交野歴史健康ウォーク 第181回

幻の大仏鉄道遺構を探訪

2019.3.9(土) JR河内磐船駅 午前9時集合

行程 : JR河内磐船駅⇒木津駅乗り換え⇒加茂駅⇒大仏鉄道遺構を歩く⇒
大仏鉄道記念公園⇒JR奈良駅⇒ 15時20分頃解散

案内:伊東 征八郎氏(交野古文化同好会)
     
参加者 25名(会員18名)

 交野歴史健康ウオークは3月9日(土)午前9時、JR河内磐船駅前に集合。前日と打って変わって絶好のウォーク日和となり沢山のメンバー25名(会員18名)が参加され和気あいあい大変楽しいウォークとなりました。

 JR河内磐船駅を9時4分発に乗車、木津駅で乗り換え加茂駅で降り、高尾部長より挨拶があり、続いて案内の伊東征八郎さんよりウォークの行程と「大仏鉄道の歴史」などの説明を受けゴールのJR奈良駅に向かって元気に出発しました。

 加茂駅構内のランプ小屋に始まって暫く歩いてSL列車の展示を見学、懐かしい田園風景が広がる農道を歩き、最初の「観音寺橋台」が見えて来ると感激の声を上げた。120年前の幻となった大仏鉄道の線路の跡に残された廃線跡や橋台・隧道などを次から次へと巡りながら昔の姿に思いを馳せた。途中でバスに乗られた4名を除き全員が13kmを歩き通しJR奈良駅に無事到着された。

 今回のウォークに先立ち、昨年の12月1日に伊東さんを始め、高尾さん、川田さん、村田さんの4名が「大仏鉄道開業120周年記念ウォーク」に参加され充分に事前調査をされたお陰で、全行程を大変分かりやすくスムーズに案内頂きました。心より感謝申し上げます。

 初めて参加された方からは、「大仏鉄道のことを初めてお聞きして興味があり参加させて頂きました。明治時代に開通された鉄道跡を隈なく歩き詳しく案内頂き大変楽しい1日でした。天気も良く13kmを何とか歩くことが出来て感謝しています。これからもどうぞよろしくお願いします。」との感想でした。
 本稿を記載するにあたり、WEB情報の「木津川市」観光スポット、大仏鉄道遺構巡りマップ、大仏鉄道開業120周年記念ウォークパンフなど諸資料集を参照させて頂きましたこと、記して感謝申し上げます。 
 
加茂駅前の「大仏鉄道案内板」前で記念撮影
 幻の大仏鉄道遺構を探訪レジメ
 
 
 

当日のウォーク行程地図


幻の大仏鉄道遺構巡り
         大仏鉄道 わずか9年間で廃線になつた幻の鉄道
  大仏線は、現在の関西本線(大和路線)の加茂駅と奈良駅を結んでいた9.9kmの鉄道です。東大寺の大仏近くに「大仏停車場」があったことから、こう呼ばれていました。
 わずか9年間(明治31~ 40年)で廃線となりましたが、100年ほど前の当時は「関西鉄道」(かんせいてつどう)が建設した、名阪間の堂々たる幹線の一部でした。
 最新式のイギリス製蒸気機関車が運転され、地響きをたてて駆け抜けるさまに、付近の人々は大変驚いたということです。大仏線が廃線になつた最大の理由は「奈良山越え」でした。そこには25‰ という蒸気機関車にとっては大変険しい坂がありました。スピードは落ち、小さな蒸気機関車ではしばしば立ち往生もあったといいます。
 やがて1907(明治40)年に京都~奈良間を結んでいた奈良鉄道が買収され、同じ加茂~奈良間に木津を通る新しいルートが建設されました。こちらには大仏線のような勾配はなかつたので、蒸気機関車の運転が大変楽になりました。廃線となつた大仏線は、大仏停車場と路線敷きの一部が売り払われ、住宅地や道路に転用されました。
 しかし100年あまりを経た今でも、開発をまぬがれたところでは当時の建造物があちこちに残されていて、当時の様子をうかがうことができます。


※25‰パーミル=勾配の傾斜を表す単位。25‰は1,000m進んで25mの高低差のこと。
 
 
 
