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森の氏神川東神社は、西に天田の宮と隣合って 三ツ又川の東側に祀られている。江戸後期ごろか? 天田神社が私市・森の氏神さんだった。 祭神は品陀和気命(ほんだわらけのみこと)、森林を後ろにして 砂白く清楚な社である。その由緒は伝わっていない。 当社の前に円柱状の灯篭の変形のようなものが一対立っている。 それには壽永寺元皓と僧名が刻まれている。この人はもと森向井家の出で、須弥寺本隆和尚に導かれて佐太来迎寺に入り、後江戸浅草の 幡隨院で修業し、遂に宗学の奥を研めたので、芝増上寺走誉によって 江戸寿永寺住職にせられた人。寛永年間父母の墓参のため森に帰り当村領主大久保家のために大いに尽くすところがあったので、同家よりその宗家向井五衛門に扶持、馬、槍を許した。 よって、向井家では当社の前に長い広場を設けて、そこを調馬場 とした。(現在) 又この人は氏宮へ石鳥居を寄進したが、後それが倒壊したので その材を用いて立てたのが、現在社前にある一対の立石である。 当社の創建年代は詳らかではないが森地区は古来岩清水八幡宮の所領であった事が知られ、平成十二年には区域内の 河内磐船駅北側より平安時代の三宅山荘園の遺構が発掘され、鎌倉時代まで荘園が続く事が確認された。また森地区の氏子は石清水八幡宮の勅祭岩清水祭に御先払神人として毎年奉仕しており未だに強いつながりを持っている。このような事から氏神として八幡大神である御祭神をお祭りしたものと思われる。 交野町史より参照 |