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交野歴史健康ウォーク
第74回  2005.11.12(土) 
阪堺線の一日乗車券を利用
天王寺〜住吉大社〜浜寺公園
〜恵比須町・新世界を散策

 
東天下茶屋駅から直ぐ東の通りが熊野街道
天満橋の八軒家浜より7.1kmの距離にある
安倍晴明神社、阿倍王子神社がある
 
 2005.11.12(土)午前9時、JR河内磐船駅前に集合。前日の雨もすっかり上がり天気は上々、定刻に14名の元気な顔が揃った。

 案内役の平田さんは急遽欠席、変わって中会長に案内していただくことになり、9時5分発宝塚行き快速に乗車、京橋経由で天王寺で下車。

 懐かしいチンチン電車・阪堺線の一日乗車券を利用して大阪から堺界隈を散策した。

当日の行程

 天王寺駅前→安倍晴明神社→阿倍王子神社→住吉大社→ザビエル公園で昼食→堺刃物ミュージアム→堺奉行所跡→菅原神社→開口神社→与謝野晶子生家跡→千利休屋敷跡→宿院→浜寺公園で下車し、南海電車の浜寺駅で記念写真→浜寺公園を散策→恵比須町で下車、新世界の通天閣に上がり、串かつで一杯飲んで参加者一同、上機嫌で帰宅しました。
  チンチン電車で堺を探索
阪 堺 電 気 軌 道 株 式 会 社
 南海電気鉄道では平野線の廃止を機会に、軌道部門を別会社として分離・独立させることとし、昭和55年12月1日、阪堺線・上町線が「阪堺電気軌道株式会社」として新発足いたしました。
阪堺(上町線)・天王寺駅前から乗車
阪堺線の一日乗車券
■阪堺電気鉄道路線図   (阪堺電気鉄道のホームページを参照)
 
 
 

阪堺線(青)は恵美須町、
上町線(赤)は天王寺駅前
からの所要時間です。
 私にとっても20数年ぶりに乗車する大変懐かしいチンチン電車でした。
東天下茶屋駅で下車、安倍晴明神社と阿倍王子神社に参拝。
安倍晴明神社で記念撮影
 「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)という男が住んでいました。あるとき、和泉(いずみ)の信田明神(しのだみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました。」


 狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになるのです。晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社の記録としても残っています。安倍晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘四年(1007年)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されています。
安倍晴明神社の由来
阿倍王子神社
 安倍晴明神社のすぐ南に、大阪府内に残る唯一の王子社、阿倍王子神社がある。
阿倍王子神社は、パンフレットによれば、仁徳天皇によって創建され、平安時代の初期天長3年(826年)弘法大師が、淳和天皇の勅命で当社に参り、疫難退散の祈祷をして成功し、痾免寺の勅額を賜ったという。
 阿倍野は古代の豪族阿倍氏の居たところで、奈良時代には氏寺阿倍寺があり、「阿倍寺千軒坊」と伝わるほどの大寺であったという。阿倍氏がよそに移住し、さらに阿倍寺も四天王寺に併合される中、熊野信仰が盛んになり熊野街道の道筋に、この寺があったので熊野王子となった。
ちょうど四天王寺と住吉大社の中間にあり、王子社にふさわしい場所であった。

 再び、阪堺電車に乗り、懐かしい北畠、帝塚山4丁目、神ノ木などを通過して、住吉鳥居前で下車。元旦には沢山の参拝客で賑わう住吉大社本殿におまいりした。
住 吉 大 社
 摂津国の一の宮、住吉神社の総本宮である住吉大社。大阪の人からは「すみよっさん」と呼ばれ親しまれている。航海の神・祓の神・歌の神として古くから崇敬されている大社である。
 当日、住吉神社では七五三祭りで沢山のご家族連れで賑わっていました。お一人一万円のご祈祷料金には驚きましたが、満足そうなおじいちゃん、おばあちゃんのお顔を拝見すれば成る程と頷けました。
 また、境内では北海道昆布の「七五三」の千歳昆布の無料配布があり、有難く頂きました。
 なお、当日皆さんと一緒に写した住吉大社の写真は、残念ながら私の不手際で削除してしまい、UPできません。お詫び申し上げます。
「七五三」は昆布の日、千歳こんぶを無料配布 
 北海道こんぶ消費拡大協議会と道漁連は、15日に札幌市の北海道神宮で七五三参りに訪れる子どもらに「千歳こんぶ」を無料配布した。 コンブの消費拡大に向けて、平成13年から続けている販促活動の一環で、「子どものころからコンブを食べる習慣を」と、11月15日の「七五三」と「昆布の日」にあわせて実施している。東京の明治神宮、名古屋の熱田神宮、大阪の住吉大社、福岡の筥崎宮の4カ所で計1万8千袋を配る。※記事の詳細は週刊水産新聞紙面をご覧ください。(2005年10月24日付)

