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広報 かたの 特集シリーズ

広報かたの 平成21年9月1日号
発掘!発見!緑立つ道

今月のテーマ 「私部南遺跡の調査1 」

(財)大阪府文化財センター 三好孝一
問い合わせ (財)大阪府文化財センター京阪調査事務所 (TEL895・1200 〒576−0022 交野市藤が尾1−2)
 
 今月から、ふたたび各遺跡を紹介していきたいと思います。その最初として私部南遺跡を紹介します。
 
私部南遺跡

 私部南遺跡はいきいきランド交野から、京阪電車交野線にかけての非常に広い範囲に埋もれています。
 これまでの発掘調査で、現在では平坦に見えるこの地域に、南東から北西方向に広がる3か所の谷地形があったことが、地層の堆積の様子から明らかになりました。
 さらに、旧石器時代から近世にかけて石器や土器などの生活用具類が豊富に見つかり、ここで暮らした人々の住まいや井戸、水路の跡なども出てきました。それでは、これらを古い順番に見ていきます。

旧石器時代
 今から約2万3000年前のナイフ形石器が数点見つかりました。これらは後の時代の土器や石器を含む層に混じって出てきたので、その当時の状況については不明です。

縄文時代
 京阪電車側の調査区で紀元前4500年前ごろ、中期の終わりごろの土器が納められた穴を調査したほか、いきいきランド交野側で晩期終末ごろ、約2800年前ごろの土器や石器が出てきました。このほか、調査区のあちらこちらで土器や石器が見つかっています。
 見つかった土器などは遺物展示会(後期)で紹介します。

弥生時代
 いきいきランド交野の北側と、京阪電車側の2か所を中心として紀元前6世紀ごろ、弥生時代前期と呼ばれる時期の土器や住居跡が見つかりました。
 特にドーム側で調査された住居跡(右下写真)は、北河内地域では非常に少ない例というばかりではなく、炉跡の両端に小さな杭を打ち込む点や、炉跡の形状が楕円形であるなど一般的な竪穴住居と異なる構造をもっていました。これに似たようなものは朝鮮半島南部を中心に、北部九州地域から西日本に分布することから、大韓民国の遺跡名にちなんで、「松菊里型住居」と呼ばれています。
 見つかった石器の中には稲の穂首だけを引き抜くために使われた石包丁も含まれているため、このころから交野市域で確実に農業が行われていたことを物語っています。
 つづく紀元前3世紀ごろの中期では、京阪電車側で住居跡が数棟見つかったほか、このころの土器や石器が出てきました。深く掘られた穴の中には、鋤や鍬、斧の柄などの農工具が納められている例がありました。
 さらに、2世紀ごろになると、いきいきランド交野北西側の向井田地区付近に、シガラミが数か所築かれていました。
 シガラミとは、たくさんの木の杭を打って水をせき止めて水量を調節し、田に水を導くために設けられた堰のことで、このころ、周辺に本格的なかんがい用水路と水田が広がっていたと推測されます。
 なお、水路際から、いのししを模したと思われる小さな土人形も見つかりました。何に使われたのかは不明ですが、生産の基本となる水路近くから出てきたことから、いのししが子だくさんなことにあやかって、秋の豊かな実りや、人の暮らしが栄えることを託して置かれたものかもしれません。

住居跡(弥生時代)

住居跡の炉跡側で発見された木の杭

石包丁

シガラミ

土人形(いのしし?)
古墳時代
 この時代の中ごろの5世紀後半には、谷に挟まれた高い部分を利用して住まいや井戸が造られていました。住まいは地面を深く掘り下げ、そこに4本の柱を立てて屋根を葺く竪穴住居と呼ばれる構造になっています。
 住居の一辺には炊事や暖房用にカマドが設けられている例が多く、中には右下の写真のように、住居を捨て去る時に、土器などを納め、お祭りをしている家もありました。
 これらの周辺からは須恵器や土師器などの日常生活用品のほか、滑石製の子持勾玉や臼玉など、お祭りの道具も見つかりました。また須恵器の中には、この地域では珍しい国内で生産の始まってまもないころの大きな甕も見られます。

