<第152回>  令和8年2月定例勉強会
『万葉集』に親しむ
~ふたたび、梅花の歌三十二首と
序文を詠む~
講師 : 岡本 三千代氏(万葉うたがたり会主宰)
青年の家・学びの館 午前10時~12時
 38名(会員30名)の参加
 2026年2月21日(土)午前10時15分、2月定例勉強会に38名(内会員30名)の大勢の方々が参加されました。巽会長の挨拶で始まり、講演会は、岡本三千代氏をお招きして、万葉集に親しむ「ふたたび、梅花の歌三十二首と序文を読む」の演題で1時間45分大変詳しく、現代にも通じる人の感情をわかり易く解説、そして熱演をして頂きました。

最後に次の「逢合橋」「梅の園」各一首を全員で朗唱しました。

 彦星と 織女と 今夜逢はむ 天の川門に 波立つなゆめ (巻十の二〇四〇)
 我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れくるかも (巻五の八二二)
素晴らしい朗唱でした。

 尚、当日はJR東西線遅延の影響で、岡本先生の到着が遅れて開始時間が15分おくれましたこと、お詫び申し上げます。 

講演概要  「ふたたび、梅花の歌三十二首と序文を詠む」
1. サンバDEツバキ  逢合橋  梅の園
2. ① 元号について
   ② 大宰府(政庁跡)
   ③ 大伴旅人
   ④ 「梅」平安以後「むめ」
   ⑤ 大宰師大伴鄕、凶問に報ふる歌一首
3.梅花の宴
   梅花の宴資料  (32人一首)

万葉集とは
 7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集。
・ 巻1~巻20まで、およそ4520首(写本によって異なるので)の歌が載ってる。
・ 天皇、皇族だけでなく、庶民の歌も数多く載せられている。
・ すべて漢字(万葉仮名)で書かれている。
・ 最初は数巻がまとめられ、のちに追加され、最終的に大伴家持が20巻にまとめたと
  考えられている。
・ 「万葉集」は、「万(よろず)の言(こと)の葉の歌集」からその名がつけられたとも、
  「万代(よろずよ)に伝えられるべき歌集」からとも言われている。

  ※講演会は好評のうちに終了。
 午後は、交野古文化同好会の女性部のグループや有志の方が中心に、
 「岡本先生を囲んで」昼食会が開催され、大変親しくお話が出来て、先生が気さくに
 いろいろなことをお答えくださり、大変有意義な楽しい会となったようです。
   
 ※今回、講師の先生のご厚意により当日配布された「レジメ」及び資料を
     頂戴しましたこと、記して感謝申し上げます。

 ※ 当日のレポートと写真は、竹澤さんより投稿いただき、資料・写真は、
   毛利さんより提供頂きました。 
 
 
講師 : 岡本 三千代氏
(万葉うたがたり会主宰)
 
巽会長の挨拶と岡本先生の紹介
 
 
 
 
 岡本三千代先生の紹介アルバム
 
 甲南女子大学文学部国文学科卒業。在学中に文化功労者である故犬養孝氏に師事、万葉集を学ぶ。その後、奈良女子大学大学院で、再び女子大生に!
「万葉の道」の著者、扇野聖史氏の出会いがきっかけとなり万葉集に作曲。「万葉うたがたり」という独自のスタイルで昭和57年より演奏活動を開始、今日に至り、2025年で活動45年を終えた。
CDや楽譜など作品集も制作。また講座・執筆など活動範囲も広がり、自治体と協力して、ふるさと作りの手伝いや、万葉ロマンの世界を広める活動をしている。元明日香村観光開発公社理事。

平成26年10月犬養万葉記念館の館長に就任。令和6年3月、退任。
 岡本三千代の「万葉うたがたり」とは

万葉集の長・短歌に自作のメロディーをのせて「歌い」、万葉集の歌の説明や、また岡本三千代個人の感性で万葉集によせて「語る」スタイルをいつのまにか「万葉うたがたり」と名づけていただいていた。
歌がメロディーを伴うことで、万葉歌がドラマテイックにイメージ化されてくる。 コンサート活動等を通して、古典学習としての「古代文学」ではない『万葉集』の魅力の数々を伝えていき、ひとりでも多くの万葉ファンを増やしていきたいと頑張っている。
 犬養孝先生との出会い そしてライフワークに

