星田と書いて「ほしだ」と読む。 「星田の地名は、平安時代に交野が原に遊猟に来ていた当時の宮廷人の空想から生まれたとある。」 「 元来、星田山が禿山であったため、用水の不足で水田の耕作が出来ず、牧場にせられていたいう
その乾し田(ほしだ)の地名は、まことにおもしろげの ない名前であったので、 あたかも昔からこの村にある、八丁三所(はっちょうみところ)の星が降ったという伝説から、
宮廷人が、彼らの誌想を天界に馳せて、そこに広がる美しい星の田と、すなわち、 乾し田(ほしだ)が、星田と同音で改称せられた ものである。」
嵯峨天皇(弘仁年間 810〜824年)のころ、弘法大師が交野地方に来られた時に、獅子窟寺吉祥院の獅子の宝窟に入り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)が降り、三ヶ所に分れて落ちたと言いいます。 それが高岡山の東の星の森、光林寺の境内、星田妙見宮のご神体の三ヶ所で、神仏が姿を変えてあらわれた影向石(ようごうせき)として信仰されるようになったと伝えられています。 |