平成23年度 11月定例勉強会 講師: 森田 拓馬氏 (交野市文化財事業団) 青年の家 学びの館 午前10時〜12時 14名の参加 |
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2011.11.26(土)午前10時より、11月定例勉強会に14名の方々が参加されました。参加された方の内訳は会員9名に加えて、「会報かたの」催しページなどを見られて参加された方が5名であった。 中会長の挨拶の後、村田氏の司会で始まり、昨年7月に交野市歴史民俗資料室で開かれた特別展「伊勢型紙の世界」、今年8月〜10月に開かれた特別展「ちょっとエコな民具たち〜紙のリサイクル展〜」には沢山の市民の皆さんが見学され、型紙作りの体験をされた事と講師の森田拓馬氏のプロフィールが紹介された。森田氏は、特別展を開くに当たり、寄贈を申し出られた一ノ瀬秀文氏や伊勢型紙の生産地の三重県白子地区などを訪問、伊勢型紙についていろいろと貴重な資料を収集された。 今回の勉強会は、「伊勢型紙について」をテーマに現地で収集された沢山の貴重な資料と自作の赤外線カメラで撮影された写真などをパワーポイントを駆使して大変分かり易くご講演いただきました。講演の中、特に伊勢型紙を赤外線カメラで撮影し浮かび上がった商印や墨書き文字から生産地を解明する手法に、新鮮味を感じ大変驚いた。 講演後、伊勢型紙を長年保管され2年前に交野市に寄贈された、一ノ瀬氏のお話などを伺がった。今後は、奥野平次氏がいつどのようにして伊勢型紙を手元に持っておられたのか、どういう経緯で研究資料として弓削氏に貸し出されたのかとなど、当時の事情を聞きとりしたり、また周辺地域の所蔵品(商印)などを調査して、どこで、誰によって作られ、何を染めるために使われた型紙なのかなどが解明されることを期待したい。 HPの掲載に当たり、講師のご厚意で当日配布されたマニュアルやパワーポイントの資料などを提供頂きましたこと、記して感謝申し上げます。 |
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中会長の挨拶 |
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講師の森田拓馬氏 |
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「交野市所蔵の伊勢型紙について」 森田拓馬 2011.11.26(土) @伊勢型紙とは A交野市所蔵の伊勢型紙 B仮説という名の妄想・迷走 C結局、何が分かったの? @伊勢型紙とは 和紙を柿渋で塗り重ねた渋紙(型地紙)を掘り抜いた、主に型染作業で使用される道具です。 現在の三重県鈴鹿市白子・寺家地域に伝わる伝統産業で、伊勢型紙彫刻技術が「重要無形文化財」(文部科学省)に、伊勢型紙が「伝統工芸用具」(経済産業省)に指定されています。 A交野市所蔵の伊勢型紙 現在交野市には、平成21年に市民の方から寄贈された251枚の伊勢型紙が所蔵されています。その来歴については不明な点が多く、「いつ」「どこで」「誰によって」作られたものなのか、そして「いつ」「どこで」「何を染めるのに」使われた型紙なのかを確定できないか、 調査が始まります。以下は聞き取り調査の結果と、文化財事業団への寄贈後の展示記録です。 1970年代? 奥野平次氏の手元にあった。その後、大阪市立大学生活科学部繊維学科教授 弓削治氏(青山)に研究資料として貸し出される。 1980年代 弓削氏の転居に伴い、同僚だった市内在住の一ノ瀬秀文氏に預けられる。 一ノ瀬氏は青年の家に届けるが、対応した職員は寄贈を受けなかった模様。 その後、20年以上にわたり一ノ瀬氏が保管して下さる。 2009年 一ノ瀬氏、高尾秀司氏案内のウォーキングに参加。高尾氏の連絡により、 交野市文化財事業団が型紙の寄贈を受ける。 劣化していた型紙の清掃、調査を行なう。 2010年 交野市教育文化会館にて企画展「伊勢型紙の世界」展が行なわれる。 