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日本の道百選
暗峠に石仏を訪ねる
奈良県生駒市と大阪府東大阪市にまたがる峠道


秋の一日、日本の道百選の暗峠に石仏群を訪ねた。
静かな古道沿いの石垣と家並み、段々畑、苔むした石仏たち、
石畳の暗峠、修験道の古刹、府民の森のハイキングコース、展望台、
芭蕉の句碑、枚岡神社と見るべきものが多かった。

また、今回歩けなかった、B・Cコースにも沢山の石仏、古刹が多い。
ミニガイドを参考にどうぞ、ごゆっくりと散策ください。

次回には是非とも訪れたい場所である。

  暗峠(くらがりとうげ)暗峠の道標
 大阪玉造二軒茶屋から河内平野・豊浦を経て生駒山に至る全長34kmの道。所謂「奈良街道」。峠の標高は455m。
 江戸時代の官道で人和郡山藩が大阪への道としたので峠付近には本陣の他、「河内屋」、「油屋」等20軒の旅篭が軒を連ねていた。
「河内名所図会」(1801年)にも描かれている。大阪中心部と奈良を結ぶ最短路で初瀬・伊勢参りの人も通った(今に残る石畳は郡山藩が敷いたもの)。現在は国道308号で「日本の道百選」に選ばれている。

<名前の由来>
説I→昔この付近を
小椋山おぐらやま)と言い、峠を椋嶺(くらがね)と呼んだから。
説U→松、杉がうっそうと茂り文宇通り暗かったから。
説V→余りの急坂で昔、荷を運ぶ商人がここで鞍を替えたから。
 

暗峠ウォーク行程【徒歩距離7.4km・2時間30分】
近鉄鶴橋++++17.2km・快速急行16分)→近鉄生駒+++(3.5km・6分)近鉄南生駒…(0.8km・15分)→応願寺<萩原町>…(0.8km・15分)→石仏寺<藤尾町>…(1.7km・40分、この間、生駒消防団機動第3分団詰所→竹薮・段々畑→宝山寺分岐→信貴生駒スカイライン下経由・西畑町)→暗峠…(4.0km・70分、途中「慈光寺」経由、府民の森ぬかた園地、枚岡公園)→枚岡神社…(0.1km・2分)→近鉄枚岡+++11.3km‐各停26分)→近鉄鶴橋


暗峠に石仏を訪ねるMAP

応願寺
鎌倉末期の永仁2(1294)年銘の地蔵石仏がある。石工の伊行氏の作と思われる。他に十三重石塔婆がある。
石仏寺
本尊阿弥陀如来三尊像は秘仏だが永仁2年、石工伊行氏の作。境内には鎌倉期の五輪塔、石仏がある。
南生駒駅より暗峠を目指して
藤尾町の家並みと石垣
よく手入れされた庭木が素晴らしい
西畑町附近
拡幅された308号線
南生駒方面を望む
奈良方面はところどころ
道路の整備が進んでいる
暗  峠
人っ子ひとり見当たらない
峠の茶屋も平日はお休み
100Mばかりの石畳
単車、車は走り難そう!
枚岡神社の大鳥居と参道
枚岡駅を出て階段を登れば直ぐ
枚岡神社は河内国一宮
枚岡神社梅林には600本の
紅梅白梅がある。


 11/6、中年探索隊の4人で、近鉄南生駒駅から国道308号を歩き、昔ながらの石畳の暗峠(生駒山)を越して役行者ゆかりの慈光寺、府民の森ぬかた園地を通り、枚岡公園を歩き、枚岡神社に参拝してきました。
 道中、沢山の石仏と出会いながら、秋の一日のんびりと楽しんできました。
 昨夜来から明け方まで降っていた雨も上がり、出発時間の9時半頃にはまずまずの天候となったが、午前中は雲も多く少し肌寒く、昼食時にやっと太陽が顔を出した。
慈光寺の下の広場で昼食を摂りましたが、台風並みの風が吹き荒れ弁当が飛びそうになり大変でした。(木枯らし1号でした)
 以前から是非とも歩いてみたいと思っていた峠だけに念願が叶い大満足。
同行のI氏に感謝。
 
 暗峠に向う途中、同行のSさんが可愛らしい青い稲穂を棚田で見つけた。稲刈り後、出てくる稲穂の事を「2番穂」というそうですが、皆さんご存知でしたか?
 
