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交野歴史健康ウォーク  192回
「磐船街道と私市周辺探訪」
河内森駅から弘安地蔵まで

日時 : 2022年5月7日(土)午前9時 京阪・河内森駅前集合 
       参加者 37名(内会員30名)(内、当日新規加入2名)

 行程 : 京阪河内森駅〜 @石清水八幡宮三宅山荘園墾田遺跡碑〜佃通り〜
       A古代天野川地方条里区画遺跡碑〜和田坂〜百重が原橋〜松宝寺〜
       岩屋橋〜越智領主跡〜西念寺〜B石清水八幡宮三宅山荘園佃之跡碑〜
       C此付近亀山上皇駐蹕私市観音寺跡〜廃千手寺〜樋の尻〜大松の道標〜
       磐船街道〜平田さんと出会い〜私市仁左衛門宅跡〜若宮神社〜
       私市水辺プラザ〜加賀田用水取口〜弘安地蔵〜私市駅
                  (12時前解散) 約5km徒歩
       

 案内人 : 村田 義朗氏 (交野古文化同好会)
 5/7(土)、天候晴れ。京阪・河内森駅前に集合、午前9時出発。
 村田会長の挨拶に始まり、交野古文化同好会50周年記念事業の一つである「記念誌の特別号」として、@令和版・ふるさと交野を歩く、A交野郷土史かるた、B考歴民の3冊が発刊されたことについて簡単な紹介と新入会員へのお誘いの話がありました。
 早速、村田会長の案内で「磐船街道と私市周辺探訪」のレジメと当日の行程に沿って、解説を聞きながら史跡をゆっくりと巡ってきました。当日の元気な参加者は総勢37名(内会員30名)(内、今年度新規加入会員8人)の皆さんでした。

 
 今回のウォークの行程は、多くの皆さんには普段から馴染みのコースだそうで、日頃から健康志向で散歩コースとして歩いておられる場所らしく気軽に参加いただけたようです。
 途中、廃千手寺では、日頃からお世話をされている地元の役員の方のご厚志で、収蔵庫を開けて頂き、「如意輪観音像」や「聖観音立像」など大変貴重な文化財を拝見することが出来ました。本当にお世話になり改めて感謝申し上げます。


 磐船街道を南下して四辻手前付近で、今回の特別号の最大の功労者であります「平田政信さん」にお会いできたこと、また併せて貴重なご挨拶も戴き有難うございました。

 当日は五月晴れに恵まれ、後半の若宮神社ではトイレ休憩後、会員の崎山竜男さんのご指導で疲れた体を軽めのストレッチで解して、最期のコース「私市水辺プラザ〜加賀田用水の取口〜弘安地蔵」まで皆さん元気に歩き通されました。
 参加された方々からは、「いつも歩いている足元に、注意を払えば知らないことが見えて来た、色々と勉強になり、大変有意義なウォークでした」と好評で、また、記念誌特別号の「ふるさと交野を歩く」を始め、出版物についても大変好評を頂きました。 

 ※当日の写真撮影は毛利信二様にお願いしました。また、当日配布しましたレジメなど、平田政信様が作成された貴重な資料や交野市文化財事業団発行の資料などを快く提供を受けましたこと、誠に有難うございました。
  記して謝意を申し上げます。
 
若宮神社で記念撮影 毛利さんお世話になりました。

5/7、歴史健康ウォークのご案内行程地図


@石清水八幡宮三宅山荘園墾田遺跡碑
A古代天野川地方条里区画一条通遺跡碑

B石清水八幡宮三宅山荘園佃之跡碑
C此付近亀山上皇駐蹕私市観音寺跡
A
  
@
 
C
 
B
  

5/7 私市ウォークのレジメ









平田政信さん作成の私市の地名地図

参照:交野市文化財事業団発行の「私市村役人文書」
 

参照:交野市文化財事業団発行の「交野市歴史散策マップ(私市地区)」
当日の集合は、京阪河内森駅前
 
当日の行程など説明する案内人の村田さん

河内森駅前に集合
道一杯になりご迷惑をお掛けしました!

受付風景

 古代天野川地方条里区画遺跡碑
 
古代天野川地方条里区画一条通遺跡
 奈良時代、郡津に郡衙(役所)が置かれたころ、天野川周辺は稲作の一等地として条里制が敷かれ、私市を一条通りとして北へ枚方市まで十条通りと区画整地されました。神社の西にある鳥居をくぐって左に100メートルも行くと、東西に伸びる道が現れますが、それが一条通りです。
 市内には私市・天田神社から天野川に向かって一条通りが列し、京阪交野駅の北側に四条通りが、そして郡津に五条通りが列している。
 条里制の行われた土地は、ちょうど碁盤の目のように、あぜ道をもって田を美しく整頓区画されている。

条里区画 六町(一町の長さ約100b)の間隔で、縦横に直線の大道がつけられる。
こうして出来た六町四面の田を里という。この里を東西に並べた列を条といって、一条、二条と列名がつけられ、その大道を一条・二条通りといい、郡津は五条通りにあたる。

参照:交野地方の条里田(交野市史)

古代天野川地方条里区画一条通遺跡の碑
 
 
和田坂(わだんざか)を上る
 
百重が原橋を渡る

 松宝寺の前の広場で説明する村田さん
 
松宝寺と手前は松宝寺池
 
雲林寺の二月堂(伏拝)
 
井出之内会館付近を歩く   どぼいけ(どぼ池)
 
西念寺の墾田地蔵
山号は磐川山、浄土真宗西本願寺末寺、本尊は阿弥陀仏。嘉永元年(1624)、無量光寺4世知了が私市村門徒のために開いた草庵。享保4年(1719)に西念寺と称した。
 
