小さくてひっそりとしたお寺の中に、国の重要文化財に指定された阿弥陀如来立像がある。 なかでも、この像のような、彼の創り出した半等身の来迎印を結ぶ阿弥陀如来像は、その小作りで静かな優しさが人々に好まれたため、後世それにならって多くの模刻像がつくられることになった。その系統の像を安阿弥陀様と呼んでいる。 放射光形式の光背や、六重蓮華座も、造立当初のもので、仏像・台座・光背の三拍子がそろってセットで伝わっているのは貴重です。しかも全体に、後世補ったところや、欠けてなくなった部分はわずかで、驚くほど保存状態は良好です。用材はヒノキ材で、この時代に小ぶりの像によく用いられた割矧造りでつくられていると推定され、眼は玉眼としています。 像は、螺髪を群青彩とするほかは、肉身と衣を漆箔仕上げとし、光背と台座には、群青、録青および朱などで彩色を施し、一部に切金をおきます。快慶の署名は、左足の外側に墨で「巧匠 アン(梵字)阿弥陀仏」と謹直な書体ながら、必ずしも能書とはいえない筆致で書かれています。 流れるように美しい衣線や、青年のような若々しい表情など、快慶の意欲が伝わる造形美である。 山間のお寺らしい静けさがあり、心がひときわなごみます。
天長三年(826)交野、大和の一帯が日照り続きになり植えた苗がほとんど枯れてしまった。
天皇は直ちに弘法大師を呼び、交野地方に雨が降るように祈願する事を命じられた。
天皇はその効をおほめになり、八大竜王を祭る寺を八葉蓮華寺と号し、その下に八つの坊を建てられた。
その後、元享元年(1321)法明上人が交野に御化道(ごけどう)の際、 上左の写真は昭和58年4月、 現在の蓮華寺はかっての位置から一段西に場所を変え、明治36年(1903)ごろ再建されたものである。 |
公開日 毎年 春・秋の一般公開日 (問合せ先 交野市文化財事業団 072−893−8111) 拝観料:保存協力費300円 住吉神社(寺村)より峡崖越(かいがけごえ)の急坂を登って約30分。傍示(ほうじ)の里にあります。 |
奈良時代から平安時代以降、熊野参りの人々がこの道を利用した。平安時代から鎌倉時代にかけて、京都の天皇や貴族たちの熊野(和歌山県)参りがさかんになり、京都から鳥羽に出て淀川を船で下り、交野にあがって「峡崖(かいがけ)道」をのぼりつめると大和へ出る。 いまは、ハイキングコースとして良く利用されている。 |