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交野歴史健康ウォーク  100回記念

バスツアー 2008.12.3
饒速日命の史跡を訪ねる
丹波篠山→篠山城跡→青山歴史村→武家屋敷安間家資料館→
篠山市立歴史美術館→兵庫県立「人と自然の博物館」→
有馬温泉・かんぽの宿→泉源と町めぐり



有馬温泉・かんぽの宿」前にて記念撮影

交野歴史健康ウォーク100回を記念してバス旅行を開催しました。
2009.12.2(水)午前8時15分、私部・焼肉久太郎の駐車場を出発。
参加者は古文化同好会の44名。天候晴天、申し分のないツアー日和となった。 
また、つい先日篠山で、日本で初めて角竜類が発掘発見されたことが報道され、
急遽、「兵庫県立人と自然の博物館」も見学してきました。
写真撮影は、黒田幸男さんにお願いしました。
丹波篠山・篠山城跡
史跡 篠山城跡・大書院
京の都から山陰・山陽に通じる要所であった篠山盆地に
慶長14年(1609)、徳川家康の命によって松平康重が篠山城を築城した。
立地も篠山盆地のほぼ中央にあ利、南を篠山川、東を黒岡川が流れ、
北に山地を背負う要害の地である。普請の総奉行は池田輝政(姫路城主)が
任ぜられ、縄張りは藤堂高虎(三重の津城主)で、工事を担当した大名は
15カ国20大名に及び、役夫の数8万人余になる天下普請で突貫工事により
わずか1年足らずで完成した。初代城主松平康重が八上城から移り、松平氏8代と
青山氏6代といずれも徳川譜代の有力大名に引き継がれた。
石高は当初5万石、1827年(文政10年)から6万石であった。

慶長14年(1609)、徳川家康の命により篠山城が築城された
周囲の濠端には桜が植えられ紅葉と大書院が印象的だった

上段の間は最も格式の高い部屋であり、幅3.5間(6.9m)の大床、その左手に
付書院、右手に違い棚、帳台構が設けられている。往時の雰囲気を再現させるため、
江戸時代初期の狩野派絵師が描いた屏風絵を障壁画として転用している。
篠山城跡に見事に復元された大書院
昭和19年の火災で焼失するまで335年間人々に愛された大書院を
約半世紀ぶりに約4年の歳月を掛けて平成12年復元された。

天守台からの素晴らしい廻りの山々、その中でも
ひと際高い有馬富士(462m)が印象的でした。

隅櫓 石垣が当時のまま残されている

武家屋敷通り
青山歴史村
旧篠山藩藩主青山家の別邸。源氏物語や藩校教科書の原版「版木」などの青山家に
関する資料を展示している。また、東京港区の青山は、徳川家康の重臣であった篠山藩主の
青山家の広大な屋敷にちなんで名付けられた地名である。

 写真は、旧藩士澤井家にあった長屋門で文化年間の建築で貴重な遺構である。
金櫃(かねびつ)藩政時代に使っていた石の地下金庫
青山家の家紋(無紋銭)入り瓦
三通りの’ささ’の字    篠山、笹山、筱山

御徒士町通り、 武家屋敷群町


安間家住宅
篠山藩の標準的な徒士住宅であった
大正ロマン館

その名の通り大正時代に造られたもので、元々は”篠山町”であった頃の役場の庁舎で、
現在は新しい篠山市役所が平成4年にこの近くに新設されて、大正ロマン館の
役場としての役目は終わりました。現在は観光案内所として
保存されており、特産品販売や定食喫茶コーナーなどもあります。
春日神社の能舞台(国の重要文化財)

能楽堂

床下には音を反響させるために
大がめが配置されている
 能楽をこよなく愛する篠山藩第13代藩主・青山忠良の寄進によって、文久元(1861)年に建立された。
 舞台と、面を付けて準備する鏡の間とを、通路であり時には舞台の一部となる橋掛が結ぶ。鏡の間の奥には楽屋が控え、これらすべてが当時のまま残っているのは全国的にも珍しい。床下には音を反響させるために下図の設計図のように大がめを配置。また、前方には岩山がそびえ、舞台からの楽音を拡散させる自然の音響装置の役目を果たす。
「篠山市立 歴史美術資料館」

木造建築の裁判所としてはわが国最古の建物、重要建築物として
昭和57年(1982)町文化財に指定された。

篠山市役所前のデカンショ節像

篠山見学が終わり、次の三田市に向かうバスの中の皆さん
兵庫県立「人と自然の博物館」
つい先日篠山で、日本で初めて角竜類が発掘発見されたことが報道され、
急遽、「兵庫県立人と自然の博物館」も見学してきました。

丹波竜化石の展示コーナー

「人と自然の博物館のHPから参照させていただきました
有馬温泉「かんぽの宿」
約1時間、休憩と入湯後、有馬温泉の沢山の泉源と町めぐりを楽しみました!

炭酸泉源

天神泉源

不動石仏

有馬温泉の守護神として名高い湯泉神社の縁起によれば、泉源を最初に発見したのは、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であったと記されています。この二神が有馬を訪れた時、三羽の傷ついたカラスが水たまりで水浴していました、ところが数日でその傷が治っており、その水たまりが温泉であったと伝えられています。
 温泉のありかを教えてくれたこの三羽のカラスだけが有馬に住むことを許されたと伝えられており、「有馬の三羽からす」と呼ばれています。


行基菩薩像

温泉禅寺

極楽寺

金の湯

ねねの像

太閤橋
篠山・有馬温泉バス旅行
動画でお楽しみください。

最後までご覧頂き有難う御座いました!

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