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上私部遺跡・有池遺跡
現地説明会  
2003.12.6 
第二京阪道路予定地内の埋蔵文化財発掘調査

2003.12.6(土)午後1時より、上私部遺跡・有池遺跡の現地にて説明会が開催された。大阪府文化財センター・京阪事務所長の挨拶
生憎の小雨が降る中を200人を超える沢山の考古ファンが駆けつけられ、熱心にメモを取りながら聞かれていた。
これまで古墳などは沢山発掘されその内のいくつかは現存していますが、当時の人々のはっきりとした住居跡が見つかっていませんでした。

今回の発掘調査で、古墳時代から飛鳥時代、鎌倉時代から室町時代にかけての大きな集落跡が見つかりました。
特に上私部遺跡からは、竪穴住居が30棟ばかりと掘立柱住居が18棟などまた、少し離れたところから濠をめぐらせた大型の住居跡などが見つかり、約1500年前から400年前にかけて人々が営々と生活をしていたことが明らかになりました。
今後、第2京阪国道予定地などの発掘が進み全容が明かされる日を待ちたい。
<調査内容の概略>
1.上私部(かみきさべ)遺跡
古墳時代後期の竪穴住居(30棟)、
飛鳥時代の掘立柱住居(18棟)など多数発掘
上私部における古墳時代から飛鳥時代の集落の実態が
初めて明らかにされた
2.有池(ありいけ)遺跡
方形にめぐる溝によって区画された中世の掘立柱建物群が
整然と配置された状態で発見された

建物に付随する石組みの井戸、浅い穴の底に石をしいたものなどが見つかった




手前より、有池遺跡、上私部遺跡とスタードームを望む(北東から)


上私部遺跡・有池遺跡現地説明会資料より
        (2003.12.6)  財団法人 大阪府文化財センター
 
財団法人大阪府文化財センターは、国土交通省・日本道路公団の委託を受けて、第二京阪道路のけんせつにともなう発掘調査を実施しています。
 平成8年度より、遺跡の有無や広がりを知るため、細長い調査地を道路用地内に設定し、確認調査を行ってきました。その結果、上私部遺跡、有池遺跡の広がりが確認されました。大阪府教育委員会の指導のもと、平成14年度より有池遺跡の本格的な発掘調査を開始し、平成15年度には上私部遺跡および有池遺跡(その2)、有池遺跡(その3)の発掘調査を実施しています。
 上私部遺跡は青山住宅の南側にひろがります。ここでは、古墳時代の中頃(5世紀)から飛鳥時代の初め(7世紀の初め)にかけての集落が見つかりました。この場所は、洪水の跡とみられるまとまった砂や小石の層があまり見られないことから、比較的安定した土地であったことがうかがえます。古墳時代から、人々はこうした住みやすい場所を選んで集落を営んできたようです。周辺にはほぼ同時期の、倉治古墳群や寺古墳群というお墓があり、今回見つかった集落と関連が考えられます。
 有池遺跡は、上私部遺跡の東側、旧青山グランドから免除川の南側にかけてひろがります。複数の谷と水田のほか、谷にはさまれた高い場所では鎌倉時代から室町時代に営まれた集落が見つかりました。水田は、鎌倉時代には地形にそった区画をもちますが、室町時代には東西南北方向に区画をもつ水田に整備されます。集落では、地面に穴を掘って柱を立てる掘立柱建物という建物や井戸が見つかりました。なかでも、有池遺跡(その2)では、方形にめぐる堀や溝に囲まれた屋敷跡が見つかり、集落の中心であったと考えられます。南北朝時代以降、集落をまきこんでつづいた戦乱が、このような建物配置の形をうんだと考えられています。
 このように、これまでの調査で、古墳時代から室町時代にかけて、交野山のふもとで営まれた人々の生活の一端が明らかになりました。建物の跡や使われた器、道具を見て頂き、約1500年前から400年前にかけてこの地に住んだ人々に思いを馳せていただけましたら幸いです。これからの調査により、この地で繰り広げられた人々の活動がいっそう明らかになることが期待されます。今後とも、ご協力のほd、よろしくお願い申し上げます。


1.上私部(かみきさべ)遺跡
古墳時代後期の竪穴住居(30棟)、飛鳥時代の掘立柱住居(18棟)など多数発掘。
上私部における古墳時代から飛鳥時代の集落の実態が初めて明らかにされた
 上私部遺跡では、古墳時代の中頃から飛鳥時代にかけての大きな集落を発見しました。この集落には、地面を掘り窪めて柱をたてて作る竪穴住居という建物と、地面に穴を掘りそこに柱を立てて作る掘立柱建物という2種類の建物があります。竪穴住居は住居に、掘立柱建物は住居や倉庫に使われていたと考えられます。
 この集落では、古墳時代の終わり頃から飛鳥時代にかけて、建物が竪穴住居から次第に掘立柱建物に代わって行った様子が見られます。今回はその一部を見つけただけですが、これからの調査で集落の全体の姿が明らかになっていくことと思います。


地面を掘り窪めて柱をたてて作る竪穴住居跡
説明されている足元がカマド跡、煙抜きの穴もある
竪穴住居跡(古墳時代) 掘立柱建物跡(飛鳥時代)


2.有池(ありいけ)遺跡(その2)
方形にめぐる溝によって区画された中世の掘立柱建物群が
整然と配置された状態で発見された

建物に付随する石組みの井戸、浅い穴の底に石をしいたものなどが見つかった
これまでの調査で、中世までさかのぼる集落や水田跡などを検出しています。
特に今回見ていただく1調査区では、直線的な溝で周囲を囲った中に、複数の建物が建てられた屋敷跡が、いくつも連なる様子が見て取れます。屋敷地1は、幅2.5m、深さ1m弱の濠で囲まれた中に、掘立柱建物や井戸、石敷き遺構が整然と配置されたもので、この集落の核をなすものだったと考えられます。
これらの時期は13〜16世紀(鎌倉時代〜室町時代)とみられ、中世におけるこのあたりのの集落の様子をうかがうことが出来ます。


手前が石組みの井戸と中央に石敷き遺構
屋敷地1は、幅2.5m、深さ1m弱の濠で囲まれた中に、
掘立柱建物や井戸、石敷き遺構が整然と配置されたもの

出土品の展示写真

土師器 皿 土師器 高杯
瓦器 椀
須恵器 甕 須恵器 杯蓋
      


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