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世界遺産宇治平等院と宇治上神社を歩く

花やしき浮舟園のHPはこちら
源氏ろまん京都宇治ウェッブガイドで宇治を堪能して下さい。


 「宇治」は、
 昔から奈良と京都を結ぶ交通の要所として発展してきた地域である。
 宇治の象徴の一つである宇治橋は、大化2年(646)に道登によって造られたと言う。その後、度々橋は流されたが架け替えられ、現在の橋は平成8年に完成した。
 琵琶湖の水は宇治川ラインという渓谷美の中を流れ、宇治に達する。水と緑の美しい町・宇治は、1000年の歴史を肌で感じられる場所である。
 平等院の鳳凰堂は湖水に降り立つ鳳凰の姿をかたどったもので、往時は水に浮かぶ浄土だったであろう。平等院の鳳凰堂
 また、風光明媚な場所として知られ、平安貴族は別荘を設け舟遊びに興じたと言う。
 宇治は紫式部が書いた「源氏物語」五十四帖のうち、最後の10帖「宇治十帖」の舞台でもあり、宇治十帖にちなんだ石碑や石仏をたどる事が出来る。
 宇治市では、全国の女流作家を対象にした「紫式部文学」と 市民を対象にした「紫式部市民文化賞」を平成3年に設け、毎年秋に受賞式と記念イベントを開催している。

 
 2001.11/10〜11日と一泊で、宇治に出かけた。
 大学時代の悪友7人は、思い思いに宇治の「花やしき浮舟園」に集合した。
 ふるさと播州からの参加者の内4名は、早朝出発して宇治でゴルフを楽しんだ。彼らは地元のゴルフ仲間で、定年後も勤めたりしながら人生を健康で楽しく過ごしている。世話役のK君と部屋で談笑しているところへ、元気に日焼けした彼らが到着。まも宇治上神社でボランティアガイドから説明を受けるなくA君も顔を見せ、全員揃った。
 宴会時間も待ち遠しく、早々にK君の音頭で乾杯。地元での話は、とても興味深い。離れてもやはり故郷が懐かしい。小京都・龍野を訪ねる観光客も増えたと言う。ゴルフ、旅行なかでも中国・韓国のことなど話が尽きない。
 特にT君の話は学識高く迫力があり面白い。
 「西安(長安)・敦煌シルクロード6日間の旅に10月25日より行ってきた。霧雨の中、気温15℃西安空港に到着、翌朝シルクロードの出発地点安定門の楼閣に昇り2000年のロマンに浸ってきた。
又、秦の始皇帝陵では兵馬や戦車、顔形表情それぞれ違う兵俑6000人以上が発掘されている兵馬俑では人間の権力欲の強さに驚かされた。
 西周〜隋唐までの約2000年間、都となっていた西安より、さらに飛行機で2時間シルクロードの中継地点、ゴビと砂漠の中のオアシス敦煌へ、予想していたより暖かく、砂の山、鳴砂山のふもとまでラクダに揺られ、きめ細かい粒子の砂山に登り、稜線にたどり着いたときは別世界にきた感じがした。
 又、仏教芸術の宝庫、莫高窟に着いた時にはポプラ並木の間からの風も涼しく、最盛期には1000窟現在492窟発掘済み、私たちが見学したのは10窟でしたが、塑像・壁画の神秘的な世界を楽しんできた。又、チャンスがあればローマまでの道を旅したいと思っている。」
私も、是非ともシルクロードへ行ってみたいと思っている。
 翌日は、平等院・鳳翔館→宇治上神社→興聖寺→十三重石塔へと宇治観光。昼食後、一年後の再会を約して解散。
 昨年に比べて今年は年金、健康の話は余り出なかった。皆、それぞれの立場で現役で頑張っているんだ。こうして一年に一度、顔を合わしてお互いの存在感を確かめ合う、元気の出る会合をいつまでも続けたいものだ。 
 また、来年も元気で会おう!!!
早速、11/12、T君からメールが届いたので紹介したい。  
 
