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広報 かたの 特集シリーズ

広報かたの 平成22年2月1日号

発掘!発見!緑立つ道

今月のテーマ 列品解説列品解説5「私部南遺跡の出土遺物(その2)」

文化財事業団(TEL893・8111)

問い合わせ (財)大阪府文化財センター京阪調査事務所
(TEL895・1200 〒576−0022 交野市藤が尾1−2)

 
 今回も、第二京阪道路関連遺跡出土遺物展示会(後期)に展示されている遺物について説明します。
 
私部南遺跡

今回は、私部南遺跡の発掘調査で見つかった古墳時代の土器などを、紹介します。

動物形土製品と手焙り形土器

 古墳時代前期(弥生時代の終わりから須恵器と呼ばれる土器が出現するころの5世紀始めまでの期間)に作られた、動物形土製品と手焙り形土器を展示しています。
 この動物形土製品は広報かたの10月号で紹介していますが、イノシシだと考えています。
 その理由は、左上の写真では分かりづらいですが、背中の中央から両側へ3本から4本の線が模様のように描かれています。この模様は、イノシシの背中に見られる特徴的な模様と良く似ています。このことからこの土製品は、イノシシを模して作られたと考えられます。
 手焙り形土器は、鉢形の土器に覆いを付けた形をしており、その形が手焙りという手を暖めるための小型の火鉢に似ていることから名付けられました。
 土器には実際に中で火を焚いた痕跡のあるものは確認されていません。そのため暖をとる手焙りとして使われたのかどうかはわかっていません。
 展示してある手焙り形土器は、胴部や覆いに文様もなくシンプルなものですが、中にはヘラや竹管、ボタン状の飾りできれいに装飾されたものもあります。
 

動物形土製品
(上からの写真と背中部分の拡大写真)

     

手焙り形土器

 
把手付平底土器と甕
 古墳時代中期に作られた須恵器の把手付平底土器と甕を展示しています。須恵器は灰色の硬い焼物で、縄文土器や弥生土器などとは別の作り方の土器です。須恵器作りの技術は、朝鮮半島から陶質土器と呼ばれる土器とともに日本に伝わり、生産が開始されました。
 写真の把手付平底土器は須恵器ですが、須恵器が日本で生産され始めたころのもので、口の形や胴部の線、把手など朝鮮半島の影響が色濃く見られます。
 また、壷なのか甕なのか形から判断するのが難しく、今回は単に土器としています。
 展示室に入ってすぐに須恵器の甕(左ページ上の写真)を展示しています。とても大きな甕で、高さが約1・、胴部の一番大きな部分は円周が2・6・もあります。底部は復元していませんが、丸底になります。
 甕を展示するために運ぶ時には、重さと割れた破片をつなげていることから、持つのが難しく、大人3人がかりでやっとでした。当時の人もこの甕を運ぶのは一苦労だったに違いありません。
 この甕も須恵器が日本で作られ始めたころのものです。
 そのため土器の厚みは薄く、形を作った時の工具痕跡を内面・外面ともていねいになで消す、という古い特徴を持っています。
 この甕は、一体何につかわれていたのでしょうか。中身が入ったままの出土例は無く、実のところは分かっていませんが、穀類や水を入れたと考えられています。
 甕は素焼きで水がもれてきますが、夏場にはこれが良いのです。西アジアの例として、同じような素焼きの甕に水を入れておくと、外面に水がしみ出し、高い気温で蒸発して中の熱を逃がすので、冷たい水を飲むことができるのです。
 このような大きな甕はいくつか見られますが、大きいだけに成型や乾燥時に自重で歪むことがあり、展示している甕のように、きれいなものは少ないです。
     

弥生土器

把手付平底土器

 

 

紡錘車と子持勾玉
 古墳時代中期〜後期の紡錘車を2つ展示していますが、それぞれ素材が異なります。一つは滑石製、もう一つは土製ですが、用途は同じで糸を紡ぐために使ったものです。
 展示では広い面を下にしていますが、使用時は逆に広い面を上にして使います。
 子持勾玉は古墳時代中期のもので、緑色をしているので、巨大な芋虫のように見えます。名前のとおり大きな勾玉の背中や腹、脇の部分にリボンのような形に簡略化した小型の勾玉を付けたものです。上部には穴が開いていることから、ちょっと重いですが、普通の勾玉のように首から下げて使っていたと考えられます。
 材質は滑石製ですが、滑石の中でも加工がしやすい非常に柔らかい石材で作られています。子持勾玉は、まじないに使われた道具として考えられており、子をたくさん持っていることから子孫の繁栄を願ったものではないかと考えられています。
 この子持勾玉や動物形土製品など、当時の人々は自分たちの力が及ばない自然の事柄に対しての願いを、まじないや祈りに込めて、それを身近にあるものの形で表していたのではないでしょうか。
 
 次回は、私部南遺跡の奈良時代以降の遺物について紹介します。

紡錘車(左が土製・右が滑石製)

子持勾玉

 
 

第二京阪道路関連遺跡出土遺物展示会(後期)
と き 3月28日(日)まで、午前10時〜午後5時(月・火曜日、祝日は休館)
ところ 歴史民俗資料展示室
内 容 私部南・上の山遺跡および交野市・古文化同好会により過去に調査された遺跡から出土した遺物の展示 
問い合わせ 歴史民俗資料展示室(TEL810・6667)

 

大阪ミュージアム構想

 大阪府と府内の市町村は、大阪のまち全体を「ミュージアム」(美術館や博物館)として、各地の魅力的な地域資源を「展示品」や「館内催し」に見立て、大阪の魅力アップを図る「大阪ミュージアム」構想を推進しています。
 交野市では、「教育文化会館」以外にも「私部代官屋敷周辺のまちなみ」「交野山と信仰の道」「交野が原と七夕まつり」など16件が、現在登録されています。
■大阪ミュージアムホームページ http://www.osaka-museum.jp/index.html

 

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