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広報 かたの 特集シリーズ

広報かたの 平成23年5月1日号

 
 
No.2〜縄文時代の暮らし〜
 

 氷河期の終わり頃で寒かった旧石器時代には、スギなどの針葉樹林帯が日本列島に広がっていましたが、縄文時代になると温暖化が進み、東日本では落葉樹林帯、西日本では照葉樹林帯が増加しました。
現在の交野にも緑が多く残されていますが、それとは比べ物にならないほど、多くの木々が生い茂っていたでしょう。
そしてこれらの木々は、ドングリなどをはじめとしたさまざまな食糧を人々にもたらしました。

 縄文時代になると、日本では初めて土器が作られるようになりました。
縄文時代の土器は、縄を土器の表面に押し当てることにより、独特の文様が作られていたことが名前の由来ですが、現在では、縄以外の物や技法で作られらた土器もあることが分かっています。
この土器が使われることで、縄文時代の人たちの食生活が画期的に変わりました。
土器が無かった頃は、食べ物は生のまま食べるか、火で焼いて食べるかしかありませんでしたが、当時は食料となるものが限られていたので、それでおいしく食べられるものは少なかったのです。
しかし、土器を使うことでお湯を沸かせ、それで食べ物を煮たり炊いたりできるようになりました。先程紹介したドングリも、煮て柔らかくすることで、おいしく食べられるようになります。土器を利用した新しい調理法で、食べられる物の種類が大きく増え、縄文時代の人たちの生活が大きく向上したことは間違いないでしょう。

 
ハンター・ギャザラー
 市内での縄文時代の出土物には、下写真の弓矢のように使われたとみられる石鏃が、多く見つかっています。このことから、縄文時代の人たちも、旧石器時代と同じく狩猟をしていたことが分かります。
 また、捨てられた貝殻が積もってできる貝塚が、東北や関東地方でできていたのも縄文時代なので、漁などで魚介類も多く採っていたことも分かります。
 それに加え、先程紹介したとおり、森からドングリなどの植物の食べ物も採集していましたから、縄文時代の人たちは、狩猟・漁・採集をすることで季節ごとのいろんな食べ物を確保していたようです。
 こうした生活をする人たちをハンター・ギャザラー(狩猟採集民)≠ニいいます。

縄文時代の石鏃
 
神宮寺式土器

 神宮寺遺跡で、旧石器時代の石器の他に、縄文時代の炉の跡や土器が見つかりました。
ここで見つかった土器には、下の写真のような形の棒を押し当てて文様を施している特徴があります。また、貝殻のギザギザした部分を押し当てて文様を作っているものもあります。
この土器が見つかった頃は、縄文時代の研究が始まって間もなかったため、近畿地方で同じような特徴がある土器は、発見されていませんでした。そのため、発見された地名をつけて、「神宮寺式土器」と命名され、近畿地方の縄文時代初めころの時期を示す専門用語として、日本全国の研究者に広く知られることになりました。


押型文の型

神宮寺式土器(押型文)
 
星田旭遺跡
 星田の傍示川沿いにある老人ホームの手前には「星田旭縄文時代住居遺跡」と刻まれた石碑が建てられています。
 この付近から星田新池までの一帯が、星田旭遺跡です。
 ここからは右写真のような土器片が見つかっていますが、これらの土器は縄文を磨り消している、平底であるなど、神宮寺式とは特徴が異なります。
 これは、縄文時代の中期後半から後期の初めころの土器とみられています。
 
縄文時代を考古学してみよう
 縄文時代は1,000年も続き、交野でも土器を作り、狩りやドングリなどを集めて豊かな生活が営まれていました。 
 今回紹介した遺跡のほかに、私部南遺跡や上の山遺跡で、貯蔵用とみられる穴などの遺構や土器が見つかっています。また、傍示への山道の途中にある南山遺跡などでも、縄文時代の石器などが発見されています。
 縄文時代の遺跡や土器などは、市内の広い範囲で見つかっていますが、住居の跡はどこからも見つかっていません。これは、当時の生活を考古学する上で大事なことです。
 縄文時代の人々は、定住する家を建てずに、季節ごとに生活や採集・狩猟のしやすい地域を移動する半定住の生活をしていたのかもしれません。
 

遺跡たんけんツアー・考古学教室参加者募集

 旧石器・縄文・弥生時代の遺跡巡りと、本物の遺物を見て触れる体験教室に参加しませんか。
■遺跡たんけんツアー
と き 5月22日(日)午前9時30分〜正午(小雨決行)
コース いきいきランド交野⇒第2京阪道路側道⇒源氏池⇒免除川⇒神宮寺⇒いきいきランド交野
参加費 100円(保健・資料代)
■考古学教室
と き 6月12日(日)午前10時〜正午
ところ 歴史民俗資料展示室(教育文化会館内)
定 員  先着30人
申し込み・問い合わせ 5月2日(月)から文化財事業団(TEL893・8111、FAX893・8168 土・日曜日、祝日はファクスで受け付け)
※遺跡たんけんツアーと考古学教室の両方への参加が原則です。片方のみの参加の場合はお問い合わせください。

歴史クイズ

問題
交野では、現在でも田んぼの風景がまだまだ多く残されています。
縄文時代の稲作は、どのような状況だったでしょうか?

(1)縄文時代には、稲はまだ日本に伝わっていなかった。
(2)わずかに稲は伝わっていたが、水田は整備されていなかった。
(3)整備された水田で稲を多く作っていた。

歴史クイズの正解者の中から抽選で1名様に「ジュニア文化財ガイドブック」をプレゼントします。当選者の発表は、ガイドブックの発送に替えさせていただきます。
応募方法
 5月31日(火)までに、はがきかeメールに(1)答え(2)名前(3)住所(4)電話番号(5)あれば感想・質問を書いて文化財事業団広報プレゼント係(〒576−0052 交野市私部2−29−5、e-mail:bunkazai@city.katano.osaka.jp
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)

4月号歴史クイズの答え

正解は、1と4でした。
1の解説
 旧石器時代に犬の骨は見つかっていません。
 もっとも古い犬の骨は縄文時代のものです。

4の解説
 旧石器時代の環境についての最近の研究により、日本列島と大陸は地続きではなかったと考えられています。
 ただし、氷河期には氷河が橋の役割をして、列島と大陸の行き来は可能だったといわれています。


住 所 交野市倉治6−9−21(教育文化会館内)
▽JR津田駅から徒歩10分
▽交野市駅から、京阪バス「津田駅」行き、「南倉治」下車、徒歩1分
▽ゆうゆうバス、倉治コース、「南倉治バス停」下車、徒歩1分
開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日・火曜日・祝日・年末年始
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)か、同展示室(TEL810・6667)


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