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神話のふるさと・葛城古道を歩く
葛城山山麓のあぜ道で古代豪族の息づかいを感じる

日本神話のふるさと葛城古道など詳しくは
葛城古道にようこそ
をご参照ください


葛城の道 :神々の里として、天孫降臨を初めとする数々の神話の舞台が、そして葛城王朝以来の史跡や農耕文化の営みの跡が、金剛葛城両山麓一帯の扇状地に広がる。
 古代の人々が往来した道は、草深い木々の茂った山道であった。しかし、豊かな自然の懐の中で、人間味あふれる温もりと生気が満ちていたに違いない。そんな舞台の中心地であった葛城古道は、一言新道とも呼ばれて来たが、とても一日では歩ききれない。しかも、道は縦横に連なり廻り行けば必ず史跡があり、そして恵まれた自然に触れることができる。


歴史ウォーキング行程約12km

近鉄・御所駅(10:30)→バス→猿目橋→六地蔵→九品寺→一言主神社→
長柄の民家→極楽寺(休憩・昼食)→橋本院→高天彦神社→高鴨神社→
風の森バス停→近鉄・御所駅(16:00)

 10/6(金)、幸い天候もよく、近鉄電車・阿部野橋より急行に乗り、尺度駅で乗り換え御所駅に10:30に着く。
 駅で、てくてくまっぷ「葛城の道コース」を頂き、葛城山ロープウエイ行きのバスに乗り、約10分「猿目橋」で下車、いよいよ葛城古道の出発点の六地蔵石仏に到着。これから風の森バス停まで約12kmを秋風に誘われながら歩くのだ。大きな葛城古道の案内板を見て大体のコースを確認、道標に沿って勇躍出発。番水の時計
 道の周囲は、彼岸花が咲き乱れ、田圃の黄金色に色づいた稲穂を秋風が揺らす。緑濃い葛城山を右手に、長閑な道を歩く。道端に石仏。ふと、子供の頃、母親に背負われて寝てしまったような記憶が蘇る。そして昔、長い道程の田舎道を母親の里へ歩いて行ったことを思い出す。そんなことを思い出させてくれる葛城の古道。
 九品寺へのあぜ道を行くと、番水の時計がある。田畑に水を引く頃、水入れの順番を時間によって変えるため為に使われるという。周りのあぜ道にも彼岸花が真っ赤に咲き乱れ、少し時期を過ぎたのか幾分枯れかかっている。
 聖武天皇の時代に行基が開き、空海が再興したという九品寺。境内裏には南北朝時代、城主楢原氏が楠木正成公とともに南朝に味方し、北朝と戦ったとき家族や地元の人々が身代りに奉納したと伝えられ、そのため身代り石仏とも呼ばれてる千体石仏がある。
 九品寺を後に、やがて左手の遠くに大和平野が見え、コスモスが咲き乱れる畑に出る。この辺りから見える大和三山は、見事である。何度もカメラのシャッターを押す。少し進むと休憩所もあり、綺麗な風景を見ながらゆっくり食事などするのにも絶好の場所である。
 細い田圃道をくねくねと進み、民家の建ち並ぶ道路を迂回すると「一言さん」で親しまれている一言主神社に出る。社殿への石の階段を上ると、境内では俳句の会のグループが手帳を片手に一心に句を詠んでいるところだった。本殿横には、1200年の樹齢と言われる大銀杏がある。幹には、乳房を思わせる気根があり、「乳イチョウ」と呼ばれ、お乳が出るようにと願いをするという。葛城古道
 一言主神社の参道を真直ぐ東へ進むと、古い民家が建ち並ぶ、長柄の集落に出る。江戸初期に建てられたと言う代官屋敷の中村邸など古い民家が並んでいる。また、街道筋には銘酒「百楽門」の葛城酒造がある。やがて民家も疎らになり葛城古道の道標に沿って、山麓の道を段々と上へと登ると極楽寺に。
 石段を登ると重厚な鐘楼門。休憩用の長椅子をお借りして、少し遅めの昼食を摂る。
 極楽寺を出て、橋本院へと山道を進む。木々の茂る細い山道を息を切らして登ると、視界が一気に開け沢山の花が咲く橋本院の花畑にほっとする。
 橋本院を過ぎ、直ぐに高天ガ原の石碑があり、目の前に迫った金剛山を見上げる。ここは降臨伝説の地。まさに別天地の感あり。
 ほどなく歩くと豪族葛城氏の祖神を祀る高天彦神社。ご神体は背後の円錐形の山。小振りな古びた拝殿にお参りすると、なにか神の秘めた力をひしひしと感じる。参道には老杉が天を仰ぎまさしく神話の世界に引き込まれる。蜘蛛窟、鶯宿梅など史跡をめぐる。高鴨神社
 急な舗装された坂道をどんどん下り、民家を抜けると、高鴨神社。豪族鴨氏の氏神。京都の賀茂上下社の本家にあたり、重文の本殿は桧皮葺の室町時代の建物である。春は宮司さんが手塩にかけて育てた日本サクラソウが有名。隣接する、葛城の道歴史文化館は、葛城古道に関する資料や発掘された土器などを展示している。当日は、残念ながら金曜日で休館日であった。月、金が休み。
 葛城古道もいよいよ終わりに近づいた、ゆっくりと風に吹かれながら24号線へと進む。バス停、風の森に到着。お疲れさんでした。

 

葛城古道を歩く
古代豪族の息づかいを感じ、神話の世界に酔った散策
写真集

コスモス畑からの大和三山は格別

神々の里・葛城古道MAP



 金剛・葛城・二上山の連山は、大和と河内を隔て、古くから三輪山とともに神の山として恐れ崇められてきた。現在、南の峰を金剛山、北を葛城山と呼んでいるが、昔は二つをあわせて葛木の山といい、山麓一帯は古代に栄えた鴨氏、葛城氏の本拠地だったと伝えられている。 このあたりには、神さびた古社が多いが気をつけてみていくと、高鴨神社、鴨都波(かもつわ)神社、鴨山口神社など「鴨」の名を持つものと、葛木坐一言主神社(かつらぎいますひとことぬしじんじゃ)、葛木水分(みくまり)神社など「葛木」の名称の付くものに大別できる。
 千数百年の時を経てもなお名を残す、古代豪族の栄華はいかばかりであっただろうか。
 
 三輪山麓の山辺の道よりもさらに歴史深いと言われる葛城古道。
 草いきれのあぜ道を行けば、みずらに結い、勾玉の首飾りをかけた古代の人に出合う気がする。
(歩く旅シリーズ・街道古道を歩くを参照)

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