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広報 かたの 特集シリーズ

歴史民俗資料展示室へようこそ かたの歴史探訪
ー森古墳群と鍋塚古墳ー
 今回は、市内の古墳の中から、前期古墳として近畿でも著名な「森古墳群」と鍋塚古墳」について紹介したいと思います。

森古墳群発見の経緯
 小学生が大発見!
 森古墳群の発見には、衝撃的なニュースがありました。
 それは、今から26年前の昭和55年、新聞の見出しに大きく「小学生が大発見、交野丘陵に古墳群」と報道された、歴史好きな小学生による画期的な大発見でした。
 当時、化石探しに夢中になっていた岩船小学校の児童3人が、森地区の山の中を歩き、壷や埴輪の土器の破片を見つけました。それは、単なる壷の破片というだけでなく、まだ円筒埴輪も存在しない時期の二重口縁をもつ壷型土器の破片でした。
 発見された土器の破片はきれいに復元され、今は歴史民俗資料展示室左奥のコーナーに展示しています。当時のニュースをご存じの方などは熱心に見学されています。
 岩船小学校から土器発見の連絡を受けた市の教育委員会が、すぐに調査を開始したところ、前方後円墳4基、円墳1基が見つかりました。
 これらの古墳は、形などから交野最古の古墳と考えられるだけでなく、近畿でも屈指の古い古墳であることが分かり、大きく新聞報道されました。
 この古墳は、府の教育委員会や文化庁と協議の結果、「森古墳群」と命名されました。


森古墳群発見当時の新聞記事
(昭和55年3月9日付毎日新聞朝刊より)

壷形土器

 昭和55年、森古墳群発見のきっかけになった土器です。特徴として口縁が大きく外側に反っていること(二重口縁)、底部に穴が空いていることがあげられます。

円筒埴輪

 特徴として外面の調整に縦方向のハケ目がみられること、底から7センチほど上方に内部から穴をあけた刺突文と呼ばれる穴が水平にめぐることがあげられます。

森古墳群の特徴
 邪馬台国の女王卑弥呼の墓と同時期・同タイプ?

 森古墳群は、昭和56・57年、奈良大学考古学研究室の協力を得て、測量調査が行われました。
 その結果、森の集落に近い崖よりの土器発見地点よりさらに山奥へ600メートルほど進んだ標高150メートルの場所で、森古墳群の中で最大の前方後円墳「雷塚古墳(1号墳)」が発見されました。
 雷塚古墳は、全長106メートル、後円部径56メートル、尾根の高まりを巧みに利用してつくられています。特徴は、後円部に比べて前方部の幅が小さく、高さが極端に低い点、前方部先端が三味線のバチのように開く点などから、古式古墳と考えられています。
 雷塚古墳と同タイプの古墳としては、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかと言われている奈良県桜井市の箸墓古墳、京都府山城町の椿井大塚山古墳などがあげられます。
 卑弥呼とは、中国の史書「三国志」の魏志倭人の項に「邪馬台国の卑弥呼という女王が、日本を治めて大きな墓をつくった」と記されている人物です。西暦248年ごろ没しました。


森古墳群の位置図
鍋塚古墳
 雷塚古墳から、傍示の里へと続く道を400メートルほど登った地点に、北河内、北摂地域まで見渡せる素晴らしい眺望の場所があります。ここから、弥生時代後期の土器が多数出土したことから、奈良へと抜ける街道筋に所在する高地性集落「南山遺跡」が発見されました。鍋塚古墳は当初、この遺跡の西に位置する古墳時代後期の群集墳の一つと考えられていました。
 平成7年、ここに防災無線の基地を建設することになり、発掘調査したところ、鍋塚古墳は全長67・、後方部の南北長が35メートルの竪穴式石室をもった前方後方墳であることが分かりました。この古墳も森古墳群と同様の古式古墳であります。

鍋塚古墳の噴石
古墳の被葬者
 肩野物部氏という豪族

 森古墳群や鍋塚古墳は、3世紀の終わりごろから4世紀末にかけ、尾根筋の高みから低みへと順次築造されていきました。
 大阪府文化財センター理事長の水野正好さんによると、これらの古墳群の被葬者は、物部氏の一族、肩野物部氏という豪族であると考えられています。
 平安時代の歴史書「先代旧事紀」によると「饒速日尊が天祖(天照大神)のおおせによって、天の磐船に乗り河内の国河上の哮峰に天降った」と記されています。饒速日尊とは、物部氏の祖先といわれており、天降ったといわれる伝承の地哮が峰は、星田園地の入り口にあります。そこから天野川をさかのぼった、磐船街道沿いの磐船神社には、饒速日尊が御祭神としてまつられています。

古墳跡を歩いてみよう
 おすすめハイキングコース

 森古墳群を代々築造した人たちは、どこに住んで生活をしていたのでしょうか。豪族肩野物部氏の館はどこにあったのでしょうか。
 河内磐船駅周辺から天田神社にかけて、古墳時代の遺物が多数出土しており、このあたりから居館が見つかるかもしれません。
 秋の行楽シーズンに、今回紹介した古墳跡をハイキングがてら見て回ってはいかがでしょうか。北河内から北摂が見渡せる素晴らしい眺めや竜王山の勇姿、かいがけの道などおすすめのコースになっています。

歴史民俗資料展示室ボランティア解説員 村田義朗

住 所 交野市倉治6−9−21(教育文化会館内)
▽JR津田駅から徒歩10分
▽交野市駅から、京阪バス「津田駅」行き、「南倉治」下車、徒歩1分
▽ゆうゆうバス、倉治コース、「南倉治バス停」下車、徒歩1分
開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日・火曜日・祝日・年末年始
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)か、同展示室(TEL810・6667)

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