京阪枚方市駅9:50→墨染駅→藤森神社→瑞光寺→石峰寺・五百羅漢→
深草墓園(昼食)→ぬりこべ地蔵→伏見稲荷神社→東福寺→泉涌寺→京阪東福寺駅15:00
2003.5.24(土)午前9時50分、京阪枚方市駅中央コンコースで集合。天候晴れ。小学4年の小川君を始め、時間通り元気な20名の顔が揃った。交野歴史健康ウォークは発足後第48回目を迎え、初めて交野市から離れて近郊の京都の伏見街道へと踏み出しました。参加されている皆さんのご意見により、2ヶ月に1回は、近隣に出掛けることとなった。 平田さんの今日の話はなんでっか?羅漢についてを参照下さい |
《石峰寺の五百羅漢》 | |
正徳3年(1713)千呆(せんがい)禅師創立の黄檗(おうばく)宗の寺。 本堂背後の山中に江戸時代の画家伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)(1716〜1800)が下絵を描き,石工に彫らせた五百羅漢がある。 羅漢とは釈迦の弟子で,五百羅漢といえば,優秀な弟子五百人という意味であるが,若冲の磊落な筆法で下絵を描かれた石仏は,長年の風雨を得て丸み,苔寂びその風化に伴う表情や姿態に一段と趣きを深めている。 伊藤若冲は江戸時代中期,正徳六年(1716)二月八日京都の高倉錦小路南東角にあった青物問屋「桝屋」に長男として生まれた。 名前は代々伊藤源左衛門を名乗り,店の名は,屋号と名前から「桝源」といった。 40歳の時に次弟の宗厳に家督を譲り,隠居して絵を描くことに専念する。 絵は写生を基礎とした動植物画が有名で,特に鶏の絵は画幅から今にも飛びだしそうなくらいリアルである。 五百羅漢は一説には,天明八年(1788)正月におこった京都大火災で焼け出された若冲がこの石峰寺門前で妹と暮らすようになり,石峰寺後方の山中に石像の五百羅漢を建立する事を思い立ち,絵1枚につき米一斗分の代金を受け取り,その金でみずからデザインした石の羅漢を一体ずつ石工に彫らせ,奉納配置していったという。しかし実際には天明大火の二年前に刊行された『拾遺都名所図会』にすでに「石像五百羅漢」の記事があり,建立はもっと早い時期からはじまったらしい。 明治以降荒廃していた羅漢山は龍潭和尚の篤志により,草を払い径を開き,個々の石仏の趣を見られるように整備されたものである。 |
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深草墓園で昼食。 午後は、歯痛に良く効くといわれるぬりこべ地蔵さんに良くお頼みして、奥院まで赤い千本鳥居が続く伏見稲荷大社で参拝。雀の焼き鳥の香ばしい匂いを嗅ぎながら沢山の土産物屋を横目に、再度伏見街道に出て北へ暫く歩くと、赤暖簾がかかった伝統工芸品の伏見人形店・丹嘉があった。 京と伏見の境界を示す本町22丁目は久野病院付近で見つかった。三ツ橋川に架かる伏水街道第三橋と彫られた石橋を確認して右折、東福寺へ。臨済宗東福寺派の大本山で、国宝の三門を仰ぎ、小休止。新緑のもみじが綺麗な通天橋を見下ろし、秋の紅葉のシーズンの頃を思い浮かべた。 東福寺の境内をぐるりと迂回して、泉涌寺へと歩いた。住宅街を通り山の中へ、両側に御陵がありそこを過ぎると泉涌寺の山門にでる。「御寺泉涌寺」と書かれていた。拝観料を支払い、境内に入ると正面下に素晴らしい本殿が目に付く。先ず、境内左手の有名な楊貴妃観音像を参拝した。素晴らしいお姿にしばし、うっとりとする。 見上げるような素晴らしい本殿の建物と釈迦・弥陀・弥勒の三尊仏に圧倒される。 帰りは泉涌寺通りを下り、東大路通りを左折赤十字病院前を過ぎ、JRと京阪電車を跨ぐ高架橋の下を伏見街道に突き当たり右折したところに、伏水街道第二橋の石柱が立っていた。