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交野歴史健康ウォーク  221回
東海道寄り道ウォークA
ー蹴上〜日ノ岡峠〜逢坂の関跡ー
2026年4月11日(土) 参加者22名(内会員16名)
案内人 盛岡 博氏 (古文化同好会)

  行程  交野市駅 → 枚方市駅 → 三条駅 → 交野市駅→三条駅 → 三条京阪駅→
 蹴上駅 →蹴上発電所→琵琶湖疎水記念館→蹴上駅→御陵駅→日ノ岡峠→亀の水不動尊→
 陵ケ岡みどりの径→天智天皇山科陵→五条別道標→安祥寺 → 琵琶湖疎水(昼食)→毘沙門堂→
 諸羽神社→ 山科(四宮)地蔵堂徳林庵→三井寺観音堂道標→井筒八ッ橋本舗(休憩)→
 井筒八ツ橋本舗(休憩)→閑栖寺 → 山科追分→月心寺 →蝉丸神社分社→
 うなぎのかねよ→逢坂の関跡→大谷駅 →三条京阪→三条駅→交野市駅ほか
                  約20,000歩   17:30分頃解散
 2026年4月11日(土)、春の陽気に包まれ夏日が予想されている天候の中、京阪交野市駅午前9:00集合、本日の参加者は22名(内会員16名)です。

 今回のスタートは昨年11月22日(土)の東海道寄り道ウオーク@で寄り道をし過ぎて、目標の山科に到着できなかった為、京阪本線三条駅で下車、京阪三条駅で京都地下鉄東西線乗り換え、蹴上駅下車よりスタートです。

 本日案内していただく盛岡さん(古文化同好会)より、本日の行程及び注意事項について、特に参加者が22人と長い行列になるため、信号を渡るときは無理をしないで余裕を持って渡るよう、又今回より案内人は古文化同好会のロゴ入りのチョッキを着用しているので目安として行動してくださいとの説明がありました、

 今回の寄り道は琵琶湖疎水記念館から逢坂の関まで用意され、毘沙門堂を除きすべて寄り道ができました。
 本日の最初のみどころは、2020年日本遺産に認定された琵琶湖疎水の意義を伝える琵琶湖疎水記念館です、京都の人々が琵琶湖疎水(京都と大津を繋ぐ希望の水路)を使って街を発展させた様子を紹介しています。

 そして旧東海道、日ノ岡峠〜天智天皇山科陵前の三条通り(府道143号線)に出るまでの旧街道筋(道路幅員が2間から2.5間[3.6m〜4.5m]の昔ながらの道路)は、三条通から一歩南や北にそれて住宅地の細道に入ると、幅の狭いくねった路地、段差のある坂、家そのものは全面的に江戸時代そのままというより、昭和以降の改築を受けたものも多いですが、敷地の取り方、道と家の距離感に、旧街道の名残が表れていました。

 昼食は安祥寺(高野山真言宗)南側の琵琶湖疎水の側道で、咲き誇った菜の花と、春の風で散り終わりかかった桜吹雪の下で楽しみました。

<参加者のお話し>
 京都、大津方面はテレビ、ニュース等でよく聞く耳慣れた地名が多く、桜のシーズンも終わり、しずかに散策、見学ができそうなので、一度訪れたいと機会を待っていた。
 江戸時代の人々が、東海道を草鞋・蓑・笠、姿で雪の日も風の日も東海道の坂道を登り下りする姿が想像できない。

 参加者の皆様が長時間、長距離、一人も脱落することなく、楽しんで頂いたことにお礼を申し上げます。


 ※当日の写真撮影及び概要レポートは竹澤利直様にお願いしました。また、当日配布されましたレジメなど、盛岡 博様が作成された貴重な資料などを快く提供を受けましたこと、誠に有難うございました。併せて、毛利信二様より写真の提供を頂きました。
  記して謝意を申し上げます。
 
本日の案内人 盛岡 博氏

天智天皇山科陵前で記念撮影
2026.4.11東海道寄り道ウォークAMAP 

東海道寄り道ウォークA レジメ
案内人 盛岡 博氏
 
 
 
 
東海道(旧東海道)
 日本の道を代表する幹線道路・東海道(旧東海道)は、徳川家康が拡充・整備を行った街道で、五街道の一つです。道としては、律令時代(7〜 10世紀)から東西交通の要として存在していました。家康の当初の目的は、軍用道路としてのものでしたが、次第に商業・産業・旅の道へと変化していきました。
集合は、交野市駅
 
京阪・三条駅
 
  今回のスタートは昨年11月22日(土)の東海道寄り道ウオーク@で寄り道をし過ぎて、目標の山科に到着できなかった為、京阪本線三条駅で下車、京阪三条駅で京都地下鉄東西線乗り換え、蹴上駅下車よりスタートです。
 
