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明日香・酒船石遺跡

酒船石遺跡の亀の形をした石造物
(2000.2月 明日香村教育委員会・明日香村HPより)
飛鳥の観光など詳しくは★明日香村の公式HPをご参照ください
http://www.sikasenbey.or.jp/asuka/index.htm

亀形石の隣に湧水施設(奈良新聞 2000年5月25日)


明日香・酒船石遺跡に行ってきました!!
明日香村へのアクセス 飛鳥周辺観光MAP
私が今回探訪した明日香村の主な遺跡・観光写真集
飛鳥駅→国立飛鳥歴史公園→天武・持統天皇陵→鬼の雪隠・俎板→亀石→橘寺→川原寺跡→石舞台古墳→犬養万葉記念館→伝飛鳥板蓋宮跡→酒船石→酒船石遺跡→甘樫丘→高松塚壁画館→飛鳥駅 (自転車で約5時間半)

 5月7日、6時半頃起床、現役時代より早く家を飛び出し、飛鳥に行ってきました。 昨年6月末、始めて奈良観光バスを利用して、桜井、飛鳥を巡っていたので、今回は自転車のレンタルで、一日ゆっくりと回ってきました。
 勿論、お目当ての酒船石遺跡の亀の形をした石造物もじっくりと見学してきました。 残念ながら、酒船石遺跡の埋め戻しの作業が進んでおり、両側の石垣とか石敷きは見ることが出来ませんでしたが・・・。
 一般の見学が昨日で終わるというので、連休最後の日でしたが、家族連れや団体客が次から次へと訪れていました。 埋め戻してしまった後は、レプリカとして展示するようですが、何か他に保存方法がないものでしょうか。
 ボランティアガイドの説明では、酒船石遺跡の亀の形をした石造物は、花崗岩で出来ているそうですが、あれだけの硬い花崗岩をくりぬくには、現在の技術を持っても、石工二人で2ヶ月ぐらい掛かるそうです。
 また、甘樫丘からは、飛鳥の町、畝傍山、耳成山、天の香久山、藤原京跡などが一望され、やはり当時の権力者ならこういう所に、屋敷を建てるだろうなあと、納得しました。
(この丘に蘇我蝦夷、入鹿の親子が城のような館を構えていた。中大兄皇子と藤原鎌足に入鹿が討たれた後、蝦夷は館に火をかけて自殺したという。)
 黒岩重吾の古代歴史小説を、もう一度読み返し、また訪れようと思っています。
 また、富本銭が出土した所は、この遺跡の直ぐ隣で、予定通り万葉ミュージアムを建設中でした。

 わき水こんこん 亀形石へ流れた?
また、5月24日には、亀形石の周辺を調査していた明日香村教育委員会は、亀形石の南側約4bのところで、湧き水をためて流す石組みの導水施設が出土したと発表した。
 導水施設は、地面を南北約1.8b、東西約2.4b、深さ約1.3bに掘り、砂岩の切り石をれんがのように積み上げて築かれていた。中央部には、高さ約l.3b、縦、横各約80aの直方体の導水装置(内部は縦、横各約30a)があった。この装置には水をろ過する機能もあり、最上部にはふたがしてあった。
 付近では今も水がこんこんとわき出ており、このわき水がいったん導水施設全体にたまり、導水装置の水位が一定量を超えると流れ出す構造になっていたという。

 網干善教・関西大名誉教授(考古学)は「亀形石にたまった水は、神へ祈る前に口をすすいだり、手を洗ったりするのに使った聖なる水ではないか」と話す。(朝日新聞)

 古代の歴史が少しずつ解き明かされて、ますます興味深い。
 これから飛鳥から目が離せない。

奈良新聞 2001年3月1日
酒船石遺跡で方針
明日香村

 明日香村は28日、同村立部の村健康福祉センターで、「酒船石遺跡調査整備委員会」(委員長=門脇禎二・京都橘女子大教授)を開催した。亀形石造物のほか、石組みの湧水施設も保存処理して公開する方針を固めた。
 委員会は村の委嘱機関で、昨年春に発足。遺構の保存整備について協議した結果、亀形石造物、小判形石造物、湧水施設の3つを公開することで一致した。埋め戻して保存している周辺の石敷きについては、保存処理が難しく、今後の委員会で公開の可能性を検討する。
 見つかった導水施設は、湧き出した水を小判形石造物を通して亀形石造物に流す仕組み。村は周辺の土質を調べるボーリング調査を13年度から実施する方針で、データにもとづき、崩落を防ぐための処置を決める。
 亀形石造物などの導水施設は、村道の建設に伴って出土。予定通り建設すれば遺構が道路の下に埋もれるため、一部計画を変更し、遺構を見学できる遊歩道に切り替える。県を通じて国土交通省と協議を進めている。
 同委員会は、万葉文化館がオープンする9月までに、一連の整備を終えたい考え。門脇委員長は「整備の範囲や湧水の処理など、いろいろな問題がある。遺跡の中心となる部分は見てもらえるようにしたい」と話している。

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