そこから少し北に京阪東福寺の駅があり、今回の歴史ウォークはここで解散した。 参加者は60代を過ぎた方が多いのですが、皆さんお元気におしゃべりしながら約8kmを完歩しました。石峰寺の五百羅漢や往時を偲ばせる石橋を確認したり、静かな洛南・東山三十六峰の山麓など良い季節に良い所へ、案内して頂いた吉岡さんに感謝。 有難うございました。 次回が楽しみである。一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わって頂きたいと思います。 是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!! |
藤森神社の前で本日のウォークの 趣旨を説明される平田さん 48回目にして交野から踏み出した 梅雨の時季、神社の二つの庭 には3500株の色彩々の 紫陽花が見事である。 |
花菖蒲で有名な藤森神社境内で 説明される吉岡さん 勝負の神様、駆け馬の神事も 勝負は菖蒲に通じ菖蒲の節句は ここが発祥と云われ宝物館には 鎧兜や鉄砲など多数展示されている |
伏水街道・第四橋 伏水街道には4つの石橋があった 現存するのは第三、四の2つだけ この伏水とは、伏見が酒づくりで 有名なことからもわかりますが 良質の地下水が豊富で あったことを表しています 4年生の小川君も元気だ |
第四橋・直違橋 七瀬川に架かる橋が「第四橋」の 直違橋(すじかいばし)である この橋の名前は、川に対して橋が 斜めに架けられていることに由来する 第四橋は真円タイプでめずらしいもの 七瀬川の流れを通し交通量の多い 伏水街道を支えている。 |
明治時代末から華やかしき 軍人の町の名残?軍人湯 1908年(明治41年)深草地域に 京都第16師団司令部とその関連の 軍事施設が設置されると、 この付近はのどかな地域から 一転して「軍都」となりました 広大な練兵場、射撃場、弾薬庫、兵営、 陸軍病院などが深草の広大な地域を占めた 京阪電車の「藤森」駅は 当時は「師団前」という駅名だった |
聖母女学院本館・第16師団指令 本部跡のエキゾチックな建物 レンガ造り2階建て銅板ぶきで 明治40年(1907)に完成した。 ちなみに、この聖母学院は大正10年(1921) 大阪の玉造カトリック教会の女性宣教師、 メール・マリークロチルド・リュチニエらが 始めた語学教室が前身で、昭和24年(1949) 小中学校からなる京都聖母女学院 として現在地に開設された。 |
質素な瑞光寺 彦根藩の家臣・石井元政が 26歳で出家し草庵を結んだ寺 |
石峰寺の本殿 薬師如来像を本尊とする 黄檗宗の禅寺 |
路傍の小さな地蔵さん 歯痛に効用があるとか |
石峰寺の 隠れキリシタンの墓? |
新緑のもみじが綺麗な東福寺 通天橋・もみじの名所 京都五山の一つで広大な境内に伽藍が並ぶ、 紅葉の東福寺/通天橋として知られ シーズンには凄い賑わいとなります 開山堂への回廊/通天橋(洗玉澗の谷間) からの紅葉は一見の価値有ります。 |
泉涌寺 楊貴妃観音が有名 皇室との関連深い「御寺」の別名 東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に 静かにたたずむ泉涌寺。 ひろく「御寺(みてら)」として 親しまれている当寺は、天長年間に 弘法大師がこの地に 庵を結んだ事に由来する。 |
京阪枚方市駅10:50→墨染駅→藤森神社→瑞光寺→石峰寺・五百羅漢→ 深草墓園(昼食)→ぬりこべ地蔵→伏見稲荷神社→東福寺→泉涌寺→京阪東福寺駅15:00
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