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広州・台南見聞録
 旧暦七夕に中国広州と台湾台南から招待を受けて両地を7日~14日まで訪問しました。
暑中見舞いと留守中のご支援に対する礼状に代えて、両地域の旅の見聞録を書きましたのでご笑覧ください。

A.先進ソフトで先進国猛追。
両地域共に公共交通機関が急速に発達し特にソフトに感心させられました。

・広州国際空港にて

広州は伝統ある広州交易会が有名で経済界では世界的に知られたところです。空港も大きく、乗客数も多いところで当然空港は混雑するのですが航空券の自動販売機が設置されていて乗客はパスポートを入れて目的地等必要事項を入力すると自動発券されるので航空会社のカウンターでは荷物を預けるだけで時間短縮と混雑緩和に役立っています。
このように書くと大変スムーズだったようですが航空券自販機は慣れるまでは時間がかかり、大奮闘させられました。

←南方航空の航空券自動販売機(Self Check-in)


・台湾新幹線(高鉄)桃園駅にて
改札口で自動改札機に切符を入れると少し進んだところに切符が出て来るところまでは日本と変わらないのですがそこで切符を引き抜くことで初めて扉が開きます。つまり切符の取り忘れを完全に無くすためのフールプルーフシステムが出来ています。ホームでアナウンスに寄る騒音は煩わしいものですが基本的に騒音を発しないようにしているのは欧米に近いと云えます。料金は高齢者優遇(敬老の文字入)で台湾ではパスポートを見せるだけで外国人も半額になりました。

B.二人の通訳
広州七夕国際フォーラムで小論を発表する機会があり私をサポートする通訳は何伍君さんという若い女性でした。彼女とは論文を送る段階から交流を続けました。彼女からの最初のメールに「何(か)さん」と呼んでくださいと有りましたが君と云うのは日本人にとっては男性の呼称なのでメール交信の時には時々男性と誤解して文章を書くこともありました。しかし、日本でも「葵の君」「淀君」等のように君を使っていた時代がありました。
彼女の文章は所謂「てにおは」が混乱していることもありましたが理解力も事務処理能力にも優れていたので大いに助かりました。
台湾のピーさんは台湾の年配者には珍しく日本語は出来ませんでしたのでメイリさんがピーさんとの仲立ちをしてくれました。この二人の通訳の場合にはこちらが奮闘するのではなく、むしろ気を使う立場で大いに奮闘したのは彼女たちでした。学会の通訳には語学力に加えてテーマ(七夕伝説)に対する理解力と両国の多様な文化知識が必要でした。

C.スマホとPCの活用
広州の若者のスマホの活用はすざましいものでほぼ100%が活用していた。通訳の途中でも辞書代わりに活用し、知らない問題も即座に問題を解決した。所謂携帯電話の単独使用は最早見られなかった。台湾のPiさんはホテルのオーナーで年配者ながらパソコンを自由に使いこなしていた。

D.政治、外交問題
広州では政治問題が心配されたがその心配は現地では一切感じられなかった。懇親会では例によって男性年配者が「北国の春」を歌うサービス振りであった。サービスと云えば懇親会の前に通訳の何(か)さんからサプライズがあるかも知れないと教えられていたが突然バースデイケーキが出された。これは私が講演の中で今年77歳にになった今、七夕(7月7日)の節季に因んだ七夕伝説について語ることは誠に光栄であると話したことが原因だったようだ。本当の誕生日は2月なのですが通訳に誤解があったのではなく、今年77歳と解し、大陸的アバウトの考えで発案されたものと思い些細な訂正はしないことにした。
今回は通訳だけでなく石書記の代理で参加した陳さんをはじめ台湾、香港組共に女性が圧倒的に多かった。因みに陳さんの名刺を見ると常務委員で統戦部長と云う厳めしい肩書でしたが笑顔を絶やさない聡明な女史でした。
経由地の台北で見学した台湾国立博物館では児玉源太郎総督及び後藤新平民政局長官(当時)を顕彰する髭の銅像が設置された記念コーナーが顕在だった。台南では華南開発で有名な八田与一博士を顕彰する役所が活躍していた一方で「陸軍用地」跡と刻まれた瓦葺の和風の小屋が遺されていたのは戦時の痕跡を全て消そうとしている国とは彼我の差を感じた。

E.七夕乞巧伝説の継承
本題は別途報告するのでここでは簡単に触れて置く。
広州乞巧節(七夕祭)は天河珠村で800年以上受け継がれたものを2005年から「広州乞巧文化節(広州七夕文化祭)」とし、政府の行事として行ってきたものを更に拡大、国際化するために私をはじめ、台湾、香港から10人の顧問が招聘されました。私を推薦したのは今年交野が原の七夕史跡を見学に来た台湾グループのPiさんだったようです。更に日本の他都市は旧暦の同時期に七夕まつりをしていたので交渉に手間取ったと推定されるが来年以降には他の都市も参加するものと思われます。私は講演の中で、国際サミットと七夕博物館の建設を提案したが広州では七夕博物館がタイミングよくオープンした。
広州乞巧文化節及び講演会の内容については現地新聞の写真と記事を参照ください。
羊城晩報の記事は以下にもあります。
http://news.sina.com.tw/article/20130809/10357404.html

台南の七夕まつりは市内各地に存在する寺院を中心に16歳の成人を祝う行事として街ぐるみで又学校の行事としても行われていました。約10kgの新米袋を肩に担いで「十六歳」になると「七娘媽」へのお供え物が置いているテーブルをくぐった瞬間に大人の仲間入りをし、それを祝うかのように頭上に塔の形をした飾りを載せていた。
広州・台南共に成人の行事と結び付けている点は共通していた。又、広州、台南共に伝統行事と革新的行事が共存していたが大阪・京都で行われているようなLED球を河に流すことは無かった。
広州七夕集合写真
 
前列右から7人目が筆者
 
朝日新聞七夕窓

 羊城新聞 七夕連鶴写真
 
広州新聞 拓本贈呈
 
南方日 顧問就任記事と写真
 和文 中国七夕天河 投稿論文 (PDF)


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