山田池の花菖蒲写真集 |
さらに、その中間の街道として守口文禄堤に発する中高野街道があり、それぞれ河内長野で合流して、紀見峠を越えて高野山へ向かった。
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古くから交野地方の鎮守神として崇敬されており、延喜式には交野2座のうちの1座として記録に残っている。天正11年(1583年)豊臣秀吉は大坂城築城に際し城の東北に当たる当社を鬼門鎮護の社と定め修築した。 その後慶長7年(1602年)豊臣秀頼は片桐且元を総奉行として再興したのが現在の社殿で桃山時代の華麗な様式を伝えるものとして重要文化財に指定されている。 本殿は三間社流造、桧皮葺で細部に至るまで桃山時代の様式をよく伝えており、特に四面を飾る蟇股の彫刻に当時の特色を見ることができる。境内の南門は本殿再興後引き続き造営されたものである。 御祭神:素盞鳴尊(すさのおのみこと)、菅原道真公。法除(ほうよけ)、厄除、学問の神。 片埜神社の祭神について
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奈良・平安時代、河内国交野郡は「交野が原」とも呼ばれていた。 範囲は、右図でわかるように、現在の枚方市、交野市を合わせた範囲である。
桓武天皇「天神祭祀」郊祀壇(こうしだん)跡
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