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交野歴史健康ウォーク 194回
星田の里・弘法大師を祀る大師堂巡り

2022.9.10 午前9時 星田駅集合 26名(会員外2名)参加
案内人:山本 秀雄氏(交野古文化同好会)

(とき)令和4年9月10日(土)曇り時々晴 
星田駅→星田駅北開発→@半尺口大師堂→A薬師寺内→B乾町大師堂
C野辺橋大師堂
→D光林寺大師堂E中川筋大師堂F東辻屋町大師堂→
G札町大師堂→H旧松岳庵大師堂→
I慈光寺大師堂→星田会館(小休止)

J星田寺内大師堂→
K光明寺内大師堂→L
上口町大師堂
(解散)徒歩約4km

  9/10(土)、台風11号が過ぎ去った後、不順な天候が続いていましたが、当日の午前中はとても良い天気に恵まれました。星田駅には26名(会員外2名)の元気な皆さんが続々と集合された。
 7月から猛威を振るっているコロナの感染者数は、累計で全国で2000万人を超え、交野市内でも1万5千人を数えるコロナ禍の中、感染対策をして、歴史健康ウォークは実施されました。

 山本秀雄氏の案内で、星田村のお大師さん巡りを楽しんで来ました。1ケ村に15の祠が祀られ、今もなお大師さん(空海)の命日にあたる4月21日には、各所で法要が盛んに行われているそうです。

 嵯峨天皇の弘仁2年(811)、弘法大師が京都長岡京市の乙訓寺(おとくにでら)の別当に任ぜられ、たびたび近郷の霊場を訪ね、交野の私市・獅子窟寺や星田に立ち寄られたことが知られています。弘法大師が交野地方に来られた時に、獅子窟寺吉祥院の獅子の宝窟に入り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)が降り、三ヶ所に分れて落ちたと言い伝えられているお大師信仰が平安の昔から星田の里で連綿と生き続け、今も根強く息づいています。

 ※当日ご案内いただいた山本秀雄氏のご厚意で、レジメと各大師堂と大師像の写真集を
 頂戴致しました。また、当日の写真撮影は毛利信二様にお願いしました。
  記して感謝申し上げます。
 星田に15も有る弘法大師を祀る大師堂巡り
弘法大師(空海)

 弘法大師は宝亀5年(774)讃岐の国(善通寺市)で生まれる。父は地方官吏の佐伯直公善通、母は中央の名族阿刀氏の女。幼名真魚といい幼いころから儒教、文学、歴史などを学んだと云われ、15歳で、{延暦8年(789)}地方官吏養成所である国学に入学、3年後(792年)都にのぼって国の官吏養成機関である大学に進んだが途中で仏道に目覚め出家する。修行の後、延暦23年(804)(30歳)で遣唐使として唐の長安に赴き密教を学び、帰国後816年(弘仁7)高野山を開き密教の修行の道場とし、その後823年(弘仁14)嵯峨天皇から東寺を下賜され密教の根本道場とした。

 この東寺と高野山を直結するのがこの星田を通る東高野街道である。また嵯峨天皇の弘仁2年(811)推古天皇が建てた長岡京・乙訓寺の別当となり、これを機会に近郷の霊場を訪ね、私市の獅子窟寺や星田にやつて来て貧しい農民達に現世利益の信仰を植え付けたとされる。
 また東高野街道を行き来の際にも仏教を教え、その教えを受けた農民達あるいは子孫が弘法大師を慕い続け自分たちの身近に大師堂を建てその徳をしのび念じ続けてきたものと思われます。現在でも大師の命日にあたる4月21日には近隣のお世話番の人達が出て、お供えを供えてお参りをつづけております。
 本日はその遺徳を偲び、又近隣の弘法大師に対する信仰の有りようを偲んでみたいと思います。


大師の代表的な業績
満濃池(香川県まんのう町)溜池としては我が国最大のもの
818(弘仁9)大災害があり堤防が決壊。821年(弘仁12)一人の若い僧と4人の童子をつれて、改修にあたり3ヵ月で完成したと云われる。