                 1.橋脚
             2.橋脚
             3.橋脚
             4.梶ケ谷トンネル 大仏鉄道 梶ヶ谷トンネル
             5.赤橋 大仏鉄道 赤橋
             6.このあたりの路線跡は、現在、道路として利用されている。
             7.松谷トンネル
             8.鹿川トンネル
             9.黒髪山トンネル跡
                ( 明治41年に廃止されたその後も残っていたが
                昭和39年に山を切り開き現在の道路が開通した
                際に取り壊された.
                トンネルは歩道橋下のセンターライン 付近にあった。)
             10.大仏駅跡付近につくられたモニュメント
             11.JR奈良駅北側の現関西本線と大仏鉄道の合流・分岐点
 大仏仏鉄道の歴史
  1897年(明治30年)に名古屋~加茂間を開通させた関西鉄道株式会社は、名古屋 方面から奈良への観光客の誘致を図るため、引き続き加茂~奈良間に木津を経由しない新線の建設を始めました。
 翌明治31年には加茂~大仏間8.8キロメートルが、明治32年には大仏~奈良 間1.1キロメートルが開業し、ここに加茂~大仏~奈良間全長9.9キロメートル の大仏鉄道が完成をみたわけです。
 しかし、大仏鉄道はそのルートを最短距離となる奈良山丘陵に設定していたため、加茂駅の標高が40メートルであるのに対して、大仏駅は70メート ル、黒髪山では100メートルにもなりました。その結果、大仏鉄道は最急40分 の1の勾配(100メートルで2.5メートル登る)が連続する路線となり、明治時代の小さな蒸気機関車にとって、その運転は相当な困難を極め、イギリス(ナ スミス・ウイルソン社)製の新鋭機関車をもってもけん引きギリギリで、石炭の消費量も多かったと言われています。
 
 大仏鉄道を走った関西鉄道の蒸気機関車には、形式によって源頼朝の愛馬からとった「池月」「早風」「飛龍」「鬼鹿毛」「三笠」「千草」「雷光」など、趣のあるニックネームがつけられていました。
 大仏駅は加茂~大仏間の開通に併せて奈良市の現在の佐保小学校付近に設置されました。駅舎は田んぼのなかに土盛のホームと片流れの上屋・平屋の駅舎ニ棟と茶店、人力車の帳場があるだけのものでしたが、伊勢や名古屋から大仏に一番近い駅として参拝客で賑わいました。
 しかし、奈良の人々が徐々に大仏駅よりも奈良駅を利用するようになり、開業からわずか3年後の明治34年には乗降客が激減しました。そして明治40年8月21日に加茂~木津~奈良間に平坦な現在のJR関西本線のルートが開通したため、大仏鉄道は廃止され、11月には駅舎とレールの撤去が開始されました。大仏鉄道は、開業からわずか9年余りでその姿を消したこととなります。
 現在、大仏鉄道の名残としては、わずかな鉄橋やトンネルなどの土木構造物が路線沿いに点在し、現存しているにすぎません。
 しかし、その構造物は長い時間を経ても当時と変わらぬ姿で残っており、むしろ時間の中でもまれているだけに、風景や地域に溶け込んだものとなっています。一度、あなたも大仏鉄道跡をたどってみませんか。
 
 
 木津川市の誕生
 平成19年3月12日、それぞれに文化と歴史を積み重ねてきた旧木津町・加茂町・山城町の3つの町が合併し、木津川市が誕生しました。
「水・緑・歴史が薫る文化創造都市~ひとが耀き ともに創る豊かな未来」これが木津川市が目指す将来像です。
 木津川市は、近畿のほぼ中央に位置し、京都・大阪の中心部から約30キロメートル圏内にあり、京都府内では京都市に次ぐ数の国指定文化財や豊かな自然・里山など、先人から受け継がれてきた資源がある一方、最先端の研究機関が立地する「関西文化学術研究都市」中核都市でもあります。また、全国的に人口減少が課題となる中、本市は、平成19年の市発足時から人口が1万人増加しているまちです

JR加茂駅出発
 加茂駅
 1897年(明治30年)に奈良経由で大阪と名古屋を結ぶ関西鉄道の駅として開業した。私鉄であつた関西鉄道は、官設の東海道本線と競争関係にあつたが、1907年(明治40年)に国有化され関西本線となつた。
その後、国鉄を経て、1987年(昭和62年)JR西日本の駅となる。
 

高尾部長の挨拶で始まりした!

