定例勉強会  青年の家 学びの館
7/25 午前10時  (22名の参加)

 
継体天皇を語る

 講師 寺田 政信氏

 7/25の「継体大王を語る」のレジメを掲載いたします。
このレジメは、全てを取り入れたもので、”松、竹、梅”の”松”に相当するものです。
今回お話したものに大きな尾ひれがついていますが、話した内容と矛盾することはありません。
私の出身の越の国(福井県)の視点が強く入っています。

今回配った、2枚のレジメ(系譜図と活動地図)と今回の詳細のレジメをゆっくりみていただくと、壮大な継体大王物語が展開できます。

継体天皇の系図を指し示しながら説明される寺田政信さん
継体大王(ヲホド王)関係図 及び 系図PDF ← クリック
継体大王(ヲホド王)の軌跡
―越の国から見る継体大王(ヲホド王)のいる風景―
PDF)
 ← クリック
上記の継体大王(ヲホド王)の軌跡と系図、関係図などの関係文書を印刷して、
どうぞゆっくりと照らし合わせながら、ご覧ください。

継体天皇


(越前祖神  足羽神社 HPを参照)
  http://www.asuwajinja.jp/

 継体天皇は応神天皇五世皇孫で、近江国高嶋郷三尾野という所でお生まれになり、御名を男大迹王(おおとのみこ)といわれました。
 御父は彦主人王(ひこうしのきみ)御母は振姫(ふりひめ)といわれ越前国坂中井の娘でした。
 男大迹王が3歳の時、御父が亡くなられたので、御母に従い越前に戻り高向(たかむく、現・丸岡町高椋)でお育ちになり、その御容姿は威風堂々として大変徳の高い御方に成長されました。

 その頃の越前の国は沼地同然で、人が住むには限られた土地しかない国でしたので、男大迹王は大変心を痛められ、足羽山に土地をト(ぼく)して御社殿(現足羽神社)を建て、大宮地之霊(おおみやどころのみたま)を祀(まつ)って神前に祈願し、地の理を調べて現在の九頭竜・足羽・日野の三大川を造られ、三国に水門(みなと)を開き諸水を海に流されて越前平野が出来ました。これが福井の大治水伝説になっています。

これにより、農業が盛んになったばかりでなく川を利用して舟で荷を運べるようになりました。また、道を作り人々の住居を定め、耕種、養蚕、採石、製紙、その他諸産業興隆の道を教えられ、田畑が開け、五穀も良く実り、海川交易も栄えて、人家繁栄の土地となり、天皇は昔より越前開闢(えちぜんかいびゃく)の御祖神(みおやがみ)と称え崇め尊ばれてきました。

 時同じ頃、第25代武烈天皇(ぶれつてんのう)が崩御(ほうぎょ)され、皇統を継ぐ御方が居られなかったので、諸大臣が相談し大連大伴金村等が鳳駕(天皇の乗り物)を備えて、幾度となく男大迹王を高向郷に御迎えに参りました。時に御年58歳、遂にその願いを受け入れられ、河内国樟葉宮(くすはのみや)にて第26代天皇に御即位されました。
 
併せて、下記の継体天皇関連WEBサイトを参照ください!
継体大王の生い立ち、即位後の継体大王など分かりやすく解説されています。
継体大王と越の国・福井


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