第20回京遊会

興福寺の中金堂復元記念と   唐招提寺の鑑賞会

2018.11.14 〜 11.15
三木俊作さんより写真を投稿頂きました


長谷川崇明さんにご案内頂いた時のホームページ
12年前、第9回京遊会、猿沢の池・興福寺・ならまち散策もご覧ください!


8年前、長谷川崇明さんにご案内頂いた時のホームページ
8年前、第13回京遊会、興福寺、平城宮跡などの探訪記事をご覧ください!


 京遊会の皆様、11月14日から15日の第20回の京遊会に参加され大変お疲れ様でした。
世話役の長谷川さんには2日間にわたって興福寺と唐招提寺をきめ細かく案内頂き誠に有難うございました。
 重ねて御礼申し上げます。三木さん、写真撮影お世話になりました。

 長谷川さんより、8月に宿泊先の「三笠」パンフレットを同封して次のように案内を頂きました。
 「残暑お見舞い申し上げます。毎日暑い日が続きます。例年にない逆に通過の台風まで経験し、心しての毎日を送られていることと思います。
京遊会も第20回を迎えました。今年は一度参拝の興福寺が10月に中金堂を300年振りに再建しました。それに薬師寺、唐招提寺を加えての観光となります。宿は若草山中腹にあり奈良市街が一望できる「三笠」になります。」

 今年で京遊会も目出度く20回目を迎え、大西成長様も参加され総勢9名の元気なメンバーが勢揃いしました。
お陰様で天候にも恵まれ、長谷川さんの分かりやすい名ガイドで古都奈良の秋の旅を満喫することが出来ました。

 特に今回は、興福寺の中金堂が300年振りに再建され見事に蘇った建物と藤原鎌足ゆかりの釈迦如来と薬王・薬上菩薩、四天王、大黒天などの諸仏に、併せて東金堂と国宝館の素晴らしい仏様を拝むことが出来ました。また、翌日は、2009年に10年の年月を費やして再建された「唐招提寺」の金堂と薬師如来、廬舎那仏、千手観音などを長谷川さんの名調子の案内でゆっくりと鑑賞できて感動の連続でした。

 来年は、三木さん、寺田さんの世話役で、2019年11月13日(水)〜14日(木)、
 「岡山周辺の旅」と決まりました。どうぞよろしくお願いいたします。
 京遊会のメンバーより早速に、メールを頂戴しましたので、紹介します。
  早速、今年の奈良での京游会記録写真お送り頂き有難うございました。
何より嬉しかったのは、元気に参加でき、元気な皆さんにお会いできたことです、
当に健康第一です。其の上、天候も味方してくれたことです。
 14日、奈良の夜景を展望しながらの会食事、私の周辺の人に健老六訓の
話をしましたが、これは 紅葉で有名な永観堂の前管長(網干の大覚寺住職)
中西玄禧氏が、新宮にある西播磨高齢者大学で講演された時の話です。
@老金をもてA老友をもてB老勉すべしC老働すべしD老飾すべしE老性を楽しむべし
私もこの六訓を守り、来年の幹事役を無事務めることが出来る様、健康で居たいものです。
 今年も貴兄の「2018年度版京游会HP」が楽しみです。
       寺田さん

早速レポ-ト有難うございました。一昨日、昨日とちょっと忙しかったもので、今日ゆっくりと
 読ませて頂きました。
 昨年は参加出来なかったので、その分も合わせ余計に懐かしく楽しい二日間でした。
又、来年にお会いできることを願い、楽しみにしています。有難うございました。
   2018/11/18  岩下さん

