ホームページに戻る 明けましておめでとう御座います!今年は未年(ひつじどし)です。 |
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日時:平成27年1月2日(年始) 午前10時集合 集合場所 京阪バス停 妙見口 参加者17名(会員13名) |
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2015年1/2(金)、天候曇り時々晴れ。今年は正月早々に雪が降り、早朝から冷え込みが厳しくどうなる事かと心配しましたが、幸い風もなく、「明けましておめでとうございます」「どうぞ今年も昨年同様よろしくお願いします」と、挨拶を交わしながら妙見口に集合しました。 立花会長と高尾さんの新年の挨拶の後、星田妙見宮のお話をして頂く平さんの紹介の後、まだ所々雪が残っている妙見河原の桜道をゆっくりと上り、「家康のひそみの藪」で会長から説明を受けた後、妙見宮の前で元気な皆さん全員で記念撮影。 初詣客で賑わう妙見宮で、平研さんより、懇切丁寧に「星田妙見宮の神々」について解説いただきました。妙見宮をぐるりと回り裏参道へ出たところで一旦解散となり、その後、全現堂池に立ち寄り、星田神社にお参りして12時過ぎ解散しました。 |
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当日配布されましたレジメその他資料関係など、HPへの掲載を 快諾いただき誠に有難うございます。記して感謝申し上げます。 |
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立花会長(左)と高尾さん(右) 年の初めのご挨拶 | |||||||||||||
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2015年1月2日、初歩きMAP |
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元気な皆さんが勢揃い! 星田妙見宮前で記念撮影 集合場所の妙見口バス停 立花会長より、妙見川のトンネル、印字山、桜のことなど説明いただく。 |
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星田妙見鎮座1200年奉祝祭 星田妙見さんに七曜星が降臨してから、平成28年7月23日で1200年を迎える。 当社は七曜星降臨の北辰祭祀の霊場であり、七夕伝説の継承地として護持し、 降臨伝説と弘法大師空海上人の信仰を縁起として、星田妙見宮が創建された。 |
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庚申社・祖霊社・地蔵尊 |
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登竜の滝と不動明王の前で説明を聞く |
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烏枢沙摩明王 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)=古代インドの不浄を炎で焼く尽す炎の神、 密教に取り入れられて密教守護の神、一般には怨霊の侵入口のトイレに祀り、 その烈火により侵入を防ぎ、清浄に保つ。(魔除け、金運がよくなる)(仏教) |
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太上鎮宅霊符神=道教の北辰、北斗を神格化したもの。 陰陽道とも関係(お札)―家内安全・厄除け、招福 (道教、陰陽道) |
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色々なお札が売られている |
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拝殿 |
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拝殿の垂れ幕には、北斗七星と八つ目の補星が描かれている |
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太上鎮宅霊符神 道教の北辰、北斗を神格化したもの。 陰陽道とも関係(お札)− 家内安全、厄除け、招福(道教、陰陽道) |
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三宝荒神=日本古来の荒神(災いをもたらす神) 密教に取り入れて三法(仏、法、僧)を守る守護神とした。 後に、氏族、地域、屋敷、竈を守る神となった。(古神道、仏教) |
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妙見山南の墓地・鎌倉墓 |
妙見さん裏参道へと通じる、妙見川を更に溯ると、左手に「鎌倉墓」がある。明治時代にこの地を入手した人が開墾して果樹園にしようとしたところ、約200基の墓石類が出土して現在、「延命地蔵尊」として祀られている。石造物は鎌倉中期が一番古く、室町時代に及んでいるが、江戸時代の新しいものは見当たらない。 この墓地からも、宝瓶三経蓮が7体確認されている。また、来迎印阿弥陀石仏や松香石の古式地蔵など珍しい石仏がある。この墓地は、一般庶民の墓でなく、小松山(山中)にあった小松寺の上級の僧のものであろうと考えられている。(故西井長和氏) |
せんげんどういけ |
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以前は3段になった三つの池があった。上から「上の池」(新池)、「中の池」(浅間堂池)、「下の池」(今池)と呼んでいた。新池は水田に、今池は住宅地に変貌した。 |
せんげんさんといい、8月7日に池の西にあるお堂で護摩が焚かれた。池の中に竹を四方に立て縄を張り御幣をつるし、その中で8月5日〜8日まで朝昼晩の3回水行をした。8日は千燈が上がった。 先現講は、昭和28年、12軒の講員があった。「南無先現大日如来」とお唱えして礼拝した。この神さんは神仏合体だが、少し神さんが勝っておられて、農家の神さんと言われている。毎月の命日は16日で、終戦までは講員の家々を回り持ちで供養した。 浅間堂池や金現堂池に字が変わっていったのは。富士垢離講(ふじこりこう)の衰退から、浅間堂が建てられてある意味が人々の意識から薄らいで行くにしたがって、文字そのものも発音だけにとられて、それに該当する漢字をあてはめたものと思われる。 |
星田にあった富士垢離講の先達であった奥田浄安という人が、延宝年間(1673〜80)に、大日如来の仏像を京都の仏師に依頼した。完成した仏像を富士講の世話方と富士山に担ぎ上げ、富士山頂にある富士浅間社の奥の院で開眼供養を行って星田に持ち帰った。 これにちなんで、この仏像を富士浅間大日如来と呼ぶようになった。この堂の横に小堂が建ち、役行者の像が祀られている。池に降りる石段があり、池には半円形状に杭を打ち込んであるが、これは修験者が水垢離をする場所にもなっている。 |
役行者の像 |
あちこちで見かけた雪だるま | |
次回は、第144回歴史ウォーク、3月14日(土)高尾秀司氏の案内で、「大東市の歴史再発見」、集合はJR野崎駅、午前9時で、12時解散予定です。 お一人でも多くの皆さんの参加をお待ちしております。 |
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最後までご覧いただき有難うございました |