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〜平安時代の交野〜 |
794年に平安京に都が移され、平安時代が始まります。この時代には奈良時代の天皇を中心とした、律令による国のあり方が少しずつ変化を遂げ、藤原氏などの貴族が力をつけ、国の中心となって政治を行うようになっていきました。 また、国(現在でいう都道府県)を治めた国司(都道府県の知事のような人)に権力が集中するようになっていく一方で、先月紹介した郡衙はその役割を失い衰退していきます。 このころの遺跡は市内では極端に少なく、平安時代の人々の暮らしの様子はよく分かりませんでしたが、ここ10年ほどの発掘調査でようやくその手がかりが得られるようになりました。 |
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交野の荘園 |
奈良時代、原則として土地は天皇のものと律令(法律)に定められていました。しかし、一部に貴族や寺院が管理・所有する土地があり、これを「荘園」といいます。 荘園として認められる土地は、本来は一部の土地に限られていたのですが、貴族や寺院が勢力拡大のため荘園を増やそうとした結果、律令が変えられ、貴族・寺院が荘園を持つのが一般的になりました。 また、土地を耕作・管理している人も、荘園になると貴族・寺院に守ってもらえるというメリットがあり、積極的に土地を荘園にしてもらうことも多くありました。その結果、日本各地に荘園ができました。 交野を含め、郡衙が管理していた地域も郡衙が衰退して管理が及ばなくなることにより、荘園として管理されるようになりました。交野では、森遺跡から東側一帯が石清水八幡宮の荘園になっていたことが記録に残されています。
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「施釉陶器(せゆうとうき)」 |
森遺跡の東側、現在の岩船小学校辺りは、荘園となる前の奈良時代までは生活の痕跡はほとんどありませんでしたが、ここから平安時代の終わりごろの、土地を区画する溝や井戸が見つかり、また、この溝から「施釉陶器」という珍しい焼き物のかけらがみつかりました。 これは土器にうわぐすりをかけて二度焼きすることで、光沢をもたせて美しく焼き上げるとともに、耐水性も強くしたものです。 施釉陶器は、当時の文化の中心である平安京で多く使われる一方、地方になるとあまり見られなくなるものです。 これまで、どのように利用されているのかはっきりしなかったところの暮らしに、突然に平安京の文化が持ち込まれていたのです。 このような変化から、石清水八幡宮の荘園となったことをきっかけに、この地域が発展したと考えられます。 また、施釉陶器は私部南遺跡からも見つかっています。 |
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千年守られた仏像 |
飛鳥時代後半から奈良時代に広まった仏教寺院は主に平地に作られていたの対して、平安時代に高野山や比叡山が開かれてからは、山地に築かれた山岳寺院が多くなっていきました。 交野の山々にも平安時代に山岳寺院が築かれていましたが、寺院の建物自体は残っていません。 また調査もほとんどされていませんが、次の仏像は千年近くの長い間、地域で守られてきたおかげで現代に残されています。 |
十一面観音立像(星田寺) |
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星田の山奥に小松寺というお寺がありました。このお寺はすでに途絶えていますが、このお寺に所蔵されていた十一面観音立像が、星田寺にまつられています。 |
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聖観音立像(廃千手寺) |
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京阪河内森駅から西へ10分程歩いたところに、廃千手寺収蔵庫という建物があります。 今は失われた千手寺に所蔵されていた仏像たちがここで保管されています。この中に、平安時代後期につくられた聖観音立像があります。 |
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薬師如来坐像(獅子窟寺) |
獅子窟寺にある薬師如来坐像は奈良時代と平安時代の特徴を併せ持ち、穏やかな表情の仏像です。大阪府内に4件しかない国宝に指定されています。 今回紹介した仏像の一部は11月の文化財公開で、解説を聞きながら間近で見ることができます。
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東高野街道のにぎわい |
現在の生活の中にも、平安時代の名残を残しているものがあります。平安京から高野山にお参りするための高野街道のうち、もっとも東に位置する東高野街道が交野を通っています。この道は河内国の中心部にも通じていたため、多くの参拝客が通行する以外にもさまざまな目的で利用され、にぎわいをみせていたことでしょう。東高野街道は、アスファルト舗装をされたり一部経路が変わりながら現在でも使われています。 市内の地形に沿って紆余曲折する細い道には、東高野街道と同じくらい古くからある道もあります。こうした古い道を調べると交野の隠れた歴史をたどることができるかもしれません。 |
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平安時代を考古学してみよう |
先月号で紹介した私部南遺跡には、平安時代も数は少なくなるものの大きな建物が建てられており、施釉陶器も見つかっていることから平安京の文化を取り入れた人々が交野に暮らしていた証拠が見つかりました。 和歌や文学作品に登場しつつも、詳しいことがわからなかった平安時代の交野について今後も新たな発見があるかもしれません。 |
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歴史クイズ
問題
平安時代の女性の服装は、色とりどりの衣を何枚も重ねた華やかなものになります。 このイラストのような装束はなんと呼ばれているでしょうか。 @十一単 A十二単 B十三単 |
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歴史クイズの正解者の中から抽選で1名様に、「ジュニア文化財ガイドブック」をプレゼントします。当選者の発表はガイドブックの発送に替えさせていただきます。
応募方法 10月31日(月)までに@答えA名前B住所C電話番号Dあれば感想・質問を書いて文化財事業団広報プレゼント係(〒576−0052私部2−29−5 e-mail:bunkazai@city.katano.osaka.jp)。 問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)
9月号歴史クイズ答え 正解は、@とCでした。 解説:飛鳥時代や奈良時代の官人の服装についてはわかっていないことが多いのですが、高松塚古墳の壁画や、官人の服装について書かれた文書から推定されています。
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