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広報 かたの 特集シリーズ

 広報かたの 平成21年6月1日号
発掘!発見!緑立つ道
今月のテーマ「上私部遺跡と有池遺跡」
(財)大阪府文化財センター 若林幸子
 
 今回紹介する有池遺跡と上私部遺跡は、前回紹介した倉治遺跡・東倉治遺跡の南西に位置します。有池・上私部両遺跡は倉治遺跡よりもやや下がった、山すそに形成された扇状地の末端にあります。
 遺跡の東側に交野山の山頂を、西側には天野川沿いの平地を望むことができ、河内・山城・大和を結ぶルート上に位置します。
 
上私部遺跡
 上私部遺跡では古墳時代の、有池遺跡では中世の大規模な集落が見つかりました。
 上私部遺跡では15年度から大きく3回に分けて、約1万5500平方メートルにわたる広大な面積の調査を行いました。その結果、ほぼ全域を覆うように大規模な古墳時代集落が広がることがわかりました。
 集落は5世紀前半から中ごろに成立し、6世紀中ごろから後半にもっとも栄え、7世紀初めごろまで続きました。集落の中心部分を縦断するように発掘調査を行ったことで、集落の構造や、それがどの時期にどのように変化したかを具体的に知ることができました。
 中でも集落が展開する、微高地と呼ばれる周囲より少し高台の土地の先端に、整然と大型の掘立柱建物が立ち並び、その周囲を溝や柵で囲った、集落の核となる部分を発見できた点は注目されます。この区画が出現するのと時期をあわせるように、全体の居住域も拡大し、建物の数が増えて集落は最盛期を迎えました。
 集落の核となる部分は当時の首長層の住まいと考えられます。

上私部遺跡
   

渡来人の村

 この地に家を構え、村を築いていたのはどのような人たちだったのでしょうか。それを知る手がかりとなる土器が発見されました。
 右の写真の土器は、発掘した長頸壷の口縁部分の破片ですが、三段に分割した帯状のスペースがシンプルな幾何学模様で埋められています。この特徴的な模様と形状は、新羅で作られた土器の中に見られるものなので、おそらく6世紀前半から中ごろに、朝鮮半島から持ち込まれたものだと考えられます。
 上私部遺跡から南西に1.5キロメートルの場所には、古墳時代中期から大規模な製鉄が行われたことで知られる森遺跡があります。これらのことから、この一帯の開発や、活発な鉄生産の背景には、最新技術をたずさえた、新羅系の渡来人の活躍があったことがうかがえます。


上私部遺跡出土新羅土器
 
有池遺跡
 有池遺跡では14年度から大きく4回に分けて、3万3000平方メートルを超える広大な面積を調査しました。その結果、11世紀後半〜15世紀にわたる中世集落を発見し、集落構造の変化のみならず、集落をとりまく景観も復元できる好例となりました。
 この集落一帯は、山麓から山すそに向けてヤツデの葉のように伸びる微高地と、その間に大小の谷が食い込む、扇状地特有の地形が見られます。全体を通じて見ると、微高地に居住地を構え、谷や谷に向けて緩やかに傾斜する部分を生産地として利用した点は変わりません。
 ただ集落の出現当初は、農作業小屋と見間違えるような小規模な掘立柱建物がまばらに数棟あり、その周りに小規模な生産域があるような集落の単位が谷を挟んで点在するような状況でした。
 ところが時が経つにつれて、居住域と生産域は徐々に面積を拡大させていきます。その中で飛び地状に新たな居住域も派生していきますが、集落の最盛期である13世紀後半〜14世紀には、面積の大きい微高地に居住域が統合されるとともに、居住域と生産域が明確に区分されます。このころにはたくさんの掘立柱建物が軒を連ねるように密に、整然と建ち並ぶ状況が見られました。
 その中には周囲を濠で囲った、大きな母屋と、幾つかの脇屋からなる大型の屋敷があり、これが集落の中心だったと考えられます。おそらくこの地の土豪の屋敷だったと考えられます。


有池遺跡における居住域検出状況


有池遺跡の集落中心部分(居住域)

   
 遺跡名は「有池」と書いて「ありけ」と呼ばれています。古文書の記述から、もとは「有家」という漢字が用いられ、後世に「有池」に変化してからも、読みは残ったことがうかがえます。発掘調査の結果、姿を表した集落の様子は、まさに「有家」そのものでした。
 有池遺跡も含めた一帯は、古代末から中世にかけて石清水八幡宮領にあたっていて、集落が最盛期へとむかう時期は、八幡宮が当時の権力者との結びつきを強め、発展する時期にあたります。
 その時期に耕地開発や木材需要の増加に伴い、森林の減少と山からの土砂流出が増えたことがわかりました。環境の変化が集落の移転や改変につながり、その後は田んぼの中に小さなため池が点在する「有池」の景色へと変化したのです。

有池遺跡遺物
 
 次回はこれまでお伝えしてきた発掘調査で出土した遺物の紹介をします。
 また、質問などのおはがきもお待ちしています。気軽に下記まで送ってください。
問い合わせ R大阪府文化財センター京阪調査事務所
 (TEL895・1200 〒576−0022 交野市藤が尾1−2)

大阪ミュージアム構想

 大阪府と府内の市町村は、大阪のまち全体を「ミュージアム」(美術館や博物館)として、各地の魅力的な地域資源を「展示品」や「館内催し」に見立て、大阪の魅力アップを図る「大阪ミュージアム」構想を推進しています。
 交野市では、「教育文化会館」以外にも「私部代官屋敷周辺のまちなみ」「交野山と信仰の道」「交野が原と七夕まつり」など16件が、現在登録されています。
■大阪ミュージアムホームページ http://www.osaka-museum.jp/index.html

 

住 所 交野市倉治6−9−21(教育文化会館内)
▽JR津田駅から徒歩10分
▽交野市駅から、京阪バス「津田駅」行き、「南倉治」下車、徒歩1分
▽ゆうゆうバス、倉治コース、「南倉治バス停」下車、徒歩1分
開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日・火曜日・祝日・年末年始
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)か、同展示室(TEL810・6667)

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