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天びんの里・東近江市五個荘(ごかしょう)
商家に伝わるひな人形めぐり

 厳しい冬の寒さも漸く緩み始めた2006年2月21日(火)、交野ふるさと講座で「お雛様を祭る近江商人屋敷」を訪ねてきました。
 近江商人のふるさと五個荘の本宅に伝わり、代々受け継がれてきた素晴らしいお雛様の数々をじっくりと見学し、舟板塀の商家や白壁土蔵の建物が軒を連ね、水路には鯉が泳ぎ、ノスタルジックな雰囲気をかもし出している商人屋敷の町並みを心行くまでゆっくりと味わってきました。
 てんびんの里・五個荘は江戸時代、この湖東の地から、天秤棒を肩に、革新的な商法と不屈の精神、そして何よりもお客様の喜ぶ笑顔を心の糧として、全国津々浦々に行商し、立身出世を夢見た近江商人たちの発祥の地として知られている。
 五個荘は、滋賀県の琵琶湖の東部、近江盆地湖東平野の中央に位置し、北は和田山、西に繖山、南に箕作山、東に愛知川と三方が山、一方が川に囲まれた、「安住の地」として早くから開かれた地である。
 この4キロメートル四方、面積16.28平方キロメートルという小さな町から、江戸時代てんびん棒一本で全国に行商に出向き、大きな財をなし、故郷に錦を飾った近江商人の一派、五個荘商人が発生した。五個荘商人は成功し大商人となっても、田を耕し農業を捨てずに、先祖を大切に自給自足を基本に、質素倹約を旨として故郷の発展に尽くした。また、商売のみでなく文化面でも独自の文化を育み、町内の各地には商家の旧い町並みが多く残されている。
 (五個荘観光ガイドHPを参照)
商家に伝わるひな人形めぐり
滋賀県東近江市五個荘商家に伝わる
ひな人形めぐり  2006年2月1日〜4月9日

五個荘観光協会のひな人形めぐりのHPをご参照下さい
小幡人形(おばたにんぎょう)がお迎えする郷土民芸品展 (中井準五郎邸)
小幡人形は約300年前、初代細居安兵衛が伏見人形を参考に作り始めたとされる。
旧中山道を往来する人々に「小幡でこ」と親しまれてきた。

 滋賀県東近江市五個荘金堂町の近江商人屋敷などで2月1日、江戸時代から現在までのひな人形を披露する特別展「商家に伝わるひな人形めぐり」(東近江市など主催)が始まり、観光客たちが華やかな美の世界を楽しんでいた。 5カ所の会場で、ひな人形計約100組を展示している。中でも、江戸中期の作と伝わる外村宇兵衛邸の「御殿びな」は、二畳敷きの大きさの飾り台に、平安時代の宮中の宴を再現しており、宴の準備をする官女や男たちの人形も並んでいる。
 このほか、同市の人形師が近江上布を用いて制作した「立ちびな」や、和紙で作られた「紙びな」(いずれも外村繁邸)、地元の伝統工芸品「小幡人形」のひな人形(中江準五郎邸)などもあり、訪れた人たちは優雅な姿に見とれていた。 4月9日まで。月曜休館。有料。(京都新聞WEBより)