2011年 企画展「ちょっとエコな民具たちpartU 〜紙のリサイクル展〜」 B仮設と言う名の妄想・迷走 現在の所蔵機関としては「交野市域で使用されていたのか、否か」を判明させたい。そこで1970年代以前の来歴について、門外漢の私が妄想してみました。 仮説その1 型紙は全て交野市で作られ、交野市内の染め屋で使用された。 「勢州・白子」という商印の型紙がある。全て交野市で作られたわけではない。 仮説その2 商印の押された型紙は白子・寺家で作られたが、商印のないものは交野で作られた? →全ての型紙に商印が押されているわけではない。 →職人でなくても作れそうな、作りの荒い型紙がある。 →墨書が浮かび上がる型地紙がある。型地紙(渋紙)を転用紙で作った? →そういわれてみると、出来の悪い、収縮した型地紙がある!自家製型紙か? →墨書を読めば、その記述内容から地域=型紙の産地がわかるのでは?! 染めに使われて見えなくなっていた商印もいくつか見つかった。 しかし、墨書の内容は交野地域どころか、関西地域以外も含まれる。 墨書の転用紙で作られた型地紙は、白子・寺家でも作られている。 収縮した型紙は、型地紙の製造方法の違いによるもの。 C結局、調査によって何が解ったのか&今後の課題 |
美濃紙〔みのがみ〕を柿渋〔かきしぶ〕で貼り合わせた型地紙〔かたじがみ〕(渋紙〔しぶがみ〕)に、専用の彫刻刀で様々な紋様を彫り抜き、布地に紋様を染め出すための型紙です。この染めの技法は型染と呼ばれ、型紙は主に三重県・鈴鹿市の白子[しろこ]・寺家〔じけ〕地域で盛んに生産されました。紋様染めには手描染〔てがきぞめ〕・絞染〔しばりぞめ〕・型染〔かたぞめ〕が使われていますが、そのなかでも型染は量産性に優れ、紋様を均―に染め出すことが出来るため最も多く用いられる技法です。 伊勢型紙は紋様を着物の生地に染め付けるために使用します。他にも陶器や漆器などの紋様の型として使用される例もあり、多くの染付型として利用されています。 伊勢型紙・の彫刻技法には、錐彫〔きりばり〕、突彫〔つきばり〕、引彫〔ひきぼり〕、道具彫〔どうぐばり〕があり、型を安定させるための糸入れ〔いといれ〕等の付属の技法があります。 型地紙は伊勢で生産されたもの多いため伊勢型紙と呼ばれ、その伝統は現在にも受け継がれています。 伊勢型紙の発生についてはぃろいろな説があり、正確な時期は判りませんが、室町時代の絵図に型紙を利用する職人が描かれていることから、この時期には型紙が存在していたと考えられています。 自子地方で伝えられる型紙彫刻技法が有名になつたのは、江戸時代にこの地域が徳川御三家のひとつである紀州家の領地となってからです。紀州家は伊勢型紙を紀州藩の産業として手厚く保護したため、伊勢型紙の生産は飛躍的に伸びることとなりました。 現在では紋様の彫刻は生産地で行われることが多くなりましたが、使用される渋紙は白子地方で生産されたものが大半であり伊勢型紙として広く知られています。 *柿渋・・・渋柿を砕いて圧搾〔あっさく〕し、その絞り汁を発酵させたもの。塗料や防腐剤として利用されてきました。 *「形紙」の表記は経済産業大臣の伝統工芸用具指定、「型紙」の表記は文部科学大臣の重要無形文化財指定を受けたものを指します。 1.法作り(ほづくり)・・・和紙を重ね型紙の規格に裁断します。 2.紙つけ・・・和紙を紙の繊維が縦・横・縦になるように柿渋で張り合わせます。 3.乾燥・・・張り合わせた和紙を桧の張板に貼り天日で乾燥させます。 4.室枯(むろがらし)・・・乾燥した紙を燻蒸室[くんじょうしつ]にいれ約1週間燻[いぶ]します。この後柿渋に浸し、天日干し→燻蒸を繰り返し表面の点検を経て製品となります。 1.突彫(つきぼり) 5〜 8枚の型地紙を重ねて敷板〔しきいた〕(穴板〔あないた〕ともいう)の上に置き、小刀で垂直に突き刺すように彫りすすめていく技法です。突彫用の小刀の刃は長さや幅を彫る紋様にあわせて使用しやすいように職人の手で加工が施されています。型紙の彫刻技法の中で最も古い技法です。 2.錐彫り 小紋を彫るときに使用される技法です。