インターネットのHPから次のような文章を見つけました。
あるサッカーの選手の手記です。

秋に刈られた稲の茎からもう一度小さな穂が出る事がある。
稀にこの穂が実る。これを2番穂と呼ぶ。
なんども挫折をくり返しながら進んで来た彼は、太陽を浴びて充分に世話を受け、たわわに実り大事に収穫された1番穂ではないかもしれない。
それでもいい。2番穂にだって存在意義がある。その実りを待っている者がいる。
 
 2番穂が実る年は大雪、という俚諺を御存じだろうか。
豪雪地帯に生まれ育った筆者は母から教えられた。食べ物が何も無くなる大雪の前に野の生き物達がお腹一杯食べられるように2番穂に実が入るのかもしれない。
どんなものにも意味があるのだという自然の摂理を教えてくれているような気がする。

 水戸地方は今年は例年に無い大雪の年になった。
2番穂の田んぼでは小鳥達に食べ尽され空になった穂の上に、今年3度目の雪が降り積もっている。

 ※当日、見学した史跡の概略説明
応願寺応願寺の十三重塔
鎌倉末期の永仁2(1294)年銘の地蔵石仏があるが、後述の石仏寺の石仏に似ていることから同じ石工の伊行氏の作と思われる。他に
十三重石塔婆がある。

石仏寺(せきぶつじ)
 融通念仏宗。由号は岩生山。本尊阿弥陀如来三尊像は秘仏だが永仁2年、石工伊行の作。他に嘉元4(1306)年の銘を持つ石造阿弥陀如来像を安置。
境内には鎌倉期の五輪塔、石仏がある。

藤尾峠の石仏
 @石仏寺から急坂を登り切った所に鎌倉期の阿弥陀三尊石仏がある。

   上部が欠落しているが高さ135cmの石仏で文永7(1270)年の銘がありこの辺で最古の石仏である。
  A前記石仏から500m暗峠寄りの右手茂みの中に室町後期の地蔵菩薩線刻石仏、板碑がある。

役行者石仏
 西畑町所在。上記地蔵の上手の岩上にある。花崗岩を67cm彫り込んだ像高170cmの像。足駄を履いて前鬼後鬼を肉彫りした室町期らしい親しみのある像。


暗峠石仏
 石畳道を少し北に坂道を入ると地蔵堂がある。鎌倉中期の等身大の地蔵。
首部が破損している。

石仏寺の鎌倉時代の石仏群 藤尾峠の町後期の地蔵菩薩線刻石仏
役行者の石仏
西畑町所在。足駄を履いて前鬼後鬼を肉彫りした室町期らしい親しみのある像。
暗峠の石仏
石畳道を少し北に坂道を入ると地蔵堂がある。鎌倉中期の等身大の地蔵。首部が破損している。

慈光寺慈光寺
 暗峠の北東10分。標高400mの髪切山(こぎりざん)にある真言宗の古刹で修験道の寺。

 別名ホトトギスの寺と言う。江戸時代からホトトギスの名所。境内に「野鳥塚」もある。山号は髪切山(こぎりざん)と言い役行者が修行の折、領民に乱行する二鬼を退治、その髪を切ったと言うのが起こり。
本尊は天文18(1549)年作の板絵千手観音図である。
9月19日が戸閉式。

弘法大師の水==暗峠→枚岡神社への道左手の小屋。


枚岡神社
 河内国一宮。主神は第一殿の天児屋根命
(あめのこやねのみこと)(藤原氏の祖神)、第二殿は比売御神(ひめみかみ)、第三殿は武甕槌御神命(たけみかづちのみこと)、第四殿に斎主命(いわいぬしのみこと)を祭る。第三殿と第四殿の神は神護景雲年間(767〜770)にここから奈良春日神社へ分祀されたので枚岡神社を「元春日」とも呼ぶ。
 度々火災に会い慶長7(1602)年豊臣秀頼が社殿を修復、現社殿は文政9(1826)年氏子総力による修造である。本殿背後の神津嶽に神津嶽本宮、本殿南に若宮神社、更に南に末社天神地祇社が祭られる。

 1月11日の粥占神事は大阪府無形民俗文化財、12月25日の注連縄神事は東大阪市無形民俗文化財指定。
 尚、枚岡神社梅林には600本の紅梅白梅がある。

暗峠石畳道の句碑・…西畑町の万葉歌碑
  “菊の香りにくらがり登る節句かな”(芭蕉)


