字が変わっていったのは。富士垢離講(ふじこりこう)の衰退から、浅間堂が建てられてある意味が人々の意識から薄らいで行くにしたがって、文字そのものも発音だけにとられて、それに該当する漢字をあてはめたものと思われる。
  星田にあった富士垢離講の先達であった奥田浄安という人が、延宝年間(1673〜80)に、大日如来の仏像を京都の仏師に依頼した。完成した仏像を富士講の世話方と富士山に担ぎ上げ、富士山頂にある富士浅間社の奥の院で開眼供養を行って星田に持ち帰った。
 これにちなんで、この仏像を富士浅間大日如来と呼ぶようになった。この堂の横に小堂が建ち、役行者の像が祀られている。池に降りる石段があり、池には半円形状に杭を打ち込んであるが、これは修験者が水垢離をする場所にもなっている。
 
浅間堂  本堂と祠
 
全現堂池

金剛界の本尊の大日如来(石造)

役行者の像


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