懐かしい写真拝見しました。いろいろと思いだし懐かしいかぎりです。
ところでオープンカーの向かって左側は菅井功さんで、右側は有元さんだと思います。
        三木さん
  長谷川さんには、まるで皇族方か貴賓の方の随行宜しく手に取るように説明していただきました。
 聞いた時は、なるほどと頷くばかり、翌日になるともう定かでない。
 仏様のこと、何度聞いても頭に入らない。
 特に、興福寺の中金堂、東金堂、国宝館に、唐招提寺の金堂、講堂と何体の仏様を拝んだだろうか、
 数え切れません。
 ホームページを作成しながら少し頭の整理と洒落ましたが、中々一苦労です。
 仏像は撮影禁止の為、全て当日頂いたパンフレット・講読本等をスキャンしたり、WEBから拝借しました。
 記して、感謝申し上げます。
  興福寺の中金堂、東金堂、国宝館などの国宝・重要文化財をご覧になりたい方は、
    こちらをクリックして、夫々の建物と国宝・重要文化財をじっくりとご鑑賞ください。
今日(2018年11月22日)の神戸新聞朝刊第2面の連載コラム「人」に
興福寺貫首 多川俊英さんが載っており、
中金堂再建の苦労話等が紹介されていました。
僅か1週間前に訪ねたばかりであり、ホットニュ−スとしてお知らせします。
 2018/11/22 岩下利明さんより 
 

北 円 堂

世話役の長谷川さんには2日間にわたって
興福寺と唐招提寺をきめ細かく案内頂き誠に有難うございました。
 
南 円 堂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
五 重 塔
 
 興福寺中金堂 300年ぶりに再建される
 
 
 
 
 
 中金堂は藤原不比等が興福寺の最初の堂宇として、和鋼3年(710)の平城遷都と同時に創建しました。創建当時の規模は奈良朝寺院の中でも第一級であったと言われています。当初は藤原鎌足ゆかりの釈迦如来を中心に、薬王・薬上菩薩、十一面観音菩薩二躯、四天王、さらに養老5年(721)に橘三千代が夫不比等の一周忌供養で造立した弥勒浄土の群像が安置されていました。

創建より6回の焼失。再建を繰り返し、享保2年(1717)に焼失した後は財政的な問題により文政2年(1819)に規模を縮小した「仮堂」を再建。その後は老朽化が進んだため、平成12年(2000)に解体。発掘調査の後、平成22年(2010)の立柱式、平成26年(2014)の上棟式を経て、平成30年(2018)に再建落慶を迎え、創建当時の様式で復元されました。
 
 
 
 
 
 
 
 


 

 
 興福寺 東金堂
 
東 金 堂
  東金堂
興福寺の本堂である中金堂の東にあることから東金堂と呼ばれる。神亀3年(726)に聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って造られた薬師如来坐像を本尊とする。
創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光世界がこの世にあらわされていた。以来5度の被災、再建を繰り返し、今の建物は応永22年(1415)に再建された。前一間を吹き放しとし、三手先斗棋、寄棟造で、奈良時代の雰囲気を伝える。
 
 
 
 東金堂の本尊
薬師如来は、浄瑠璃光世界の教主で、人々の災いや苦を除き、病を治し、寿命を伸ばし、楽を与え、正しい道を教える。高い宣字形裳懸座に結珈扶坐。通肩の大衣を着、左手は掌を上にして薬壺を乗せ、右手は掌を前にかかげ五指を立てる。肉けいが低く、螺髪の粒が大きい。土形原型による鋳銅造り。
 
 
 
 興福寺 国宝館
 
奈良時代創建当初の食堂の外観を復元
 
 
 
8年前、興福寺国宝館がリニューアル 阿修羅像が間近に
1日にリニューアルオープンする興福寺国宝館。阿修羅像などがこれまでのガラス越しからより身近に拝観できるようになった=28日、奈良市(飯田英男撮影)
リニューアルオープンされた興福寺 国宝館
興福寺のホームページにて

こちらから展示されている国宝・文化財などを
ゆっくりとご覧ください!



