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上の山遺跡
現地説明会レポート  
上の山遺跡発掘調査   (財)大阪府文化財センター

2004年5月15日(土)、午後1時より上の山遺跡の現地説明会が行われた。
大阪府文化財センターでは、交野市域から寝屋川市域にかけて<緑立つ道>・第二京阪道路予定地内の埋蔵文化財発掘調査を実施しており、当日は遺跡の説明、出土品の展示が行われ300人を超す考古ファンで埋まった。また特筆すべきは、枚方市の小学校の生徒さん十数人が先生に引率され熱心に説明を聞いたり現地を見て回っていた。

日時:平成16年5月15日(土)  午後1時から午後3時まで
場所:上の山遺跡  枚方市茄子作南町、交野市私部西5丁目先
      JR学研都市線 星田駅下車北東に徒歩25分
      京阪電車交野線 交野市駅下車西に徒歩10分

問合せ先  (財)大阪府文化財センター
         交野分室 072-895-1200  現場事務所 072-898-8420

遺跡の内容 
 上の山遺跡では、平安時代から中世の水田跡、古墳時代の竪穴住居跡、弥生時代から古墳時代の谷などを発見しました。竪穴住居には、造りつけたカマドを備えたものや、排水溝を持つものも見つかっています。また、谷の際では、弥生時代中期の沢山の土器が棄てられた状態で出土しました。次いで、古墳時代の竪穴住居跡の下から弥生時代の円形の竪穴住居が発見されました。

上の山遺跡の発掘調査
 (枚方市茄子作南町、交野市私部西5丁目所在)

上の山遺跡は、平成12年度に財団法人大阪府文化財センターが、国土交通省・日本道路公団の委託を受けて、第二京阪道路(大阪北道路)の建設に伴う確認調査で発見した遺跡です。今回は、確認調査の結果を受けて、大阪府教育委員会の指導のもと、平成15年度から発掘調査を開始しました。
 遺跡は、天野川の西側にあたり、枚方丘陵から南北に細長く伸びる段丘とその両側の谷に立地します。なお、この段丘上には枚方市と交野市の市境にもなっている東高野街道が通っています。
 これまでの調査で、旧石器時代から中世までの遺構や遺物が見つかっています。段丘上からは古墳時代前期から中期にかけての竪穴住居が5棟発見され、次いで、古墳時代の竪穴住居跡の下から弥生時代の円形の竪穴住居が発見され、集落の広がりをうかがうことができます。
 また、段丘の西側の谷は、弥生時代中期前半から飛鳥時代頃にかけて埋没し、ある程度谷が埋まった平安時代に耕作地として開発され、今に至っていることがわかりました。
 これからの調査により、この地で繰り広げられた人々の活動が一層明らかになることが期待されます。

 参考:上の山遺跡現地公開資料  財団法人 大阪府文化財センター

上の山遺跡現地説明会風景
  枚方市茄子作南町、交野市私部西5丁目
説明会場受付及び遺物展示場所 遺跡・遺物の説明風景
西から上の山遺跡を望む 
直ぐ西側に天野川、交野ドーム、交野連山が見える
上の山遺跡とその周辺地図
発掘された段丘と谷
(南西から)(5・7調査区)
10m幅で細長く区画された平安時代の水田
(南から)7調査区
段丘の斜面に建てられた古墳時代の
竪穴住居群全景 (南から)5調査区
ベッド状遺構をもつ古墳時代前期の
竪穴住居2(東から)5調査区

弥生時代の竪穴住居を発見 竪穴住居6
竪穴住居 1 の南東隅で、竪穴住居 6(弥生時代)が検出された。
竪穴住居6は竪穴住居1をつくる際に壊されており一部しか残っておりませんでした。
今のところ、上の山遺跡で検出された竪穴住居は、平面形が四角であるのに対して、
この竪穴住居6は円形をしています。住居の中からサヌカイト製の石鏃(石の矢じり)
1点と剥片3点(石器を作ったときの残り)が出土しましたが、土器は出土しなかった為
詳しい時期は不明です。円形の竪穴住居は、弥生時代後期ごろまでにつくられていた
ことから、竪穴住居6は弥生時代のものと思われます。
竪穴住居 1  作り付けカマドを備える古墳時代中期
竪穴住居 2 ベッド状の遺構、炉の跡が確認された
竪穴住居 6 (左) 土器の入った遺構
発掘された段丘と谷 (北から)2調査区
右側の道路は東高野街道
段丘上に古墳時代中期の竪穴住居と弥生時代の溝
須恵器の大甕(おおがめ)を据えた水場(みずば) 
(南西から) 2調査区    水の湧き出す谷のきわにある

遺 物 展 示

谷際にできた弥生時代中期前半の土器溜まり (西から)7調査区
上記の7調査の土器溜まりから出土した壺
直線と波状など文様の土器類 竪穴住居より出土した土師器の壺など
土師器の高杯、須恵器の皿など 7調査区から出土した甕(かめ)


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