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日時 : 2024年10月12日(土) 午前8時50分 河内磐船駅駅集合 参加者22名(会員15名) 行程 河内磐船駅 → 木津駅 → 奈良駅 → 長柄駅 → 大和神社 → 萱生環濠集落 衾田陵(西殿塚古墳) → 念仏寺 → 柿本人麻呂歌碑 → 天理市トレイルセンター(昼食) → 長岳寺 → 崇神天皇陵 → 伊射奈岐神社 → 黒塚古墳・展示室 → 柳本駅 → 奈良駅 → 木津駅 → 河内磐船駅(解散) (徒歩6.5km) |
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2024年10/12(土)、天候 晴。奈良 気温25。9度を記録。 JR河内磐船駅前に8時50分元気な22名が集合、盛岡氏より列車の乗り換えなどの説明を受けて、9時4分発の列車に乗車、木津駅・奈良駅を経て長柄駅に10時50分頃着(17分程延着)。駅前の観光案内看板前で、村田会長の挨拶と盛岡部長の当日のウォーク案内を受けて「山辺の道」へと出発。 駅前から先ず、「日本最古の神社・大和神社(おおやまとじんじゃ)」へ立ち寄りその後、天理市の名物「刀根早生柿」が道の両側に、たわわに実った柿畑の間を約600m東へ歩き、萱生環濠集落に到着。白い雲が浮かび青々とした山並みの裾野を南北に走る古道「山辺の道」をゆっくりと散策、雄大な景色に感動し古代の歴史と面影を楽しんで来ました。 ここ山辺の道は、「我国最古の古道の名残をとどめ、千幾百年来のさまざまのドラマを秘めて、今に生きる私たちを歩かせる。」と紹介されており、当日には沢山の観光客で大賑わいでした。 今回の企画は、案内人の盛岡博氏が、天理市の石上神宮から桜井市の金屋までの約16kmの「山辺の道」を3回に分けて歩くもので、第2回目として実施されました。最後の回は、来年の上期に予定されています。 当日は、午後には夏日近くまで気温が上昇、皆さん、汗ばみながらも柳本駅まで元気に歩き通されました。 参加された皆さんから「これまで山辺の道は何度も歩きましたが、説明を受けながら巡ると分かりやすくていろいろと興味が出て一日楽しく過ごせて良かったです。」「初めてお会いした方とも親しく話が出来、今後の行事参加が楽しみです!」と大好評でした。 ※案内役の盛岡さんには下見や事前準備など、また、資料など沢山提供頂き 有難うございました。当日、頂いたレジュメなどを参考にさせて頂きました。 また、奈良県・天理市のWEB記事などを参考にさせて戴きました。 記して感謝申し上げます。 |
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西殿塚古墳前で記念撮影 |
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奈良・山辺の道を歩くNo.2(レジメ資料) |
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案内: 盛岡 博氏 (交野古文化同好会) | |||||||||||||
現在の神域は43haと広大で、鬱蒼たる森が広がっている。祭神は、大国魂大神、八千戈大神、御年大神。大国魂大神、八千戈大神は、ともに大己貴神の異名同神で、国土経営に功をを立て、武勇に優れた神徳を尊崇する名前とされ、御年大神は穀物の守護神と説明されている。 戦艦大和ゆかりの神社でもある。 |
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大和神社ちゃんちゃん祭り 《奈良県指定無形民俗文化財》 | |||||||||||||
大和神社境内の星塚古墳の説明看板 |
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全長70mの前方後方墳 |
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外敵を防ぐため、周囲に用水路を兼ねた水濠を巡らせた集落で、南に隣接する西山塚古墳の周濠を環濠として利用したもので、戦国時代に作られた集落です。今も濠の一部が残り昔の面影をとどめている。 | |||||||||||||
大和古墳群(おおやまとこふんぐん) |
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大和古墳群は天理市南部の佐保庄町・兵庫町・萱生町・成岸寺町・中山町・岸田町一帯に分布する古墳群で、西殿塚古墳を盟主とする。西方に鎮座する「大和神社」の宮郷である「大和郷」に重複して分布することからこの呼称がある。 | |||||||||||||
柳本古墳群は天理市柳本町・渋谷町一帯に分布する古墳群で、行燈山古墳(崇神天皇陵)と渋谷向山古墳(景行天皇陵)の2基の巨大古墳を含む。 奈良盆地南東部の前期古墳群は、古墳時代前期(3〜4世紀)に形成され、存続期間は重複するも、概ね、纏向古墳群、大和古墳群、柳本古墳群の順に築造が進んだと知られる。 山辺の道を歩きながら古墳を確認しよう。 |