蹴上駅 下車
 
 
 蹴上発電所〜琵琶湖疎水記念館を見学する
関西電力 蹴上発電所
 蹴上発電所は琵琶湖から京都へ水を導く「琵琶湖疏水」を利用した水路式水力発電所です。日本初の事業用水力発電所として、明治24年(1891年)に運転を開始し、運転開始から130年以上経った今なお、現役の発電所として電気を送り続けています。
琵琶湖疎水記念館
 本日の最初のみどころは、2020年日本遺産に認定された琵琶湖疎水の意義を伝える琵琶湖疎水記念館です。京都の人々が琵琶湖疎水(京都と大津を繋ぐ希望の水路)を使って街を発展させた様子を紹介しています。

 琵琶湖疎水に関するいろんな疑間が解決できる博物館。蹴上インクラインを船に乗せた台車が行き来していた様子が分かるミニチュア模型のほか、蹴上・岡崎エリアのジオラマやアーカイブ映像の視聴コーナーもあります。
 
 琵琶湖疎水ストーリー 40の名所・史跡
 
 
 
昨年、11月22日のウォークで歩いたインクライン
蹴上インクライン
 疎水上流の蹴上船溜と下流の南禅寺船溜を結んだ全長約582mの傾斜鉄道で、建設当時世界最長でした。約36mの高低差を克服するために舟を台車に乗せ、ケーブルカーと同じ原理で運び、舟は貨物の積み下ろしせずに、高低差を乗り切ることができる。現在は、レールが保存され、自由に歩くことが出来ます
 
 旧東海道を歩く
御陵駅下車〜日ノ岡峠〜亀の水不動尊〜天智天皇陵へ
 旧東海道、日ノ岡峠〜天智天皇山科陵前の三条通り(府道143号線)に出るまでの旧街道筋(道路幅員が2間から2.5間[3.6m〜4.5m]の昔ながらの道路)は、三条通から一歩南や北にそれて住宅地の細道に入ると、幅の狭いくねった路地、段差のある坂、家そのものは全面的に江戸時代そのままというより、昭和以降の改築を受けたものも多いですが、敷地の取り方、道と家の距離感に、旧街道の名残が表れていました。
 

御陵駅で下車、前回の11月22日に歩いた方向へ少し戻り日ノ岡峠へと行く
 

旧東海道に出た!
 
 亀の水不動尊
 元文3年 (1738)日 ノ岡峠の改修に尽力した木食僧・正禅(養阿上人)が、峠の途中に結んだ梅香庵(木食寺)の名残とされ、その庵は往来の人々の休息所を兼ねて牛馬の渇きを癒すために丼戸を掘り、湯茶で旅人を接待されたとされます。現在、往時のものと思しき亀の石像があり、口から水が流れ落ちています。
 往時の水は、「量救水」と名付けられ、往来の多くの人々を救いたいとの思いが込められていたのでしょう。亀の石像から水が落ちることから、「亀の水」とも呼ばれ、のちに不動尊が祀られました。
 

陵ケ岡みどりの径
京津線はかつて、三条通りの路面を走り、御陵駅付近から脇に逸れて専用軌道を走行し、
この専用軌道部分が「陵ヶ岡みどりの径」として再整備されました
 
 
旧東海道のあちこちの街角にお地蔵さまが祀られている
天智天皇山科陵
 天智天皇陵は数ある天皇陵の中でも天智天皇が確かに埋葬されたことが分かっている数少ない天皇陵で、江戸時代には「十陵」の中 で、常にトップにあげられていた。 入り口近くに「日時計」の碑が建っています。 天皇が「漏刻(水時計)」 を作ったという古事から、この場所に選ばれたと思われる。
 
 

天智天皇山科陵前で記念撮影
 JR東海道本線(琵琶湖線)の高架下を通り、
左折旧三条通り(旧東海道)へと歩く
 
 
三条通交差点、赤信号方向の狭い道が旧東海道
 
五条別れ道標
 京都では「分岐点」や「別れ道」を「別れ」という言い方をしたので、この地点から五条と三条に別れるという意味の石柱だと分かる。道標は宝永4年 (1707)建立。「右ハ三条通」「左ハ五条橋・ひがしにし六条大佛。今ぐまきよ水道」などと彫られている。
 
京阪・山科駅
JR山科駅前を通り、琵琶湖線の高架下を
くぐり琵琶湖疎水へと向かう


安祥寺〜山科疎水〜諸羽神社〜四宮へ
 
 
山科疎水
吉祥山  安祥寺
  嘉祥元年(848)藤原順子皇太后により建立発願、弘法大師の孫弟子にあたる恵運僧都 が創建した由緒ある古刹で、江戸時代に再建 された堂宇が今に伝わる。普段は非公開ですが、当日は特別拝観日に当たっています。 ウオークでは拝観しません。
 