西畑町歌碑……
  “難波門を漕ぎ出でて見れば神
(かむ)さぶる生駒島嶺(しまね)に雲そたなびく”
 (大田部三成(おおたべのみなり)・万葉集巻20-4380




周辺ミニガイド>
 
≪Bコース》暗峠から折返す【徒歩距離12.3km‐3時間45分】
 暗峠…(2km‐40分・大原山・府民の森・銀樟池経由)→鳴川峠…(3.0km‐40分)→千光寺…(2.5km‐50分清滝石仏群経由)→伊古麻山口神社…(1.5km‐25分)→近鉄元山上口+++6.7km‐13分)+++17.2km‐快速急行16分)+++近鉄鶴橋

鳴川峠==標高522mの大原山を越える縦走路の峠。室町期の地蔵石仏がある。
府民の森==大阪府政100年記念事業として1967年度から整備。
千光寺==真言宗醍醐派別格本山。山号は元山上山。開基は行基善薩。本尊は千手観音。裏山は修行の場で鐘掛岩、平等岩、覗岩、蛇腹岩等の行場がある。梵鐘は元仁2(1225)年鋳造で、奈良県指定文化財。門前の石仏は「揺地蔵(ゆるぎじぞう)」と言う。弘安4(1281)年の銘。花崗岩製。高さ1.96m、幅69cm、厚さ45cm。上方を壺形後背に作った厚彫り、石笠をかぶる。信仰すれば病気が一度に揺るぎ平癒する所から命名された。横に天文20(1551)年銘の十三仏が並ぶ。

**行場の石仏群**
@滝飛抹のかかる10m程の絶壁下に仏高
2.4mの線彫り地蔵。錫杖の持ち方から鎌倉後期の作と推定。
A@の右横手岩肌に「貝吹き」「法螺吹き」「はらみ」の3地蔵。いずれも60cm余の仏高。室町時代の作。
B振返った崖に高さ30cmの五智如来の小坐像が半肉彫りされている。鎌倉末期の作。

■伊古麻山口神社==延喜式内社。「清の宮」と呼ばれる雨乞いの神。素盞鳴命(すさのおのみこと)・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)を祭る。社殿前に陽石・陰石がある。左横を流れる宮川に架かる神前橋を渡った所に「首無し地蔵」。高さ1.2m、鎌倉期のものと思われる線の綺麗な石仏。

金勝寺==真言宗室生寺派。山号は椣原山(しではらざん)。閲基は行基菩薩。天平18(746)年開基と伝えるが天正年間、松永久秀の焼討で焼失、今は小堂を残すのみ。本尊は薬師如来。本堂左手阿弥陀堂横の崖に十四体の線彫り、肉彫りの不動明王・阿弥陀如来・地蔵菩薩が辛うじて判別出来る。崖の痛みは焼討の犠牲かも・・・。室町中期、康正2(1456)年の年号が残るがその横に天正16(1588)年とあるのは桃山時代に追彫された為。崖の左端に当る池畔にも地蔵群がある。


≪Cコース≫近鉄生駒+++2.3km‐4分)→近鉄一分…(清水橋・イケハラ池経由)→竹林寺…(有里部落経由)→円福寺…・(大池・今池・平尾町経由)→宝幢寺…(1.5km308号経由)→石仏寺…・以下A又はBコースに続く。

ミニガイド

竹林寺==行基の墓所。鎌倉期の文歴2(1235)年行基の舎利瓶が発掘されその後良遍上人が再興するも今の本堂は1998年の再建。行基墓は史跡。

円福寺==真言宗。山号は龍華山。開基は行基。天平勝宝年間(749〜757)の創建。竹林寺跡に近く生駒谷を見下ろす山腹に建つ。こじんまりした本堂は室町初期のもので重文。内部に平安後期の木造十一面観音像を安置。本堂前の宝筺印塔2基は花崗岩製。鎌倉時代のもので北側のものは永仁元年の作。2基共重文で鎌倉期の典型的な塔である。

宝幢寺(ほうどうじ)==融通念仏宗。山号は龍護山。開基は行基。生駒山東麓に位置するこの寺は行基が母の菩提を弔う為建立したと伝える。木堂は室町前期の建築、単層入母屋造瓦葺の屋根が美しい(重文)。内陣須弥壇左右両側には釈迦十六善神と普賢十羅刹女を描く。本堂向拝の柱石に鎌倉時代の反花が彫刻されている。又、境内に室町期の宝筺印塔と、弘治2(1294)年銘の名号板碑がある。


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