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(ふすまだのみささぎ) |
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宮内庁が「衾田陵(ふすまだのみささぎ)に比定している古墳です。古墳の規模は全長230m、後円部径145m、高さ約16m、前方部幅130m、萱生地域では最大の前方後円墳です。 宮内庁は継体天皇の皇后・手白香皇女(たしらかのひめみこ)の陵墓としていますが古墳の形式は古く、箸塚の次に造られた大型古墳と考えられている。築造時期は古墳時代前期前半で、3世紀後半と見られている。 |
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西殿塚古墳前にて記念撮影 |
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中山大塚古墳 |
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開基は奈良時代の僧・行基で、今は廃寺になって旧中山寺の一坊。門をくぐると正面に本堂、右手に鐘楼、左手に十三重石塔があり、坂上田村麻呂の墓もある。共同墓所の中には、山辺の道が通っている。 | |||||||||||||
(とうろうやまこふん) |
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万葉学者・犬養孝氏の力強い字体で刻まれた人麻呂の歌碑が道沿いにある。 歌碑「衾道を 引き手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりとも無し」。 人麻呂が最愛の妻の亡骸を龍王山に葬り置き、茫然自失のままに山路を戻る心情を表した歌という、つらい歌です。 |
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天理市トレイルセンターは、山の辺の道沿いにある情報提供・休憩機能を備えた施設として愛されてきましたが、さらに魅力的な施設になってリニューアルしました。 歴史文化の紹介コーナーはもちろん、たくさん歩いた後の汗を流せるシャワー設備や、ロードバイクを停めるためのバイクラック、美しい眺望が楽しめる開放的なデッキも設置。地元の食材を使った食事や、県内の特産品の購入もできます。 |
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弘法大師が大和神社の神宮寺として創建された。本尊の阿弥陀三尊像(重文)は、玉眼を用いた日本最古の仏像として知られている。狩野山楽筆の大地獄絵図も有名です。関西花の寺(二十五ヶ所)の十九番霊場。本日は希望者のみ見学。 | |||||||||||||
酔芙蓉の花 |
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(あんどんやまこふん) |
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大和政権の初代大王とも言われる、第10代崇神天皇(すじんてんのう)の陵とされる。全長240mもある巨大な前方後円墳で、4世紀前半に築造されたものと考えられている。周囲には高い堤が巡り、満々と水を湛えた濠が美しい。 | |||||||||||||
(すじんてんのうやまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ) |
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(いざなぎじんじゃ) |
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創祀は不明ですが、「三大実録」に「貞観元年(859)正月二十七日従五位下から従五位上に叙せられ・・・」とあり、古来に成立した歴史のある神社のようですが、資料が散逸しており、詳しいことはわかりません。柳本地域の信仰の中心となり、江戸時代には柳本藩の藩社となった。 | |||||||||||||
古墳時代前期(三世紀後半)の古墳と推定され、古墳の規模は現状で全長約134mの前方後円墳です。現在は柳本公園の一画にあり周辺は池に囲まれていますが、古墳が造られた当初の姿をほぼ良好にとどめている。後円部では長大な竪穴式石室の存在が明らかになり、埋蔵品も三角縁神獣鏡を中心として多数出土している。 隣接の古墳展示館で確認することが出来ます。 |
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JR柳本駅にて乗車、奈良駅で木津行きに乗り換え、 各自元気に帰途に着いた。皆様、お疲れ様でした! |
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最後までご覧いただき有難うございました |