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藤原京     毎日デジタル  2016.9.30
旗竿穴7カ所 「続日本紀」記述を裏付け


 奈良県橿原市の藤原宮(694〜710年)跡で、朝廷の重要儀式で掲げた大型旗竿(はたざお)跡とみられる柱穴が7本分見つかった。28日に奈良文化財研究所が発表した。

 史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」は、701(大宝元)年の元日朝賀で7本の幢幡(どうばん)(旗竿)を立てたと記しており、旗竿は律令国家完成時の儀式で使われたとされる。旗竿跡の本数や配置が続日本紀と一致しており、奈文研は「律令国家形成期の歴史的場面を復元でき、極めて重要な成果」としている。



 藤原宮跡で見つかった旗竿の柱穴(手前中央の小石が集まっている部分)と、実物の3分の1のスケールで復元された旗竿=奈良県橿原市で2016年9月16日、森園道子撮影

 旗竿跡は大極殿院南門前の広場で発見された。門から約21メートル南の正面に大型の穴が1個あり、柱の太さは推定約70センチだった。約15メートル離れた東西にそれぞれ三角形に配置された各3個の柱穴が確認された。2008年に中央と東側の穴が見つかっていたが、今年6月からの調査で西側が発見されて全体像が判明した。

 続日本紀は、律令国家の成立を宣言した元日朝賀の儀式について、正面にカラスをかたどった旗竿があり、東側には太陽を表現した日像(にちぞう)▽四神(しじん)のうちの青龍と朱雀(すざく)がそれぞれ描かれた旗竿が3本立っていたと記述。さらに西側には、月像▽四神のうち玄武と白虎(びゃっこ)ーーの3本もあったと記しており、柱穴の数と配置が記述と一致した。


 奈文研によると、幢幡の遺構としては国内最古となる。奈良時代中期以降の平城宮跡(奈良市)、長岡宮跡(京都府)でも7本の幢幡跡は確認されているが、いずれも一列に並ぶ配置のため藤原宮跡と異なる。

 四神は藤原宮と同じ時代のキトラ古墳や高松塚古墳の極彩色壁画にも描かれており、奈文研の松村恵司所長は「古墳壁画にみられる陰陽五行思想が色濃く見られる」としている。【矢追健介】