 ふたたび「住吉鳥居前」から乗車、大和川を渡り「妙国寺前」で下車、堺HAMONOミュージアムに立ち寄り堺の伝統産業である刃物の全てを見学、私は爪切りを525円で購入。直ぐ近くのザビエル公園にて昼食。
 昼食後、堺奉行所跡、菅原神社、開口神社、与謝野晶子生家跡、千利休屋敷跡を見学後、ふたたび阪堺電車の「宿院駅」から乗車、「浜寺駅」下車、南海電車の浜寺公園駅で記念撮影したあと、浜寺公園を散策バラ園などを見学した。
堺HAMONOミュージアム (パンフレットを参照)
 堺の刃物を中心とした伝統産業を、気軽に見て、触れて、体験していただける会館です。打刃物の製造工程見学や、刀付・研ギ教室などの体験を通じて、堺が誇る刃物職人の「匠の技」に触れてただくことができます。また堺の地場産品の展示・販売も行っており、堺の魅力を再発見していただけます。
ザビエル公園
1550年に来堺したイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルを手厚くもてなした豪商日比屋了慶の屋敷跡につくられた公園。昭和24年ザビエル来航400年を記念して「ザビエル公園」と命名されました。

菅原神社
菅原道真自作の木造が堺の浜に漂着し、これを祭ったのが始まりといわれています。天神さんと呼ばれ、堺戎(えべっさん)としても有名です。また、夏のホタル観賞でも知られるほか、桜門は大阪府指定文化財とされています。

開口神社(あぐちじんじゃ)
旧市内唯一の式内社で、塩土老翁神、素 鳴尊、生国魂命を祀っています。天平18年(746)行基が境内に念仏寺を建立し、大同元年(806)空海が宝塔を建てたので、大寺とも呼ばれています。大寺縁起絵巻、伏見天皇 翰御歌集、短刀銘吉光は国指定の重要文化財です。


与謝野晶子の歌碑と生家跡・大道通り(阪堺線・宿院駅北)

海こひし 潮の遠鳴りかぞえつつ 少女となりし 父母の家
(歌碑が建てられている)

◆千利休の屋敷跡

 千利休は大永2年(1522)堺今市町(宿院西1丁)の豪商魚屋の長男、与四郎として生まれ ました。
 17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鴎に師事し、わび茶を大成させま した、屋敷跡にはつばきの井戸があります。
(阪堺線・宿院駅西南すぐ)

南海電車・浜寺公園駅舎
 明治30年代に建てられた、美しい木造の駅舎が今でも残っています。この駅舎の設計は、 後に赤レンガの東京駅を設計した辰野金吾博士によるもので、明治のハイカラ建築の粋を 集めたものです。駅舎の向かって右側にはギャラリーもあります。
 明治6年、大阪府下で始めて公園に指定され、当時は、白砂青松の地として多くの人に知られていました。今でも、その面影を残す松林やバラ庭園など緑のあふれる憩いの場として人気を集めています。 公園内には、野球場やソフトボール場、テニスコートなどのスポーツ施設も充実。夏には プールやウォータースライダーで水しぶきが上がります。

 浜寺公園を散策後、阪堺電車・浜寺駅前で乗車、堺から大阪市内へと町並みを縫うように進み約40数分掛かってやっと恵比須町に到着。
 平田さんが当初予定されていた、新世界・通天閣に20分待ちで上り、串かつで一杯。参加者一同、上機嫌で帰宅しました。


通天閣に上るのに20分待ちの賑わいには、正直ビックリしましたね。
良い天気で大阪の街がほんとに綺麗に見えました。
左手前が恵比須町の交差点、北へ電気街の日本橋筋、左奥に難波のビル群が見えます
幸運の神様・ビリケンさん(通天閣の最上階91mにある)
ビリケンさんの足の裏を掻きながら願い事すると叶うと言う
次から次へと、願い事をする若い人で一杯だった!
新 世 界・通 天 閣
串かつを食べビールで乾杯、楽しい話は尽きない!
新世界のネオンと通天閣をバックに記念撮影

今回の阪堺電車一日券での散策会、皆様お疲れ様でした。
中会長、案内役お疲れ様でした。 本当に有難う御座いました。
次回は、新春恒例の初歩きで皆さんとお会いしましょう。

新春歴史ウォークは、平成18年1月2日(年始)、午前9時交野ドームに集合
 コースは交野ドーム→車塚古墳→大畑古墳→寺・住吉神社→かいがけ道→傍示→蓮華寺→キトラの辻→里→スマイル地蔵→大仏道→傍示・菅原神社→鍋塚古墳→森・雷塚古墳→天田神社(ゴール15時予定)

弁当、水筒、防寒対策などよろしくお願いします。

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