湖国を代表する人形師東之湖(とうこ)さんより寄贈を受けた
近江上布をもちいた創作人形「聖水の舞」一対の立雛(たちびな) (外村繁邸)
有識雛(江戸後期・明治初期)(外村繁邸)
有識雛(大正時代) (外村繁邸)
商家に伝わる大きな御殿雛 (外村繁邸)
お雛飾り  (外村繁邸)
 雛飾り  (外村繁邸)
商家に伝わる大きな御殿雛 (外村宇兵衛邸)
江戸中期の作と伝わる外村宇兵衛邸の「御殿びな」は、二畳敷きの大きさの飾り台に、
平安時代の宮中の宴を再現しており、宴の準備をする官女や男たちの人形も並んでいる
お雛段飾り  (外村宇兵衛邸)
商家に伝わる御殿雛と小幡人形 (中江準五郎邸)
親王飾 (中江準五郎邸)
商家に伝わる雛人形(明治時代)藤井彦四郎邸
明治期の衣装雛  藤井彦四郎邸
雛飾り  藤井彦四郎邸
  御殿雛   藤井彦四郎邸
雛人形  (近江商人博物館)
雛飾り  (近江商人博物館)
流し雛  (外村宇兵衛邸)
平安時代の宮中では流し雛の様な人形(ひとがた)流しが行われていました。
やがて、けがれ払いともに女の子の健やかな成長、事故除けを願う祝いの日と変化しました。
奈良時代に病気等、悪い事から身を守るおまじないの一つに紙や草木などで
人の形をしたものを作り、これで体を撫でて病気や災いを移し、川に流す儀式がありました。
これが「流しびな」という風習になり、おひなさまの先祖になったといわれています。
市松人形 (近江商人博物館)
五個荘の節句には、いろいろな土人形や手近にある人形を飾り、遊んだ
おぼこや子守り、童子や福助、武者人形など子どもたちが健やかに成長し
幸せな家庭をきずけるようにと願いが込められ縁起物の人形です。
人形 (近江商人博物館)
近 江 商 人 屋 敷
五個荘金堂は、近江商人発祥の地の1つで、今も商人屋敷の町並みが残る風情ある土地です。
舟板塀の商家や白壁土蔵の建物が軒を連ね、水路には鯉が泳ぎ、ノスタルジックな雰囲気です
 近江商人の商いの特徴として、次の四点があげられている。まず、商いの形は行商形態をとり、呉服・太物・麻布・蚊帳・漆器・小間物・合薬など多種多様な商品を扱っていた。次いで活躍の舞台として、近江商人は全国各地に支店を出していることが特徴である。3番目に、近江商人は商業だけでなく、金融業・製造業・油絞業・漁業などに経営を広げている点も注目されている。そして4番目には、経営の合理性があげられ、共同企業形態をとるものや会計帳簿作成などの経営方式を取り入れていた。その経営活動を支えていた精神は、勤勉・倹約・正直・自立の精神であると言われる。

 五個荘商人は、江戸時代中期の享保年間(1716〜36)以降から進出をはじめ、近代にはいっても活躍を続けた。五個荘商人は、近江の特産物である野洲晒・高宮布・編笠や、畿内・尾張・遠江などで木綿や海藻類を仕入れ、それを関東・信濃・奥羽で売り捌いた。一方、関東・信濃・奥羽で仕入れた絹布・生糸・麻・紅花類を名古屋・京都・大阪・丹後・近江などに持ち帰り、これらも販売していた。

五個荘金堂の町並み (重要伝統的建造物群保存地区)
平成10年、金堂の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
金堂の町並みは古代条里制地割を基礎に大和郡山藩の陣屋と社寺を中心に形成された
湖東平野を代表する農村集落で、加えて近江商人が築いた意匠の優れた和風建築群の
歴史的景観を保存し、わが国として価値が高い
」とされている。

 外村繁家に伝わる「妻女心得条」近江商人の「家訓」の一つ
・牝鶏曉を告げざること   ・お仏供米朝夕欠かさざること
・主人下帯わが湯巻類必ず自分にて洗うこと
・午前中女中小言言わざること ・酒燗熱からず温からず妻女勤めなり
の五カ条から成っている。
「牝鶏曉を告げざること」とは、朝からブツブツ小言を言うな、ということらしい。
「主人下帯わが湯巻類必ず自分にて洗うこと」は女中にこれをさせるなということで、
使用人に気持ちよく働いてもらうという気持ちの表れである。
さらに「酒燗熱からず温からず」は中庸の道をいけ、との戒めをあらわしている。
近江商人の妻女の気遣いの一端がこの家訓によく現れている。

近江商人のいでたちとして、天秤棒を肩に担いだ上のような姿が有名です


<代表的な近江商人>
西川甚五郎    山形屋   八幡商人、「ふとんの西川」の基
外村與左衛門  外与     五個荘商人、繊維商社「外与」 
中井源左衛門  十一屋   日野商人、世界初の複式簿記考案
飯田新七     高島屋   高島商人、百貨店「高島屋」の基
塚本定右衛門  紅屋     五個荘商人、繊維商社ツカモト株式会社
市田弥一郎    市田     五個荘商人、京呉服市田株式会社
藤井彦四郎    スキー毛糸 五個荘商人、藤井株式会社
伊藤忠兵衛    丸紅     湖東商人、伊藤忠商事、丸紅の基
小杉五郎左衛門 小杉産業  五個荘商人
塚本幸一     ワコール  五個荘商人

<近江商人の企業>
商社・・・・・伊藤忠商事、丸紅、トーメン
百貨店・・・高島屋、大丸、西武
紡績・・・・・日清紡、東洋紡
その他・・・日本生命、ヤンマーディーゼル、西武グループ


最後までご覧頂き有難う御座いました!