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交野歴史健康ウォーク  217回
「星田の未来と歴史」
星田駅前から星田会館(星田公園)まで

日時 : 2025年9月27日(土)午前9時 JR星田駅前集合 
       参加者 24名(内会員18名)

 行程 : 星田駅→トナリエ→田んぼ→東高野街道→汽車道→星田4号公園→トナリエ→
 星田交番前→光林寺→星田会館→星田公園→JR星田駅
         行程 距離 3.5q
      

 案内人 : 山本 秀雄氏 (交野古文化同好会)
 9/27(土)、天候晴れ。JR星田駅前に集合、午前9時出発。

 2025年9月27日(土)天候薄曇り予想気温最高30℃、少し涼しくなってきた感じの気候の中、JR星田駅前午前9:00集合、本日の参加者は24名(内会員18名)です。
 盛岡事業部長と、本日案内をしていただく地元星田在住で、星田の歴史に詳しい山本秀雄さん(古文化同好会)より、猛暑を乗り越えやっと秋めいてきました、本日は新しい星田、歴史の町星田とふれあってくださいとの挨拶の後、行程の説明後、星田駅北土地区画整理事業により変貌した街並みを歩き、豪華なマンション、駐車場のEV自動車充電設備には皆さん、新しい風を感じていました。

 又整理事業により新設された、星田北4号公園には終戦前、米軍機と空中戦により墜死された中村純一中尉鎮魂碑が移設されていました。(いきいきランド交野に三式戦闘機「飛燕」の残骸を展示)参加者は知らない方が多く、帰ってネットで見てみようと興味を示されていました。

 光林寺では26代住職堀本賢友様の計らいにより、本堂まで上げていただき、本尊阿弥陀如来、山門の蟇股(かえるまた、梁や桁)、八丁三所に星が降った伝説等を丁寧に説明していただきました。参加者からの質問もわかり易く、そして住職様は門を出るまで見送っていただきました。紙上を借りてお礼申し上げます。

 そして黒板壁、土塀、蔵に囲まれた星田古民家群のメーンストリート経て星田会館につき、広岡昌子さん(古文化同好会)に広岡さんの著書交野草子(三)の一部を講演いただきました。短い時間でしたが疲れた体にしみて疲労が回復しました。
 ここで、定刻の時間になりましたので、解散をして、残りの星田公園は各自で散策しました。

 9月後半になり少しは涼しさを覚える中でしたが、参加の皆様、お疲れさまでした! 

 ※当日の写真撮影及び概要レポートは竹澤利直様にお願いしました。また、当日配布されましたレジメなど、山本秀雄様が作成された貴重な資料などを快く提供を受けましたこと、誠に有難うございました。
  記して謝意を申し上げます。
 併せて、当日参加された毛利信二様から写真を提供頂きました。
 
本日の案内人 山本秀雄氏
 
星田会館で記念撮影
9/27、歴史健康ウォークのご案内行程地図



「星田の未来と歴史」 レジメ
星田駅前から星田会館(星田公園)まで 
案内人 山本秀雄氏
 
 
 
 


集合はJR星田駅前

盛岡事業部長の挨拶(中央)
星田駅 北口周辺
 
 星田北バス停
令和3年12月13日新ロータリー開通の前日に
天野川をイメージした星型の用紙に願を書いて貼りました。
星田区の小学校4校(星田・旭・妙見・藤が尾小学校)の生徒1369名の作品です。
 
 
トナリエ
(株)エスコンは中部電力の連結子会社 ES-CON
エステート 不動産
コンステレーション 星座 から来ている。
2023年3月28日 11店舗 開業
2025年9月05日 19店舗 本年
 
 
 
 
 一里塚の碑
東高野街道の一里塚
江戸時代約4Km間隔で宿屋や休憩所を造った
現在 星田北中央線は旧東高野街道と200m重なっている
 
 
 
 
 
 
 今年の実り
平成28(2016)年9月星田駅北土地区画整理準備組合が設立
217権利者 同居は172権利者  平成22年より6年の歳月 市長は黒田実氏
星田駅北地区 約26ha 262反 78,650坪
星田北・高田地区 約20ha 201反 60500坪 水道路で分かれる。
 
 
 
 中村陸軍中尉(中村純一さん)碑
S20年7月9日硫黄島からP51戦闘機が来襲、
伊丹空港を出発した飛燕(三式戦闘機)が迎えうった。
中村少尉機は撃墜され、落下傘で降下中
敵戦闘機の翼でロープを切断され戦死した。
御遺体を光林寺に丁寧に安置して あくる日に陸軍に引き渡した

陸運用地
S16年9月星田駅から香里製造所まで陸軍専用鉄道完成
 星田北4号公園には終戦前、米軍機と空中戦により墜死された中村純一中尉鎮魂碑が移設されていました。(いきいきランド交野に三式戦闘機「飛燕」の残骸を展示)参加者は知らない方が多く、帰ってネットで見てみようと興味を示されていました。
 
 
 
 
六路川の双体仏
 光林寺
嵯峨天皇の弘仁年間に弘法大師が妙見山・星の森・光林寺を星の聖地とした。
古い時代には神寺(かんでら)龍降寺と称した。現在は西山浄土宗光明寺の末寺
 光林寺では26代住職堀本賢友様の計らいにより、本堂まで上げていただき、本尊阿弥陀如来、山門の蟇股(かえるまた、梁や桁)、八丁三所に星が降った伝説等を丁寧に説明していただきました。参加者からの質問もわかり易く、そして住職様は門を出るまで見送っていただきました。紙上を借りてお礼申し上げます。
 
 
 
 
 
 
本尊阿弥陀如来
 
八丁三所に星が降った伝説
 
 山門の蟇股(かえるまた、梁や桁)
 
 星田会館への散策
 そして黒板壁、土塀、蔵に囲まれた星田古民家群のメーンストリート経て星田会館につき、広岡昌子さん(古文化同好会)に広岡さんの著書交野草子(三)の一部を講演いただきました。短い時間でしたが疲れた体にしみて疲労が回復しました。
 ここで、定刻の時間になりましたので、解散をして、残りの星田公園は各自で散策しました。
 
 
 
 
 
 
 
 廣岡昌子さん(古文化同好会)に廣岡さんの著書交野草子(三)の一部を
講演いただきました。短い時間でしたが疲れた体にしみて疲労が回復しました。
 
 
 
 参加の皆様、お疲れ様でした!

最後までご覧いただき有難うございました

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