阿修羅像(国宝・乾漆造 彩色 奈良時代像高 153.4cm)
 
 奈良万葉若草の宿 三笠
 古都奈良の世界遺産を一望できる宿
 
 
 
 63年前の思い出に花が咲く
 
 
 
 
オープンカーの主人公は、菅井さんと有元さんと判明しました。
 
 三木露風 母校で講演会
 
赤とんぼの母 朝ドラにしよう 
 ふるさと「たつの」では、三木露風の母、碧川かたを
朝ドラにしようと頑張っているそうです。
 
 
 
 
 
 唐招提寺 鑑賞会
 
 鑑真大和上と唐招提寺
鑑真和上は六八八年に中国揚州で誕生、十四歳の時、揚州の大雲寺で出家されました。
二十一歳で長安実際寺の戒壇で弘景律師に授戒を受けたのち、揚州大明寺で広く戒律を講義し、長安・洛陽に並ぶ者のない律匠と称えられました。七四二年に日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意されましたが、当時の航海は極めて難しいもので、鑑真和上は五度の失敗を重ね盲目の身となられました。しかし和上の意志は堅く、七五三年十二月、六度目の航海で遂に来朝を果たされました。
翌年和上は東大寺大仏殿の前に戒壇を築き、聖武太上天皇をはじめ四百余人の僧俗に戒を授けました。これは日本初の正式授戒です。鑑真和上は東大寺で五年を過ごされたのち、七五八年大和上の称号を賜わりました。あわせて右京五条二坊の地、新田部親王の旧宅地を賜わり、天平宝字三年(七五九)八月戒律の専修道場を創建されました。これが現在の律宗総本山唐招提寺のはじまりです。
 
 
 
 

金堂(国宝) 奈良時代(8世紀後半) 寄棟造。本瓦葺
南大門を入り参道の王砂利を踏み締めて進むと、誰もが眼前に迫る金堂の偉容に圧倒されます。豊かな量感と簡素な美しさを兼ね備えた天平様式、正面に並ぶ八本のエンタシス列柱の吹き放ちは、遠くギリシャの神殿建築技法がシルクロードを越え、日本まで伝来したかのように感じさせます。
 
金 堂
天平時代を代表する端正な建物。国宝。
平成21年、10年間を費やして修復工事が完成した。
 
 
 内陣には像高三メートルに及ぶ慮舎那仏(るしゃなぶつ)を中央に巨大な三尊(乾漆造 国宝)が居並び、厳粛な空間を生み出しています。本尊・廬舎那仏坐像(大仏)は宇宙の中心、釈迦の本地仏として中尊に、その東方に現世の苦悩を救済する薬師如来立像、西方に理想の未来へ導く十一面千手観世音菩薩立像が配されています。
 
千手観音 脇手展開写真

戒 壇  石段のみ鎌倉時代
僧となるための授戒が行われる場所。創建時に築かれたが中世に廃された。
 
唐招提寺 講堂
和上が当寺を開創するにあたり平城宮東朝集殿を
朝廷より賜り移築したのもで、平城宮唯一の宮殿建築の遺構です。
本尊弥勒如来坐像(鎌倉時代 木造 重要文化財)は、釈迦牟尼仏の後継で
将来必ず如来として出現し法を説くとされています。
そのため通常は菩薩像ですが、本像は如来像として表現され、
金堂の三尊と合わせて顕教四仏となる古式で配列されています。
 御影堂は平成27年から平成大修理事業に着手したため、約5年間は拝観できません。

大修理中の御影堂
 
開山堂
平成25年、大和上のお姿を写した「御身代わり像」が造られ、開山堂で落慶。
御身代わり像は、年間数日しか開扉しない国宝の和上像n代わって、毎日参拝できます。
 鑑真和上 御廟
 
東室(ひがしむろ)
講堂の東にある、長屋のような細長い建物。
学問僧の住居として鎌倉時代に建てられたもの。
 宝蔵・経蔵(国宝)
校倉様式の建物で、北に位置し一回り大きい方が宝蔵。
南にある小さい方の経蔵は、唐招提寺が創建されるより前にあった
新田部親王邸の米蔵を改造したものと言われ、日本最古のものです。
 仏像の造り方
 最後までご覧いただき有難うございました。

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