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平成26年2月11日(祝)  歴史シンポジウム
「河内の堅城 私部城 − 国史跡を目指して −」
ー その城 難攻不落 −
交野市立いわふね自然の森スポーツ・文化センター
 午後1時30分から歴史シンポジウムが定員200名を
大幅に超える沢山の方々の参加で盛大に開催されました。

 
 
 
 
 
河内の堅城  ー  河内の城の先進性
 
 
「 発掘調査からみた私部城」  吉田 知史 (交野市教育委員会)    
 私部城の出土品の概要 より参照
私部城の調査では、土器や陶磁器はあまりみつかっておらず、出土品の大半は瓦の破片です。
実は、大坂城のように瓦を城に大量に使うのは、織田信長の安土城以後のことで、
戦国時代の土の城で瓦が多く出土することは全国でも珍しいことです。
今回の調査以前はこうした瓦は室町時代に私部で栄華を誇っていた光通寺のものと考えていました。
(交野市教育委員会1995、交野市文化財事業団1995)


しかし、今回、瓦の出土状況や年代を詳しく調べて行くと、
私部城で瓦が用いられていたことがわかってきました。
 まとめと課題
 これまでの発掘調査によって、地中に埋まっていた城の堀や郭のあとがみつかっています。
これは「室町殿日記」に記された、堀をめぐらして固い守りを誇る城の様子にあてはまります。
また、出土瓦を調べて行くと、私部城で瓦が使われていたことがわかってきました。
これは、河内の城の先進性を物語っています。
さらに、私部城の三葉唐草文の軒平瓦や、丸瓦の初期内叩き技法は、
織田や豊臣の城郭瓦に通じる要素でもあり、後の城郭瓦に与えた影響もうかがえます。


ただ、瓦がどのような建物の屋根を飾っていたかは不明です。二郭に「天守」という地名が
残ることを結び付けて、大坂城のような天守があったのではないかと思われるかもしれませんが、
これはまだまだ調査不足でわかりません。今後の発掘で明らかにしたいと思います。


今回の報告で、大阪府で奇跡的に残された土の平城であるというのみでなく、
私部城が歴史上とても大事で面白い城跡なのだということをお伝えできていれば幸いです。
 


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