四国遍路(大師と二人で)
四国四県の八十八札所(霊場)に巡拝しながら修行の旅をする遍路。弘法大師とともに巡るという意味から常に遍路は「同行二人」である。締めくくりは大師の聖地高野山へ詣でる。
 お大師さん巡りの15ヶ所
番号    名称 内容   場所  適要
 @  半尺口大師堂  木造  星田三丁目27-10   元一里塚に有り
 A  薬師寺内  木造  星田一丁目21-12  
 B  乾町大師堂  石造  星田一丁目25-41  一石丸彫
 C  野辺橋大師堂  木造  星田一丁目17-37  
 D  光林寺大師堂  木造  星田一丁目26-7  
 E  中川筋大師堂  木造  星田一丁目18-3  
 F  東辻屋町大師堂  木造  星田二丁目15-8  
 G  札町大師堂  石造  星田二丁目3-2  一石丸彫 地鎮
 H  旧松岳庵大師堂  木造  星田二丁目12-7  
 I  慈光寺大師堂  石造  星田三丁目1-1  石造台石別丸彫
 J  星田寺内  木造  星田二丁目5-14  
 K  光明寺内  木造  星田二丁目13-18  
 L  上口町大師堂  木造  星田二丁目6-16  
 M  大谷北大師祠  石造  星田六丁目25  一石半肉彫
 N  大谷南大師祠  石造  星田西1 (強地)  台石別丸彫
大師堂の場所は、近くの住所表示板を参考に表示しています。
Nは下記の地図には表示していない)

<お大師さん巡りの行程地図>




星田寺にて記念撮影

 お大師さん 写真集
  先ず、最初に案内されたのは、半尺口のお大師さん。一里塚にあった時、寝屋の人が盲目となり、夜静かになって夜参りに杖を頼りに3年間祈願し続けたご利益があり、ある夜お大師さんの「私の片目をお前にあげる」とのお告げがあって、その日から片目が見え出し、代わりにお大師さんの右の片目に傷が出来て、その傷は今ものこっているのだそうだ。
 それ以後信仰者が多くなり、4月21日には三角のおむすびに黄粉をつけて参拝者に供養されるが、昭和12年ごろまでは星田だけでなく、堀溝・高宮・小路(寝屋川市)、砂・中野村(四條畷市)の人々も沢山お参りし、また、「どんかい踊り」が催され、大変な賑わいだったそうである。

 山本さんの先導で遠見遮断の道路をあっちへ行きこっちへ曲がりと、次から次へとお大師さんめぐりを楽しませて頂いた。合わせて13ヶ所のお大師さんにお参りしました。お大師さんは星田1丁目から3丁目の間の狭い範囲内に安置されており、その多さにビックリです。また、地元の方によっていつも綺麗なお花が飾られて今も大事に守られていることを知った。
 @ 半尺口大師
 
 
 A 薬師寺の大師さん
 
 
 B乾町大師堂
 
 
 C 野辺橋大師
 
 D光林寺大師堂
 
 
E 中川筋大師堂
 
 
 F 東辻屋町大師堂
 
 
 G札町大師堂(地鎮さん)
 
 
 
 H旧松岳庵大師堂
 
 
 I慈光寺大師堂
 
 
 J 星田寺内大師
   
 
星田寺の十一面観音像
 
空海像
 K光明寺大師
 
 
 L上口町大師
 
 
 次の14番〜15番は当日は、スケジュールの関係で省略
 M大谷北大師堂
 
 
 N南大谷大師堂
 
 
星田の里・お大師さんめぐり
 星田駅で集合・出発

星田駅の高架下で開会の挨拶
案内役は山本秀雄氏(左)と村田会長
 
 
 
村田会長の挨拶
 星田駅バスロータリー前で駅北開発の様子を説明
 
 
星田駅北開発中の状況を説明
 
 
 
新設中の星田北中央線(10月〜11月頃に完成予定)
東高野街道沿いに建てられていた「一里塚碑」は、この新設の星田北中央線と
旧東高野街道と重なる200m内の道路沿いに移設予定。
 半尺口の大師堂
 
半尺口大師堂
 
 
大師堂の屋根、珍しい装飾塔
 薬師寺
 
薬師寺
 
 
 乾町大師堂
 
 野辺橋大師堂
 
 光林寺
 
光林寺の老松
 a
ご住職様よりお寺の由来など詳しく説明を頂きました。
 
 
釈迦三尊像(元、新宮山愛染律寺)
 
 
供出が免れた鐘
 
 
星御前が祀られている(八丁見所・降星伝説の一つ
 中川筋の大師堂
 
 東辻屋橋の大師堂
 
 札町の大師堂(地鎮さん)
 
 慈光寺の大師堂
 
 
大師堂
 
 
十三仏碑 慶長12年(1607)
次回の勉強会「星田のお大師さんと弘法大師空海」は、
9月24日(土)午前10時〜12時 場所・学びの館で開催します。


最後までご覧いただき有難うございました。

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