2007年12月12日(水) 私市小学校の6年生と 「鶴形しめ縄飾り」作り 私市小学校の生徒たちは、自分たちが大事に育てた稲藁を利用して、 9月には、藁ぞうり作りに挑戦し、見事な作品を完成させました。 11月の交野市の文化祭には、自分たちで作った藁ぞうりを 一足ずつ丹念に描き、大きな反響を呼びました。 今回、交野古文化同好会の有志8名の方々の協力を得て、 正月の玄関を飾る「しめ縄飾り作り」に挑戦しました。 最初は、左綯わないに戸惑った生徒も、次第にしめ縄飾りが 出来上がるに従い、独創的な飾り付けに夢中になり、 素晴らしい飾り付けを完成させました。 写真は、高尾秀司さんに撮影して頂きました。 |
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![]() 先ずは、しめ縄作りの作り方を教えてもらい |
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![]() 各自、藁の本数を確認する |
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![]() 30本と18本の藁に仕分けする |
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![]() 30本の藁を3分割して左縄綯いを始める |
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![]() 30本で編んだ縄を円形につくり |
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![]() 編んだ縄を組み合わせて鶴の形に整える |
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![]() 赤テープを藁の先に括り付けて、鶴のくちばしの出来上がり |
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![]() ハーイ、見事な「鶴形しめ縄飾り」の出来上がりです! |
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![]() 日本神話でアマテラスオオミカミが天の岩戸(あまのいわと)から出られたとき、再び岩戸に入れないよう張った「尻久米縄(しめくりなわ)」がしめなわの始まりと言われます。 そののち、これから先は神様のおられる清浄な土地だと言う目印および結界(けっかい:別の世界との区切りを示すもの)として神社などに1年中かけられたり、神をこの世に迎える標(しめ=しるしのこと)のなわとして、新しい年に家に幸せを呼ぶ歳神(としがみ=農業や豊作の神)を迎える依代(よりしろ;神が人の世界へ来るときの目印、とどまる場所)として正月の間かけられます。形は大きく円形の「ワジメ」と棒型の「ボウジメ」に分けられますが、地方によってたくさんの種類があります。 ![]() なわは、作り方やかける方向が神社によって決まっています。基本的に「左綯(な)い」で作り、なわの「本(ほん=根元の部分)」を向かって右に、「末(まつ=穂先の部分)」を左にかけます。これは、古くから右が上の方向だからです。 加えて、垂れ下がるわら飾りの「〆の子(しめのこ)」、同じく紙飾りの「紙垂(かみしで)」をつけます。〆の子は、順番に3本・5本・7本とつけることから、しめなわを漢字で「七五三縄」と書くこともあります。しかし、〆の子や紙垂は後の時代になって出てきたものだそうです。 ![]() ところで、ほとんどのしめなわが「左綯い」で作られるのはなぜでしょう?これにはたくさんの説があるようですが、左綯いをするとき(右利きの場合は)右手を自分の体に向かって引くことから、幸せをよびこむ、神様をお招きするなどの意味をもつので、神様に関係するわらの道具はほとんど左綯いであると言われています。反対に「右綯い」もあり、これは主に生活に使う道具に使われています。 ![]() しめなわはその年の刈り取りのときから良いわらを選び、まっすぐで緑の部分が残るように干しておきます。12月の暮れの時期、しめなわ作りをします。とくに古い地域では、体を清めた村人がおごそかに作業を行なったと言われます。お正月の時期に飾られたあとは、1月7日早朝にある「ホンゲンギョウ」という行事で村の組や近所の2〜3軒分まとめて燃やされました。この火で荒神さまのお供えモチを焼いて食べると、1年を健康に過ごせるといっていました。しめなわは、人々に収穫の喜びや1年の農作業における苦労へのいやしをもたらし、燃やされてなくなるときも新たな生きる活力を人々にもたらすものです。 ![]() しめなわは稲藁(いなわら)で作られます。わらは主に生活用具の材料ですが、しめなわのような年中行事でもたくさん使われました。 これはわらに対する人々の思いが関係しています。わらは人々の生活に役立ち、古くなってもゴミとして捨てるのではなく、土に返して新たな作物の肥料になったり、燃やしてその灰を別の所で役立たせたりできます。このことから、わらは生まれて消えてもまた生まれ変わる永遠の命を表すと考えられたのです。そこから発展してわらに神様が宿るものとし、これを材料に年神(としがみ)を迎えるかざりを作ったのです。 一年の大変な米づくりが終わり、見守ってくれた神様に感謝しながら、新しい一年がもっと良い年であるようにと祈る人々の気持ちが、わらやしめなわにこめられているのです。 |