2005年 新春恒例の初歩き
交野古文化同好会
明けましておめでとう御座います
うれしい春よ、来い! 山ほど大きな福よ、来い!
「酉年」の酉はニワトリのこと。日本では朝を伝えるとして古来、尊重された。
海外でも鳴き声で闇の悪霊を追い払うとか、
風見鶏として災いを防ぎ、天気を告げるとかされている。
また、とりは時を知らせ「福とり」や「とり込む」に通じるので縁起がよいとされる。
「災い」の一文字でくくられた昨年。今年はどんな年に羽ばたくだろうか?
我々、古文化同好会もさらなる発展のために
全員一丸となって取り組んで行きたい。
(平田さんの今日の一言より)
日時:平成17年1月2日(年始) 午前9時集合、出発(時間厳守) 集合場所:いきいきランド(交野ドーム)噴水広場 コース:いきいきランド→私部墓地→私部大池→機物神社→国見山→ 白旗池→交野山→石仏の道→神宮寺(縄文遺跡・開元寺跡)→ドーム |
機物神社で初詣、全員で記念撮影 |
2005年1/2(日)天候晴れ、参加者31人。昨年の初歩きに続き今年も素晴らしい晴天に恵まれ、元気な顔が勢ぞろいした。交野ドーム噴水前には早い方は午前8時半頃から顔を出され、続々と沢山の方々が参加された。 「明けましておめでとうございます」「どうぞ今年も昨年同様よろしくお願いします」と、口々に挨拶を済ませて、午前9時、交野ドームの観覧席の上に集合、目の前には交野連山が一望でき、山上には新春の朝日がまぶしく照り輝いていた。 ここで、井戸会長より「今年も皆さんと共に積極的に古文化の活動をやって行きたい」と抱負を語られた。また交野連山を見ながら「畿内5ヶ国(山城、大和、河内、摂津、和泉)」の歴史の話をされ、ふるさとの歴史を勉強できる幸せを喜び、今日一日、皆さんと一緒に歩きたい」と挨拶された。 また、秋の交野古文化同好会の文化祭には必ず顔を見せられる、山添府会議員も参加され親しく挨拶をされた。 ↓画像をクリックすると大きな画像が見れます! 交野ドームの観覧席の目の前には紺碧の青空をバックに交野連山が一望でき、今年1年の無事を祈るように、山上には新春の朝日がまぶしく照り輝いていた。 平田さんの先導でまず、私部墓地へと続く昔の野辺送りの道・南後(南郷)を通って私部墓地に案内され、「つづり方兄妹」の主人公・野上房雄さんの「ふうちゃんのお墓」、「奥野平次さんのお墓」にお参りした。 ご存知の方も多いとは思いますが、少し触れたいと思います。 ↓画像をクリックすると大きな画像が見れます! 私部大池に影を写す交野連山 ↓画像をクリックすると大きな画像が見れます! 私部大池から私部、青山を展望、この素晴らしい台地に第二京阪国道が建設される! この台地に高さ十数メートル、幅80メートルの高速道路が通る!想像できますか? 第二京阪国道が予定されている、青山地区では山添議員から進捗状況などの説明を受けた。 初詣客で賑わう、機物神社で拍手を打ち、参加者全員で記念撮影。今年こそ、災いの無い平穏な年でありますようにと願った。 機物神社から東へ歩き、JR学研都市線の陸橋上からみた源氏池や、また関電の枚方変電所の西側に位置する、鐘撞堂池や松塚池は第二京阪国道の工事のために水が抜かれ、大半が埋められる運命にあるそうで、急速な工事の動きにビックリするばかりであった。 東倉治から津田南町の住宅街を抜けて、国見山へと上る登山道には、大晦日に降った雪も解けずに残っていた。雪道に注意しながら、やっと、12時過ぎ、国見山頂上に立った。 ↓画像をクリックすると大きな画像が見れます! 国見山より交野から枚方、京都方面を展望する 12時半過ぎ、いきものふれあいセンター・白旗池広場で昼食。地元の美味しいお酒が振舞われ乾杯、今年の無事を祈った。午後は交野山から石仏の道を下り元気に交野ドームに帰った。 皆さんお疲れ様でした。 ※石仏の道のことはこちらの歴史ウォークをご覧下さい! 今年の初歩きは、井戸会長の挨拶にあった「畿内5ヶ国(山城、大和、河内、摂津、和泉)」を国見山から、また交野山から遠望して畿内に開けた歴史の一面を垣間見た楽しい歴史ウォークでした。 本日(1/3)、NHKTVで古代ドラマ「大化の改新」が放映されますが、「畿内」という特別な行政区画が成立したのは、大化2年(646)の「大化の改新の詔」からだそうです。今晩のドラマを期待しています。