 宇治といえば、平等院見物ぐらいしか思っておりませんでしたが世界遺産の観光町として、よく整備されているのにはびっくりしました。
とくに浮舟園から宇治川を見下ろし、朝靄におおわれて浮かぶ浮島の十三重塔には西安の大雁塔(玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典の保存と翻訳のために建てられた塔)とだぶるものがありました。
 また源氏物語宇治十帖の浮舟・夢の浮橋を訪ね、古代ロマンにひたることができました。奈良平安の社会においては、恋愛や結婚は戦争に代わる重要な領土拡張の手段であったらしいですね。
いろごのみの男として光源氏を見るのではなく、統治者として多くの女性を手に入れなければならなかったのであって、後世の好色漢と同じにしてはいけないのでしょうね。
 来年は嵯峨の地、嵐山ですね、源氏物語ゆかりの場所が多いそうですよ、それでは皆様、寒さに気をつけて。
 
ウォーキングコース  (約1時間30分
11/10(土)  平等院・鳳翔館→宇治上神社→興聖寺→十三重石塔


 当日廻った史跡のミニガイド

世界遺産・平等院
  平等院は永承7年(1052)、関白藤原頼通によって開創され、鳳凰堂はその翌年の天喜元年(1053)、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂(国宝)として建立された。
藤原道長の別荘をその子・頼通が大日如来を本尊とし寺院に改めたものである。鳳凰が翼を拡げたような優雅な建物「鳳凰堂」は、10円玉のデザインとして有名。本尊の阿弥陀如来像は定朝(じょうちょう)の作。
建物の前に広がる池泉回遊式の名勝庭園には樹齢200年と言われる藤が植えられている。
 2001.3月に、鳳翔館がオープンし、平等院の数多くの文化財が展示されている。
鳳凰堂の南西に位置し、近代的な和風の清楚な建物である。
 館内に入ると、映像展示室があり、鮮やかな色彩に彩られた往時の平等院が3D-CGににより再現映写される。また館内には雲中供養菩薩像26体を始め、鳳凰堂の屋根を飾る一対の鳳凰、日本三名鐘の一つにもなっている梵鐘などが展示されている。宇治上神社


 世界遺産宇治上神社
 明治時代までは、隣接する宇治神社と二社で一体で「離宮上社(りくうかみしゃ)」と呼ばれていた。祭神は、応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)及び兄の仁徳天皇とされている。拝殿・本殿はそれぞれ国宝で、本殿は、現存する我が国最古の神社建築である。
  

興聖寺
 興聖寺は仏徳山と号する曹洞宗のお寺で道元禅師を開祖としている。興聖寺の琴坂のもみじ、紅葉まではあと2週間か。11.10撮影
 1236年に伏見深草に建てられたが途中で廃絶し、1649年、当時の淀城主、永井尚政によって、宇治七名園の一つの朝日茶園であった現在の場所に再興された。
 本堂は伏見城の遺構と伝えられ、その奥に建つ天竺堂には、宇治十帖古跡の「手習の杜」に祭られていた「手習観音」が安置されている。
 参道は、脇を流れる谷川のせせらぎが琴の音に似ていることから琴坂とよばれている。もみじの名所として知られる琴坂の風景は宇治十二景の一つに数えられ、昔から多くの人に親しまれている。

十三重石塔
 十三重石塔
 赤い喜撰橋を渡ると塔の島にでる。そこに一段と空にそびえるように建つのは十三重石塔である。
 近づいてみるとその大きさが実感できる。
右の写真に小さく写っているのが人物である。
 鎌倉時代に、大和の西大寺の僧・叡尊が、宇治橋の架け替えの時、その安全のため、殺生を禁じ、魚の霊を供養するため建てたと伝えられている。



 
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