案内人の伊東征八郎氏
 
 加茂町は水運業から始まり、鉄道の発展と共に躍進してきた町でもあります。
加茂駅は、明治30年(1897)11月に開業し、駅の構内には機関車、給炭水施設などがありましたが、電化された現在、残されている鉄道遺産はランプ小屋、駅4番のりば、赤レンガ積みのホーム、跨線橋脚、大仏鉄道の遺構と加茂小学校に保存中の蒸気機関車などがあります。
 ここに設置しました蒸気機関車の動輪は、「8620型」の主動輪で1914年(大正3年)生まれで、スポーク型直径160cm 重さ約3トン)と呼ばれ、全国の幹線を快速旅客用として走行したものです。
 ランプ小屋
 
 大仏鉄道の遺構である、開業当時からのランプ小屋が現存する。明治30年(1897)10月に完成した加茂駅開業当時からの建物です。オランダ積みの赤レンガ造りで切妻屋根の倉庫としては珍しく、機関車の前照灯や客室の照明用に使用されていたランプの石油類の給油、保管に使用されていました。
 
 
 ■C57S L
   関西本線を走つていた。「貴婦人」の名で親しまれていた、
昭和12年製のSL。昭和47年に設置。

 
 

石部川堤防を歩く
周りには赤田川や石部川の後背湿地が広がり西に大野山を望む
田園風景が何とも懐かしい気持ちを呼び起こさせます。
 
観音寺橋台 (かんおんじきょうだい)
 大仏鉄道の急な高低差を緩和するために作られた石造りの観音寺橋台(手前の高い方)と併走して現在もJR大和路線が走っています。大仏線の工事とほぼ同時期に木津(片町方面)へと結ぶ線路が並行して進められていました。
 
 
 
天王社
 鹿背山橋台
 石積みの台。人気のスポット。
 
 梶ヶ谷隧道(かじがたにずいどう)
大仏線築堤を造る際、農道や水路を通すために築堤下部に設けられた隧道です。壁は煉瓦、側壁は御影石と豪華な作りです。アーチ部分の煉瓦は長手積み、坑門はイギリス積みで当時の技術の高さが良く分かります。大仏鉄道の代表的遺構の一つです。 
 
 
 赤橋
  御影石と煉瓦を組み合わせて造られています。長短の赤煉瓦を交互に積むイギリス式です。大仏鉄道の遺構の中でも最も代表的なもので、今も現役で上を車道が通つています。

旧大仏鉄道路線がずーっと続いています。
 城山台公園(大仏鉄道記念公園)
 城山台公園(大仏鉄道公園)  面積 20090平方メートル 施設 ベンチ、廃線レールモニュメント、水飲み場、東屋、 トイレ、芝生広場、駐車場、車いす使用者用駐車施設。

路線の展示模型(廃線レールモニュメント)
関西鉄道 社章モニュメント
 
関西鉄道社章モニュメント前にて記念撮影
  松谷川隧道(まつたにかわずいどう)
関西鉄道の社章モニュメント脇をを降りた畑地に松谷川トンネル遺構が残つています。松谷川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走つています。
 木津川市水道配水場
大仏鉄道とは関係ありませんが、バベルの塔の様な建造物が木津川市の水道施設です。
鹿川隧道(しかがわずいどう)
農業用水路の目的で造られた隧道で、今も水路として使われています。
細いトンネルですが、とてもきれいな石組みでできています。鹿川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。
 黒髪山トンネル跡
明治41年大仏鉄道が廃止されたその後も残つていましたが、昭和39年の道路拡張に伴い、山を切り開きトンネルは取り壊されました。
 
 興福院
興福院は小さな尼寺らしく、仏像・建築・庭園などが揃つて大変美麗なことで知られ、本尊は木心乾漆阿弥陀三尊像(重要文化財)で奈良時代8世紀の作となつています。なお、基本的には寺院の中へは入ることが出来ません。外側から指定有形文化財である「大門」越しに内部を垣間見ることが出来るのみとなつています。
 大仏鉄道記念公園
大仏駅の敷地に奈良市と地元自治会の協力で平成4年に造られたれた小さな公園。
 佐保川橋脚(さほがわきょうきゃく)跡
佐保川に架かる下長慶橋付近の川底に煉瓦製の橋脚の基底部分が見られます。(増水時は見られない)
※吉村長慶  奈良出身の実業家、文久3年(1863)奈良町で質屋を営む吉村家で生まれる。家業を営む傍ら北浜や堂島で相場師として活躍し、莫大な財を築いた。
彼の業績としては、私財を投じておびただしい数の石造物を製作し畿内各地の寺等に奉納した。また、寺を建立したりした宗教家でもあつた人物です。下長慶橋や長慶橋等を建立するなど社会貢献もしてきた。
 
佐保川に架かる下長慶橋付近の川底に煉瓦製の橋脚の基底部分が見られます。

颯爽と走っていた当時の想像図

発見された橋脚の基礎の実測図

ゴールのJR奈良駅 旧駅舎(奈良市総合観光案内所)
旧奈良駅舎前にて解散しました。
参加の皆さん、大変お疲れ様でした!
 最後までご覧いただき有難うございました!

交野古文化の歴史ウォークに戻る