次回が楽しみである。一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わっていただきたいと思います。是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!! |
井戸会長の挨拶 | 平田さんの挨拶 | |
山添議員の挨拶 | 私部墓地、奥野平次さんの墓前で | |
初詣客で賑わう、機物神社 | 大晦日の雪が残る山道 | |
国見山頂上 | 白旗池への山道 | |
国見山頂上で記念撮影、皆さんお元気でした! | ||
北河内の歴史の本によると、交野山の北に標高285mの国見山があり、この国見山の天険を利用して山頂部に津田氏が城を築いてその城は国見山城と呼ばれていたと記されている。津田の地蔵池付近には城の玄関口にあたると考えられる門口(もぐち)という小字名が残されており、門口から国見山城に向かう城坂の右手(南)には、国見山城以前の館があったとされる古城(ふるじょう)と呼ばれる地域がある。また、国見山城落城後に新たに城が築かれたとされる本丸山(ほんまるやま)と呼ばれる地域が点在している。 昭和47年以降、大規模開発に先立ち発掘調査が行われ、国見山城、本丸山など詳しいことが分ってきた。本丸山は標高113mの最高所を中心として、南北に細長い平坦地が、3〜4段にわたって堀などによって造成されていたことが明らかにされている。 4代目主水頭正時(もんどのかみまさとき)の時、天正3年(1575)に織田信長軍により国見山城は焼き払われ、後、正時は本丸山に居城を移したが、天正10年(1582)の山崎合戦時に、招提勢とともの明智光秀方に加勢した為、羽柴秀吉軍により本丸城も焼き払われてしまった。その後、正時は秀吉に赦(ゆ)るされ、子の新八郎正胤とともに仕えたという。 |
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工事が進む第二京阪国道 | |
第二京阪国道が予定されている、青山地区では山添議員から進捗状況などの説明を受けた。 機物神社から東へ歩き、JR学研都市線の陸橋上からみた源氏池や、また関電の枚方変電所の西側に位置する、鐘撞堂池や松塚池は第二京阪国道の工事のために水が抜かれ、大半が埋められる運命にあるそうで、急速な工事の動きにビックリするばかりであった。 |
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青山地区 | 倉治地区 |
交野ドーム上空から(緑たつ道WEBより) | |
関電枚方変電所上空から(緑たつ道WEBより) | |
2005年 新春恒例の初歩きMAP |
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枚方市 南場正博さん
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今日は古文化同好会に飛び入りで参加させて頂き有り難う御座いました。
好天に恵まれての初歩きということで、無事完歩することができました。
この一年も無事に過ごせるような体調が維持出来そうです。
会長と平田さんの卓越した説明振りはガイドとして大変参考になりました。
また、交野の里や遺跡など、はじめての見聞でこれも勉強にもなりました。
今後とも宜しくご厚誼賜りますようお願い申し上げます。
本日は本当に有り難うございました。御礼申し上げます。
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交野連山を仰ぎ見る | ふうちゃんの墓地 |
交野山の観音岩 | 石仏の道・第3石仏(阿弥陀三尊) |
第二京阪道路の予定地の説明を聞く | |
石仏の道・第3石仏(阿弥陀三尊) |