向こうは安祥寺を右に疎水沿いを歩く
 
 
 昼食は安祥寺(高野山真言宗)南側の琵琶湖疎水の側道で、
咲き誇った菜の花と、春の風で散り終わりかかった桜吹雪の下で楽しみました。
 
 

昼食を終わり、洛東高校前の洛東橋から疎水沿いを歩き始めた
 

疎水沿いの安朱橋・・・毘沙門道にかかる橋

疎水沿いの隧道・・・トンネルの中に、入口が見える  諸羽船留にて
 
 諸羽神社
 人康親王が視力を失う前年、858年に即位した清和天皇(人康親王の甥)が862年に創建した神社。境内には人康親王山荘跡碑や伊勢物語に登場する紀伊の国の庭石などがある。
 
 

諸羽神社から旧東海道に続くJRの高架下
 
 

四宮付近の道路
山科(四宮)地蔵堂徳林庵
 人康親王を先祖とする四宮家出身の雲英正が南禅寺の住職を勤めた後、隠居のために創建。地蔵はじもとの住民が守っていたが、四宮善兵衛の願いで、1770年以降は、徳林庵が守ることになった。地蔵尊は親王の化身ともいわれ、852年、冥界で閻魔大王に仕えていたという伝説の持ち主、小野篁作と伝わる。
 
地蔵堂徳林庵の六角堂と拝所
 
十禅寺(奥に入ったところにある寺)の石柱と右側は地蔵堂徳林寺
 小関越え(三井寺観音堂道標)
 北國街道から分かれて藤尾で東海道に合流する約5kmの道は、東海道の間道として小関越と呼ばれる。この道標は小関越から園城寺へ向かう道の分岐に立つ。三面に「左り三井寺是より半丁「右小関越三条五条いまく満京道」「右三井寺」と刻まれている。
 
 
 井筒八ツ橋本舗(休憩)のバス停駐車場にあった石像
 

右は、天智天皇像・・・陵がある。大津京に遷都。
左は、坂上田村麻呂像・・・征夷大将軍(奥州蝦夷征伐)、清水寺の創建
 
井筒八ッ橋本舗の入口に設置
 閑栖寺(かんせいじ)
 1728年、三井寺・金乗院敬祐の発願により、村人の安穏、五穀豊穣祈願のために造立された。「山門」は長屋門になっており、門上に太鼓楼がある。太鼓は東海道を往来する人々に時を知らせていた。境内に車道が再現されている。
 


車石と車道
 
山科追分
 東海道となら街道が分岐する歴史的な二差路。「髭茶屋追分」とも呼ばれ、古くから大津宿と山科の境として交通の要衝でした。道標には「みきハ京みち」「ひだリハふしミみち」「柳緑花紅」とあり、昭和29年再建の3代目。
 髭茶屋追分・・・ 右は、東海道五十三次の終点 京都三条大橋
左は、東海道五十七次の終点 大坂の高麗橋
(大阪からの名前は京街道、
京都からの名前は大坂街道)

「髭茶屋追分」 左はなら街道・伏見へ 右は京都三条へ
 
月心寺
 京、大津への玄関口、逢坂山の関所を控える、かつては東海道随一の賑わいをしていた追分の地で繁盛していた走井茶屋の跡。境内には今も枯れることなく走井の名水が湧き出ている。国道1号の拡張や東海道本線の開通により町が廃れてしまい、茶店も八幡に移った後朽ち果てた。惜しんだ日本画家の橋本関雪が別邸として購入し、その後、天龍寺慈済院より住職を迎え、今の寺院となる。別邸の名は「走井居」
 
 


月心寺の境内(庭) 走井の名水が今も湧き出ている
八幡市の石清水八幡宮の鳥居の前「走井餅の店」はここから移転した
蝉丸神社分社
 平安時代の歌人で琵琶の名手蝉丸を祀る神社。音曲芸能の祖神として信仰され、特に芸事の向上を願う参拝者が訪れる隠れた名所。逢坂山周辺にある3社ある「関蝉丸神社」の一つ。
 
うなぎのかねよ
逢坂の関跡
 滋賀県大津市と京都市山科区の境にある古代・中世の重要な関所跡。大化2年 (645)頃に設置され、鈴鹿関、不破関と並ぶ「三関」の一つとして、平安京の東の守りの要でした。
 
逢坂の関跡の和歌の石碑
 大谷駅のベンチ
 大谷駅のホーム、ホームに勾配がついているので
ベンチの座席を傾斜にして水平にしています。
 
 大谷駅乗車、三条京阪→三条駅→交野市駅午後5時30分過ぎ帰途に着いた
 参加の皆様、お疲れ様でした!



最後までご覧いただき有難うございました

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