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交野歴史健康ウォーク
2002.7.13、第34回

 倉治地区・長福寺、機物神社、梨が谷の湧き水、免除川を訪ねる
   いきいきランド交野ドーム→長福寺→大仏坂→倉治迷路→
機物神社→梨が谷の湧き水→免除川→いきいきランド交野ドーム

 2002.7.13(土)、参加者は、11名。 午前9時10分、倉治の長福寺を目指して、いきいきランド交野ドーム噴水前をスタート。 夏の暑い日差しを避けるため、今月から出発時間を1時間早めて9時になった。
 いつものメンバーに、お隣の寝屋川市から新しい方がお見えになった。6月18日の読売新聞の記事を見られて、私のHPを通じて交野古文化同好会に入会、交野の歴史を勉強したいと参加された。大変ありがたいことである。

さくさ口の二月堂
切羽詰ったときにお願いした
伏拝神(ふしょうがみ)、
交野小学校通用門前の
辻に建っている
長福寺の石仏
南町の長福寺には、昔、お堂の北側に藁屋があってそこが産所であった。江戸時代の終わりまで、京都から偉い方がお越しになってお産をされた所だそうだ。
倉治の静かな町並み
板塀や白壁の昔を偲ばせる建物があちこちに建っており、道路は遠見遮断で一度通っても、同じ道を通るのは難しい。
梨が谷の湧き水
Nさんのお宅で湧き水を飲ませて頂いた。冷たくてまろやかなお水であった
二平川の辻
古い道は、字型に結ばれていて、遠見遮断(辻から辻が曲がっていて見えない)になっている
二平川の洗場
 「この洗場は、村の人々の語らいの場であり、コミュニケーションの場であった。家で親夫婦、年寄りが昼寝をしている間にそっと洗濯にくるのが二平川の洗場だった」
二平川
倉治の二平川の洗場の西側にある家の屋号が「二平」といい、流れる小川が二平川という。梨が谷の湧き水が、この川に沿って導水されている
機物神社の参道前
 気象条件さえ揃えば、冬至前後の数日間は、交野山の山頂に日輪が光り輝き、交野山が浮かび上がるように素晴らしい日の出が拝めるといわれる。
機物神社の珍しい灯篭
八の字型に作られている
延享年間?
約250年前に建てられた
ものらしい?
機物神社の「たらようの葉」
書かれた願い事
「家内平和」「健康に」
発掘中の有池遺跡(青山)
免除川の南側の農地
鎌倉時代の住居跡が発掘された
いきいきランドの噴水広場
歴史ウォークの出発地点
子供たちが喜んで遊んでいた



 いきいきランドを出て、北川沿いを西へ行き交野小学校の校門側へ向かって北に折れると、学校の通用門の前の辻に、二月堂が立っている。ここをさくさ口と言う。
 祠が綺麗に作り直され花が生けられ今も大事に守られている。
 交野小学校を通り過ぎ、静かな民家が建っている路地を北に進むと、田圃の細い道に出る。2日前の台風の豪雨で田圃の小川はどどっと音を立てて勢いよく水が流れていた。山野酒造さんの裏手を進み、さらに北へ行くと、免除川に出る。川を渡り、さらに細い路地を入ると、倉治の南町の長福寺に着いた。
 長福寺には、沢山のお地蔵さんが北向きに整然と祀られている。西向きに御堂があり、その北側に集会所がある。昔、そこに6・8・6畳の藁屋があって、高貴な方々の産所になっていたといい、毎年、恵方によってお産される場所が変わっていたそうだ。

 今年の春、石仏調査で伺った時、この境内は良寛さんが子供たちと楽しく遊んでいる光景を思い浮かべる所だと、平田さんが言われたことを思い出した。丁度桜も満開で、暖かい春の日差しを受けて、お地藏さんが笑っておられるように見えた。

 長福寺を出て、なだらかな坂道を進むと倉治郵便局が右手にあるが、この付近の道を大仏坂という。
 この大仏坂は、奈良の大仏建立に関わる歴史を今に伝えると言う、どう前大仏坂を歩きながら、いろいろと歴史ロマンを教えて頂いた。
 倉治図書館を右手に折れて、豪壮な民家が沢山立ち並ぶ辻を曲がると、自然石の大きな灯篭(二月堂)に出会う、直ぐ近くには建てられてから300年を越す重要文化財的なかやぶき屋根の民家もある。

 梨が谷の湧き水を倉治の35軒の方々が今も大事に保守されて、日常の生活用水として大事に使われているという、古文化のメンバーであるNさんのお宅に寄せて頂いた。平素は庭の打ち水に使われているそうだが、コップで頂いた水は、冷たくてまろやかな味がして美味しかった。自然の湧き水がいつも流れている、そんな贅沢さの一端を味わうことが出来ました。ありがとうございました。湧き水の源泉になっている場所がJR学研都市線近くのために、線路工事や宅地造成などがあって水量は減ったそうだ。倉治歴史ウォークマップ

