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東海道400年記念
近江東海道ライド&ウォーク
滋賀県土山宿・水口宿・草津宿を訪ねる

 2001年の今年は、東海道五十三次の宿駅制度が制定されて400年目に近江東海道あたり、今回近江東海道ライド&ウォークに参加した。
土山宿、水口宿、石部宿、草津宿と続く当時の東海道の賑わいの一端を味わうことが出来ました。
 

  近江東海道
 近江を代表する街道として、まずあげられるのが東海道です。
 三重県境鈴鹿峠から五十三次の49番目土山宿へ、そして50番目水口宿、うつくし松が有名な甲西を経て51番目の石部宿、昔を偲ばせる旧和中散本舗のある栗東を通り、中山道の分岐があり交通の要衝であった52番目の草津宿へとつづき、「木曽殿と背中合わせの寒さかな」と詠まれた芭蕉が眠る義仲寺のある53番目大津宿と、近江東海道五宿(2市5町)を走ります。広重の水口宿

 鈴鹿馬子唄 「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」に、また、広重の絵にとどめるこの道は、松尾芭蕉が訪れたロマンの道でもあります。いにしえを偲ぶ旅人をやさしく迎えてくれる、そんな近江東海道です。


この浮世絵は、広重の水口宿。照りつける真夏の太陽の下、かんぴょう作りに精を出す農婦たちが画かれている。

 水口の名産「かんぴょう」
 当時は多くの農家でかんぴょうが作られ、青空の下、白いかんぴょうが干される風景は初夏の風物詩となっていた。この光景は殆ど見られないが、かんぴょうは現在も水口の特産品として親しまれている。
 
詳しくは
土山宿、水口宿
道中記関連HP
をご参照ください

http://home.highway.ne.jp/hutihata/tutiyama.htm
 http://japan-city.com/toukai/51/

草津宿草津市ホームページへどうぞ


近江東海道ライド&ウォーク行程
JR京都→草津駅乗換え→貴生川駅下車→バス→土山宿伝馬館前集合
→NHKTVおーいニッポンに出演土山宿をウォーク→バス→
水口宿をウォーク
→バス→横田の常夜灯→バス→草津宿をウォーク→草津駅


 2001.6.3(日)天候晴れ。午前9時45分、土山伝馬館前で「近江東海道ライド&ウォーク」の開会式が行われ、NHKTV BS2、午前10:10分「おーい日本」〜今日とことん滋賀県〜のタイトルの出だしで、参加者80名の皆さんと生出演する機会に恵まれ、コブシを上げて「滋賀県」と叫んできました。翌週、放映されたダイジェスト版をみて、下記の写真集を作成した。 

NHK BS-2「おーいニッポン
今日はとことん滋賀県」
司会者の野村・
永井アナウンサー
おーいニッポンのスタートに
参加者全員が出演した
土山宿を歩く 土山本陣の本陣料理 土山本陣の当主3代勢揃い

 当日は土山宿内を歩き、土山町立歴史民族資料館、常明禅寺を見学後、土山町公民館で本陣料理風の昼食を美味しく頂いた。草津宿・追分道標
 午後は、土山宿から垂水斎宮頓宮跡、瀧樹神社、一里塚などを見学しながら旧東海道松並木まで4kmをウォーク。国道1号線近くでバスに乗車、水口宿向けて出発。
 水口宿内をウォーク、水口囃子をみたあと、水口城、水口町歴史民族資料館を見学。最後の行程先草津宿に向けてバスに乗車。
 途中、バスの中から「横田の常夜灯」を見学。草津市役所にて下車解散後、草津宿へとウォーク。草津本陣、追分道標などを見学。
 土山宿、水口宿、石部宿、草津宿と続く当時の東海道の賑わいの一端を味わうことが出来た。
 地元のボランティアの方や学芸員の方から、FMラジオを通して聞く説明は、分かりやすく、また、当時の面影を少しでも後世の人々に伝えようと活動しておられる地元の方々の姿勢に感動した。
 

当日の近江東海道ライド&ウォーク写真集

土山宿、水口宿の中心部の拡大地図はこちらをクリックください!

土山宿、水口宿の詳しい情報は下記のHPへどうぞ
  水口町のホームページ
  土山町のホームページ


※当日、見学した史跡の概略説明
土山宿
 
土山宿は険しい鈴鹿峠を行き来する旅人の休憩場所として賑わいました。
本陣や旅籠が並ぶ町並みは現在も残され、宿場町の面影を見ながら散策が出来ます。また、周辺には垂水斎王頓宮跡や田村神社などがあり、土山茶、かにが坂飴や千枚漬けなどの名産品があります。
 天保14年(1843)の「東海道宿村大概帳」によると、1348石、家数351軒、人数1505人で、本陣2軒、旅籠屋は44軒ありました。
土山本陣前を歩く
 土山宿本陣 土山宿のほぼ中央に位置し、寛永11年(1634)、三代将軍徳川家光の上洛に際して設けられた。初代土山喜左衛門が本陣役に任命され、以後明治3年(1870)に至るまで代々勤めた。
 現在でも土山宿本陣は旧街道に面し、大名などが宿泊した上段の間や、庭園などが当時のまま残されており、宿帳や関札・工芸品などの貴重な資料が保存されている。
 
旅籠・井筒屋跡
 森鴎外の祖父で津和野藩亀井家の典医だった森白仙が、参勤交代に従って江戸より旅の途中、病のためここで息を引き取った。

土山町立歴史民族資料館
 土山町は琵琶湖の東南に位置し、そsの昔近江路を伊勢に出る要衝であった。都が平安京に遷されたのち、京都と伊勢神宮を結ぶ官道が整備され、仁和2年(886)斎王群行が通った。江戸時代には宿場町としてさかえた。常明禅寺
 資料館は、古来より訪れた人々に親しまれてきた土山町の「道」を通じた歴史と、そこの生活してきた人々を紹介しています。

 常明禅寺
 悲劇の皇子、長屋王が母の死を悼んで納めたと言われる大般若経が伝わり、国宝に指定されている。
 津和野藩の医師で森鴎外の祖父、森白仙が当地で倒れ、ここに葬られた。ここの住職だった虚白禅師は、京都東福寺や南禅寺の管長を勤め、12代将軍徳川家慶より最高僧位を受けた。
 松尾芭蕉が「さみだれに鳰(にお)のうきすを見にゆかん」と詠んだ句碑が残る。

水口宿水口宿を歩く
 水口は中世から伊勢参宮道の道としてひらけ、江戸時代は東海道の宿場町として、また自然の湧水の堀を巡らせた碧水城の別名をもつ水口城の城下町として栄えました。
 町内には小堀遠州作と伝わる蓬莱庭園が素晴らしい大池寺、岡山城跡など、多くの史跡があります。また、毎年4月20日に行われる「水口曳山祭」は多くの観光客で賑わいます。

 東見付け跡 
 水口宿の東端に設けられたもので、「江戸口」とも呼ばれた。土居と木戸で囲まれ、宿場の防御的な施設ともなっていた。


水口城跡・水口城資料館
 水口城は湧水を利用した堀に水をたたえていた事から別名「碧水城」と呼ばれていた。明治維新後、建物や石垣の大半は処分されたが、将軍家宿館遺跡として保存され、角櫓を模した資料館も設けられている。

横田の常夜灯

 横田の常夜灯
  かって野洲川はこの辺りで横田川と呼ばれていた。「横田の渡し」は、「東海道十三渡し」のひとつで、その跡地にのこる文政5年(1822)に建立された石造の常夜灯は、街道随一の規模を誇る巨大なものである。
 

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