甲南女子大学で万葉学者の故犬養孝氏に出会い、師事したことが、今日のきっかけとなっている。

犬養先生は風土文芸学の立場から万葉集を生涯の研究対象とされた。ゼミ生の私たちは先生と一緒に日本全国の万葉故地を訪れ、時代や情景を万葉時代に戻し、臨場感を味わう体験を通して、万葉歌を勉強し、考証した。その時には必ず、「犬養節」という犬養先生独自の節回しの朗唱に聞き入りながら、または唱和しながら、万葉旅行を楽しむのが「あたりまえ」になっていた。

犬養先生の大阪大学時代の教え子で、銀行マンでありながら並行して万葉集研究をライフワークとされておられた故扇野聖史氏のお奨めで(扇野さんは既にウクレレで万葉歌を歌われていた!?)、万葉歌に作曲をしたことが、最初のきっかけとなった。大学4年の処女作が「二上エレジー」である。
万葉集を覚えようという気持ちで、手探りで作曲を始めたが、犬養先生の朗唱→扇野さんから受けたカルチャーショック→作曲→演奏活動という発展は思いがけないことでもあったし、その後は見えない力・人によって支えられて「私と万葉集」についてライフワークだと公言できるまでに至ったことを感慨深く思っている。
2025年には活動45週年を迎えた。
 
 
 講演会後、先生を囲んで昼食会
 岡本先生の勉強会も時間を忘れて聞き入るぐらい素晴らしい万葉集・梅花の編でしたね。
食事会も万葉の会からや片岡さんもご一緒できて総勢13名でたのしく
気淑く風和らぐひと時でした。毛利さんお声掛けありがとうございました。(大門部長)
 
 
 
 

『万葉集』に親しむ  <レジメ>
~ふたたび、梅花の歌三十二首と
序文を詠む~

講師 : 岡本 三千代氏(万葉うたがたり会主宰)
 
 
 
梅花の宴
 大伴旅人が大宰府で催した「梅花の宴」にて、庭に咲く白梅の散る様子を雪に見立てて詠んだ歌。
天から雪が舞い降りてくるかのような幻想的で美しい風景を、漢詩の教養を背景に「ひさかたの(空の枕詞)」を用いて表現した、
知的でおおらかな情景描写の傑作です。

歌: 我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも (巻5-822)
現代語訳: 私の庭に梅の花が散っている。天(空)から雪が流れてくるのだろうか。(いや、雪ではない、梅の花なのだ) 
 ◆書き下し文
天平二年の正月の十三日に、師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。

時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。
梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫す。
しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾く。
夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封ぢらえて林に迷ふ。
庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。

是に於いて、天を蓋にし地を坐にし、膝を促け觴を飛ばす。
言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。
淡然自ら放し、快然自ら足る。
もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を述べむ。
詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。

よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。
 ◆現代語訳
天平2年正月13日、師老(=大伴旅人)の邸宅に集まって、宴会をひらく。

折しも、初春の佳い月で、空気は澄んで美しく、風も和らいでいる。
梅は鏡の前にある白粉のように(美人が化粧をするように)咲き誇り、蘭は貴人が帯びる宝玉のように香り高い。
それだけでなく、明け方の峰々には雲がたなびき、松は美しい蓋を傾けたようだ。
夕方の山洞には霧が立ち込め、鳥は霧に行く手を塞がれ林で迷い飛ぶ。
庭に舞うのは生まれたばかりの蝶、空には帰って行く雁がいる。

そこで、天を屋根とし、地に座し、膝を近づけて盃を交わす。
みな言葉を忘れ、胸襟を雲霞に開く。
心は淡々と自由に放たれ、心地よく満ち足りている。

もし言葉でなければ、どうやってこの気持ちを述べ尽くすことができただろうか。
漢詩には落梅の作があるように、昔も今も、その気持ちに何の違いがあろうか。

さあ、この庭に咲く梅を題として、ちょいと短歌を詠もうではないか。
令和の元号の由来
元号「令和」は、『万葉集』巻五・梅花の歌三十二首の序文に由来します。

初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す

この序文は、天平2年(730年)、太宰帥・大伴旅人が太宰府において開いた梅花の宴で詠まれたもの。
まさに太宰府の地で生まれた、風と香りと詩の調和の記録です。太宰府は単なる政庁ではなく、
文学と精神文化が花開く“響きの都”でもあったのです。 


「梅花の宴」を再現した博多人形のジオラマ(山村延あき氏製作・公益財団法人 古都大宰府保存協会所蔵・大宰府展示館に展示) 
令和7年6月、万博会場にて、梅花の宴を模して茶会を再現しました 
 
 
 逢合橋 万葉歌碑
   
 
   

最後までご覧いただき有難うございました

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