カマド
飛鳥時代
 古墳時代の集落に重なるようにして建物跡が見つかりました。建物の構造は地面に直接柱材を埋めて壁を作る掘立柱建物です。
 これらは数棟が集まって一つのまとまりをもっており、その中に床面全体に柱が設けられていることから倉庫と考えられる建物が含まれているため、いくつかのグループに分かれていたものと考えられます。
 なお、577年、敏達天皇の妃、豊御食炊屋姫尊(のちの推古天皇)のため、天皇が私部と呼ばれる召使いと、領地を置いたとする文献の記事がありますが、これに関連する具体的な資料は見つかっていません。

掘立柱建物の跡
 

 次回は、奈良時代からあとの私部南遺跡の様子と、平池遺跡の調査成果とあわせて紹介します。

(財)大阪府文化財センター 三好孝一

 

第二京阪道路関連遺跡
出土遺物展示会(前期)

と き 11月1日(日)までの午前10時〜午後5時(月・火曜日・祝日は休館)
場 所 歴史民俗資料展示室
内 容 倉治・東倉治・有池・上私部遺跡から出土した遺物の展示
 ※ぜひ広報紙をご持参ください。
問い合わせ 歴史民俗資料展示室(TEL810・6667)

市文化財シンポジウム
「ヤマト政権の生産基盤を掘る」

 このシンポジウムでは、第二京阪道路用地内及び周辺遺跡を取り上げ、古墳時代における生産活動について報告と生産活動に従事していた人々やそれらを掌握していたであろう諸豪族、さらにはヤマト政権との関わりについてお話しします。詳しくは広報かたの9月号を参照してください。
と き 10月24日(土)午前10時(開場は午前9時15分)〜午後4時50分
ところ ゆうゆうセンター4階 交流ホール
定 員 500人
参加費 無料
申し込み・問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111 FAX893・8168 e-mail:bunkazai@city.katano.osaka.jp)

 

市文化財シンポジウム「ヤマト政権の生産基盤を掘る」

 このシンポジウムでは、第二京阪道路用地内及び周辺遺跡を取り上げ、古墳時代における生産活動についての報告と生産活動に従事していた人々やそれらを掌握していたであろう諸豪族、さらにはヤマト政権との関わりについてお話しします。
 みなさんも一緒に古墳時代の交野地域について考えましょう。
と き 10月24日(土)午前10時〜午後4時50分(午前9時15分開場)
ところ ゆうゆうセンター4階 交流ホール
内 容
 第1部 基調報告・ 午前10時〜11時40分
 ▽若林幸子(R大阪府文化財センター)「開発拠点としての集落ー上私部・有池遺跡の発掘調査からー」
 ▽三好孝一(R大阪府文化財センター)「交野市域開拓の先駆者たちー私部南遺跡の発掘調査からー」
 ▽南孝雄(R京都市埋蔵文化財研究所)「北河内の初期須恵器生産ー上の山・茄子作遺跡の発掘調査からー」
 昼食 午前11時40分〜午後0時40分
 基調報告・ 午後0時40分〜1時40分
  ▽大竹弘之(枚方市教育委員会)「茄子作遺跡は渡来人の集落か」
  ▽真鍋成史(交野市教育委員会)「倭鍛冶の系譜ー森遺跡の発掘調査からー」
 第2部 記念講演 午後1時50分〜3時10分
 ▽和田晴吾(立命館大学教授)「北河内の古墳と地域社会」
 ▽水野正好(R大阪府文化財センター理事長)「ヤマト政権を支えた産業とその人々」
 第3部 討論会 午後3時30分〜4時45分
 ※テーマ・内容・タイムスケジュールなどが変更になる場合があります。
定 員 500人
参加費 無料
申し込み・問い合わせ 9月1日(火)から文化財事業団(TEL893・8111 FAX893・8168 e-mail:bunkazai@city.katano.osaka.jp

大阪ミュージアム構想

 大阪府と府内の市町村は、大阪のまち全体を「ミュージアム」(美術館や博物館)として、各地の魅力的な地域資源を「展示品」や「館内催し」に見立て、大阪の魅力アップを図る「大阪ミュージアム」構想を推進しています。
 交野市では、「教育文化会館」以外にも「私部代官屋敷周辺のまちなみ」「交野山と信仰の道」「交野が原と七夕まつり」など16件が、現在登録されています。
■大阪ミュージアムホームページ http://www.osaka-museum.jp/index.html

 

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