歴史民俗資料展示室の入り口を入って奥に、冑・鎧を中心とした見ごたえのある東車塚古墳からの出土品コーナーがあります。 今回は、それらの出土遺物があった車塚古墳群(古墳時代中期)、特に多くの発見があった東車塚古墳について紹介したいと思います。
東車塚古墳 車塚古墳群は、昭和48年、交野高校建設に先立って行われた発掘調査で円墳4基、前方後方墳と方墳各1基が確認されました。 東車塚古墳(第1号古墳)はこれらの古墳群の中で一番高い所に位置します。墳丘はかなり変形していましたが、全長58メートルの中規模前方後方墳です。 古墳の埋葬者は、交野地方が大和に通じる交通の要所だったことや、豊富な副葬品などから、有力な豪族、肩野物部氏の歴代の墓ではないかとの見方が有力です。 昭和63年に行われた調査では、3棺の木棺跡が発見されました。1号棺は長さが8.1メートルもあり、発見時は日本一長い木棺跡として話題になった割竹形木棺で、古墳の最深部にあります。2・3号棺は、その上に添わせるようにしてありました。いずれも未盗掘でしたが、甲冑など多くの副葬品が出土したのは1号棺だけでした。 この古墳からは、甲冑や鎧、鏡や鉄・銅製品、2,700点以上の玉類、様々な形の埴輪など、いろいろなものが出土しました。
その他の古墳 車塚古墳群には東車塚古墳以外に、同古墳から南川に沿って低くなった位置に西車塚古墳(第2号古墳)、南側に東車塚南古墳(第3号古墳)、3号古墳の北西に近接した位置に第4号古墳、110メートル西に第5号古墳が発見されました。 特に東車塚南古墳からは、家・盾・短甲・衣笠形の埴輪の破片が出土し、これも展示室の出土品コーナーをにぎわしています。
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