 倉治の迷路と言われる、光明院の付近の路地を通り過ぎ、「二平川の洗い場」にでた。二平川の謂れになったという、二平の屋号のお宅は今はなくなり、昨年この付近は宅地造成され現在は新しく洋館建てのお家が立ち並んでいる。時の流れと言え、古い歴史が消えてゆくのは寂しいものである。二平川の洗い場もいつまで残ることか、心配になる。
 二平川に沿って導水されている梨が谷の導水管を確認しながら東に出ると、静かな住宅街から一気に車で喧騒な府道久御山線にでる。道を渡ると機物神社である。
 機物神社は、つい、7/6、7は七夕祭りで10,000人の人出で賑わった。例年、その賑わいは盛んになるようだ。鳥居の前に、八の字の形をした珍しい灯篭があるのを教えてもらった。延享年間と読めたが、250年前に立てられたものらしい。境内には、ほかにも沢山の自然石の珍しい灯篭や石造物があり、興味は尽きない。
 昔の人々は、機物神社の鳥居が現在の倉治小学校の場所に建っており、南から本殿に向かって拝んでいたそうだ。本殿の西側にある「多羅葉」の木の葉には、七夕の頃に書かれた願い事であろう「家内平和」「健康に」という文字が鮮やかに残っていた。
 冬至の日に、機物神社の境内から交野山に重ね合わせて日の出が見られる。 気象条件さえ揃えば、冬至前後の数日間は、交野山の山頂に日輪が光り輝き、交野山が浮かび上がるように素晴らしい日の出が拝めるといわれる。

 機物神社を出て、梨が谷の湧き水の源泉地に案内して頂いた。JR学研都市線の直ぐ西側で、南側は崖になっていてその上には沢山の民家が建っていた。交野山に溜め込まれた水が何年もかかって地層を通って湧き水として出てくるのであろう。JRの線路を越して直ぐ東側を第二京阪道路が予定されているが、また影響が出ないか心配されるところである。
 交野山は、何処から見ても良いですね。源氏池に写る交野山も雄大でいい。ここを源として、免除川、がらと川が流れ、天野川に注いでいる。

 帰りは、春は、桜並木が素晴らしい免除川に沿って府道久御山線にでた。この川は、昔は機物神社の北側を流れ下っていた。しばしば洪水を起すので、被害をなくする為、川の付け替えを計画、倉治、私部、郡津領の田畑に新しく川を通した。その代わり年貢を免除したのでこの名がついた。室町時代のことだという。
 帰途、交野文化財事業団により発掘されている有池遺跡を堤防の上からみた。場所は、免除川の南側にあり、老人介護センターが予定されている青山の水田地である。鎌倉時代の集落跡や遺物が多数発掘されたようだ。
8/10(土)に、現地説明会が予定されている。
詳しくは、交野市文化財事業団(TEL 072-893-8111)に問い合わせください。

 いきいきランドに帰ると、ドームの前の噴水が勢いよく噴出して集まった子供たちが歓声を挙げて喜んでいた。

 平田さんの軽妙な説明に感動し、交野の古い歴史を肌で感じた、楽しい歴史ウォークでした。
 次回が楽しみである。一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わっていただきたいと思います。
 是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!!

《ミニガイド》
 さくさ口(二月堂)
 私部住吉神社北側からの古い道と交野小学校の校門を南に行った通用門前で出会う辻を、さくさ口という。
辻の北側に「二月堂」と刻まれた細長い伏拝神(ふしょうがみ)の石柱が立っている。高さ約2m、巾36cm、厚さ20cmで石柱の上に平べったい自然石がのっている。上部に四角い窓が開いている。その下に「二月堂」と刻まれ、道に面した下部には「他力中」と刻まれている。傍らには小さな祠があり、最近この祠は新しく作りかえられた。さくさ口の二月堂の石柱
 この地域の小字名が「才が辻(さいがつじ)」という。ここに昔、私部城を守る屯所がおかれていた。私部から東への出入り口であった。北川沿いに寺村へ出れば「かいがけ道」から大和へ、私部の墓地を通って行けば「郡南街道」を経由して同じく高山を経て大和へと通じることから私部にとって要の場所であった。それ故ここに、屯所を設けて守りを固めたのであろう。この屯所を守る人物に阪長(さかおさ)という人がいたことから、それが「さかおさ口」となり、訛って「さくさ口」になったといわれている。
 昔から村の外れには道祖神が祭られる。「才が辻」と言う地名はこれからつけられたと思う。
 これは村に悪霊が入り込まないように、また出て行く人にとって旅の安全を祈願して祭ったものである。伏拝神は現地までは遠くてなかなか行けないものだから、ここからその方向を見てこの伏拝神を拝むことによって願いをかなえてもらおうとしたのである。
 「二月堂」は人間切羽詰った時に、心のよりどころとなったのである。
 今も、祠に花が供えられ、時には線香の煙が立つことがあるのは村の人にとって道祖神を伏拝神を信仰することで心の安らぎを願うよりどころとなっているのである。
                  (地域文化誌・まんだ、中 光司氏)参照


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