 
墾田地蔵
 交野の子どもの歌に、「さいたかさいたか西念寺 ういたかういたか雲林寺 松のたからは松宝寺」と歌われている西念寺は、天田神社鳥居前から続く天野川条里制の一条通より北の小川沿いに建っています。
 門を入った南側に墾田地蔵さんが、8体の阿弥陀さんと一緒に東を向いて立っています。住職の話では、もともとこの石仏は、寺の北側の小久保川を越した北の墾田筋に立っていましたが、「西念寺に行きたい行きたいと夢告げされたので、ここにおいでいただいた」ということです。造立年代は室町中期と言われています。
 ゆっくりとお地蔵さんの前で拝んでいると、いつの間にか悩みも消えて晴れ晴れとした気分になるようです。
つい最近、佃筋の地蔵さんがここに移られて8体となっています。(一番前面に祀られている色の黒い地蔵さん)

手前の色の黒い、佃筋の地蔵さん
4丁目の地蔵さん

西念寺から北へ100メートル、きれいなほこらの中に2対の阿弥陀さんがまつられています。
 向かって右側の石仏は、阿弥陀如来座像で、花崗岩の石を舟形に粗く加工されており、造立年代は室町時代後期頃と言われています。

 昔、道路沿いの小川の改修工事の時に出土した仏さんだそうで、いつも真新しい花が供えられている手入れが行き届いた石仏さんです。

 
廃千手寺
 河内森駅から西側へ自転車駐輪所を左手に見ながら坂をおりて、私市の集落に入っていくと、小さな三角公園があります。今は廃寺となってしまいましたが、ここに千手寺がありました。
 今はこの場所に、廃千手寺収蔵庫があり、市指定文化財の聖観音立像と如意輪観音坐像をはじめ、千手寺と私市の廃蓮華寺の仏像などが収蔵されています。
 土地に残る伝承では、鎌倉時代の後期に亀山上皇が病気になり、獅子窟寺の薬師如来坐像が霊験あらたかであることを熊野権現の霊告により聞きつけ、獅子窟寺に登るための仮の宿所としたのが千手寺の始まりと伝えられています。 
 廃千手寺では、日頃からお世話をされている地元の役員の方のご厚志で、収蔵庫を開けて頂き、「如意輪観音像」や「聖観音立像」など大変貴重な文化財を拝見することが出来ました。本当にお世話になり改めて感謝申し上げます。

如意輪観音坐像

聖観音立像
愛宕山の伏拝の石碑が立つ廃千手寺の境内に二尊仏がひっそりとまつられています。
 鎌倉時代、亀山上皇が獅子窟寺の薬師如来に病気の回復を祈願し、回復を喜んだ上皇が、滞在した場所に観音寺(現在の廃千手寺)や、この寺を管理するための田を寄進しました。現在、この地域にある「院田(いで)」という地名は、この名残と考えられています。
 廃蓮華寺や廃千手寺の仏像は、境内の収蔵庫に安置され、そのうち、聖観音立像と如意輪観音坐像は市指定文化財にも指定され、春に一般公開されています。

松尾昭様には大変お世話になりました!有難うございました!

 
 今回の特別号の最大の功労者であります「平田政信さん」に
お会いできたこと、また併せて貴重なご挨拶も戴き有難うございました。
 
特別号の最大の功労者であります「平田政信さん」
 
 
一日1万歩を目標に歩いておられるそうです。
 
若宮神社でトイレ休憩とストレッチ
 当日は五月晴れに恵まれ、後半の若宮神社ではトイレ休憩後、会員の崎山竜男さんのご指導で疲れた体を軽めのストレッチで解して、最期のコース「私市水辺プラザ〜加賀田用水の取口〜弘安地蔵」まで皆さん元気に歩き通されました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
弘安地蔵 (昭和55年) 杖あずけ地蔵さん
松宝寺・十三重塔
 私市の山手から松宝寺池へと少し下ると、高くて立派な石垣が積み上げられた松宝寺に着きます。
 春にはらんまんの桜が咲き乱れる松宝寺池の堤の上からは、きれいに整地された棚田の奥に、天田の宮と一条通りを見渡すことができ、緑色の京阪電車と桜のコントラストがすばらしい風景が広がります。ときには、この風景を撮影するアマチュアカメラマンの姿が、群れをなします。
 この付近は眺望もひらけ、昔から月見に最適といわれたため、月秀山の号をもち、もとは獅子窟寺の十二院の塔中の一つ、松宝院であったと思われます。
 境内には、千手寺にあった南北朝時代(14世紀代)の十三重の塔が建っています。
廃蓮華寺の地蔵さん
 若宮神社東側の路地沿いに、阿弥陀さん、地蔵さん、宝筐印塔、五輪塔など13体が東向きに整然と安置されています。

 私市の蓮華寺や村の辻にあったものが集められたのでしょうか、阿弥陀さんが7体と多く、西方浄土を夢見た庶民の願いが感じられる石仏群です。赤と白の前垂れに「奉納」と大きく書かれ、大切にまつられています。
昔懐かしい写真集 

京阪・河内森駅

京阪電車の架線を潜って天田神社から若宮神社まで

獅子舞

私市駅  昭和30年代

墾田地蔵 (昭和54年)


 次回は、第193回歴史健康ウォーク、6月11日(土)、「倉治の環濠集落を探訪」午前9時いきいきランド集合。 お一人でも多くの皆さんの参加をお待ちしております。

最後までご覧いただき有難うございました

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