刃先を半円筒形にまるめた錐〔きり〕を使用し、型地紙に錐を突き刺し回転させて小さな孔を開け、その連続で紋様を表します。他の技法と併用することもでき多くの紋様に利用されています。単純な表現方法ですが、彫刻には高度な技術を要します。 3.道具彫り 刃先を花や扇、松などの形に加工した道具刃物を使用し、ひと突きで紋様を彫刻する技法です。均一な紋様を彫ることができ、他の技法と組み合わせることで色々な表現ができる特徴があります。江戸時代の終わりごろから流行した技法とみられます。 4.引彫り 小刀を手前に引いて型地紙を彫る技法です。元々縞柄〔しまがら〕を彫るため(縞彫〔しまぼり〕)に発達した技法であり、定規を使用して均等に縞柄を彫ります。縞を彫るためには同じ場所を小刀でなぞるため高い技術が求められます。彫り残された部分が弱く固定しにくいため、糸入れが必要となります。 5.糸入れ 彫り残しの少ない型地紙は染色するときに紋様がずれるおそれがあるため、糸入れという技法で補強します。糸入れ用の型地紙を使用し彫刻した後に2枚に剥がし、紋様に応じて絹糸を縦・横・斜めに張った後、柿渋で元通りに貼り合わせます。 |
当日、森田拓馬氏が講演されたパワーポイント画像を 紹介いたしますので、参考にご覧ください。 |
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伊勢型紙 |
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5〜 8枚の型地紙を重ねて敷板〔しきいた〕(穴板〔あないた〕ともいう)の上に置き、 小刀で垂直に突き刺すように彫りすすめていく技法です。 突彫用の小刀の刃は長さや幅を彫る紋様にあわせて使用しやすいように 職人の手で加工が施されています。型紙の彫刻技法の中で最も古い技法です。 |
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小紋を彫るときに使用される技法です。刃先を半円筒形にまるめた錐〔きり〕を使用し、 型地紙に錐を突き刺し回転させて小さな孔を開け、その連続で紋様を表します。 他の技法と併用することもでき多くの紋様に利用されています。 単純な表現方法ですが、彫刻には高度な技術を要します。 |
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刃先を花や扇、松などの形に加工した道具刃物を使用し、ひと突きで紋様を彫刻する技法です。 均一な紋様を彫ることができ、他の技法と組み合わせることで色々な表現ができる特徴があります。 江戸時代の終わりごろから流行した技法とみられます。 |
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小刀を手前に引いて型地紙を彫る技法です。 元々縞柄〔しまがら〕を彫るため(縞彫〔しまぼり〕)に発達した技法であり、 定規を使用して均等に縞柄を彫ります。 縞を彫るためには同じ場所を小刀でなぞるため高い技術が求められます。 彫り残された部分が弱く固定しにくいため、糸入れが必要となります。 彫り残しの少ない型地紙は染色するときに紋様がずれるおそれがあるため、 糸入れという技法で補強します。 糸入れ用の型地紙を使用し彫刻した後に2枚に剥がし、 紋様に応じて絹糸を縦・横・斜めに張った後、柿渋で元通りに貼り合わせます。 |
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染めに使われて見えなくなっていた商印もいくつか見つかった。 |
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しかし、墨書の内容は交野地域どころか、関西地域以外も含まれる。 墨書の転用紙で作られた型地紙は、白子・寺家でも作られている。 |
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