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鴨都波(かもつば)遺跡現地説明会

鴨都波(かもつば)遺跡MAP


 6/11は、御所市の鴨都波(かもつば)遺跡の現地説明会に出かけました。
 午前8時50分、近鉄電車・阿倍野橋駅より吉野行き急行電車に乗り、尺度で乗り換え御所駅に9時34分に到着。駅前で、御所市役所の職員さんから現地説明会の会場の案内をもらい、国道24号線沿いに御所市民会館に急ぐこと10分。市民会館にはもう既に何百人という方々が席を埋められ説明の始まるのを待っておられた。
 午前10時、御所市教育委員会の木許守さん(36)がスライドを使って今回の発掘調査の内容を詳しく解説された。その後、発掘現場に向かい、雨の中傘を差しながら熱心な考古ファンの方々と遺跡を見学しました。
 現場は、済生会・御所病院の西側で、周りは住宅街に囲まれた所でよくも1600年もの間盗掘にもあわず発掘されたのが不思議なくらいでした。
 また、今回の発掘により小さな古墳から三角縁神獣鏡が4枚も出土するなど大きな関心を集めていました。
鴨都波遺跡の現地写真

鴨都波(かもつば)遺跡現地説明会 資料を参考

遺跡調査区全体図 鴨都波(かもつば)1号墳の概要

所在地 : 御所市三室20番地
墳丘(ふんきゅう)
南北19m、東西14mの方墳で、埴輪、葺石はありません。

隍(からほり)
 幅4mの隍が巡ります。北東のコーナーには渡り土手を積み上げており、墓道に通じています。なお、隍が芦原状態になって埋没する過程で、北東のコーナー付近を中心に、隍の外側から、布留式と呼ばれる古墳時代前期の土器が大量に投棄されています。

主体部(しゅたいぶ)
 粘土槨(ねんどかく)と呼ばれるもので、棺(ひつぎ)を粘土で覆います。

棺(ひつぎ)
主体部全景・棺(ひつぎ)・左が北  長さ4.3mの刳抜式の木棺で、被葬者は頭を北にして仰向けに寝た状態で埋葬されています。棺身は浅く、棺蓋の方がより広く高い(深い)のが特徴です。通例通り頭側をやや高くして安置されているものの、その方の幅が特に広いということはなさそうです。棺身には赤色顔料の塗布があります。長さ以外の法量は次の通り。
[棺身]幅外形43cm、深さ外形8cm、材の厚み2cm程度、[棺蓋]幅外形53cm、高さ外形25cm、材の厚み4cm程度。

副葬品(ふくそうひん) 出土の位置と状態ごとに、それぞれ原則として北から順に記します。

【棺外】
《墓壙西側》方形板革綴短甲の下に入れ込んで漆塗り靫、南側ではその靫の下に波文帯二神龍虎画像(棺外鏡l)と波文帯三神三獣鏡(棺外鏡2)、次いで波文帯二神四獣鏡(棺外鏡3)の3面の三角縁神獣鏡をいずれも鏡背(文様面)を上にして並べてあります。棺内の被葬者との位置関係でいえば短甲は概ね胴の位置にあり、鏡3面は腰から足先にほぽ相当するものとみられます。また、槍2本の本体と漆塗り装具は墓壙の南西端近くにあり、漆塗りの柄は短甲の上まで伸びています。
《墓壙東側》
鉄刀4本以上の南に、鉄鏃10本程度と漆塗りの矢柄を漆塗り靫に収めています。さらに南には漆塗り盾らしきものがあります。
《墓壙南小口》
鉄剣4本、板状鉄斧1、袋状鉄斧2、釶5程度が刳抜式の合子状の入れ物に収めてあります。
《被覆粘土》
東側南端近くに大形の碧玉製紡錘車形石製晶が埋められていました。

【棺内】
人体の頭部は棺の北小口から90cmほどの位置にあり、歯の遺存状態良好。顔面の位置の赤色顔料はとりわけ鮮やかです。北小口と頭部の間の中央に三角縁吾有好同三神三獣鏡を鏡背(文様面)を上にして置き、これを挟んて東に漆塗りの杖状木製品(長さ約25cm、指揮棒?)、西に碧玉製紡錘車形石製品を置いています。頭の左右には、頸飾りを分け置き(硬玉製勾玉・碧玉製管玉・ガラス小玉)、右腰付近には漆塗り装具を伴う鉄剣(?)があります。

【棺外】鏡、三角縁神獣鏡 【棺外】墓壙西側の副葬品出土状態

まとめ 
 築造の時期は古墳時代前期中葉(4世紀中葉)とみられます。一辺20mほどの方墳にもかかわらず、豊富な副葬品を有することに注目されますこの程度の規模の前期古墳で、棺の内外合わせて4面もの三角縁神獣鏡を副葬する例はほかには見当たりません。また、前期の小形古墳て短甲を副葬する例は大和に限定されますので、これらは古墳時代前期における、他地域に対する大和の卓越性を示すものと考えられます。
 一方で本墳の三角縁神獣鏡には特殊な意匠を持つものが多く、大形碧玉製紡錘車形石製品と呼んだものも他に例をみません。棺構造も異例に属し、こうした特殊性と鏡の特徴的な配列は、弥生時代以来、鴨都波遺跡周辺を中心とする南葛城に本拠を置いた、伝統勢力の性格の一端を示すものとみられます。
 また、靫や槍・剣の装具などの漆塗り製品、および被葬者の歯や棺材の遣存状態の良好さも注日され、今後の整理作業や鑑定により、貴重な知見が得られるものと期待されます。

調査中につき、内容については変更・修正の場合があります。
調査に当たっては網干善教先生、橿原考古学研究所の指導、協力を得ました。


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